新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

芽三題

2009年03月01日 01時06分26秒 | 写真俳句・エッセー

 ものの芽には、不思議な力がある。説得力がある。

 落ち込んでいても、背中をドヤしつけられるような迫力がある。

 時には、そっと背中を撫でてくれる優しさもある。

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 上の写真俳句は、2月16日の句だ。

 まだ昨年の花が枯れ残っている中、紫陽花の芽が吹いた。

「そうだ、もう春じゃないか!」

 そう思った瞬間、ずっと残っていた背中の痛みが消えた。いや、現実には消えなかったが、忘れることができた。

 その時の句だ。

    名草の芽背なの疼きの忘れいて    鵯 一平

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 後日、薔薇園へ行った。

 薔薇が芽を吹いていた。愚痴を言ったら、薔薇の芽に咎められそうな雰囲気を感じた。

 薔薇の芽が、鋭い棘に守られていたせいかも知れない。威圧感があった。

   薔薇の芽や病ひの愚痴はもう言へぬ   鵯 一平

「もう愚痴は言えないなあ」 そんな感じだ。

 とは言っても、いずれ愚痴を言うには違いないが。

 今日は外出の折、牡丹の芽に出会った。

 赤い芽が芽吹いていた。まるで扇情的ではないか。

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老いて今熱き鼓動や牡丹の芽

 老いたりと言えど、熱き鼓動があっても悪くはあるまい。 

 老いらくの恋と敢えて言わないが。

     老いて今熱き鼓動や牡丹の芽   鵯 一平

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コメント (16)
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