今宵こそ誰(た)ぞであれかし雛の客
女の子の初節句は、とても華やかなものだ。
家中に花が咲いたような気配が漂う。みんなの心も浮き立ってしまう。顔も上気する。
祝いを受ける当人たちは、まだまだ雰囲気を察する域に達していない。
おむつの心配やおっぱいの心配が先だ。
3歳の頃になって、やっとお人形の綺麗さが分かり始める。
いやその前に、草餅や霰が関心事だ。
私の娘や息子の時は、どんなだったろうか。カミさんが飾り、雛納めもカミさんの役目だったので、その状況は覚えていない。
息子のほうの孫は、1歳になる前、母親が病いで他界した。いままで、私たち夫婦が割り込んで行って祝っていた。中途半端な賑わいだった。
いつも私の胸に、切ない思いがよぎる。
零れそうになる涙を、「雛祭り」の歌を唄うことで誤魔化していた。
しかしその歌も、切ない歌の一つになってしまった。哀しみが嵩んできた。
いるべき人がいてくれていさえすれば、余分な涙は不要なものを……。
今宵こそ誰(た)ぞであれかし雛の客 鵯 一平
せめて今宵だけでも、雛の客として訪れてきてほしいのです。
せめて一刻なりとも………。