新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

政治は言葉

2010年05月11日 04時41分15秒 | コラム・エッセー

 普天間問題によって、鳩山首相は追い込まれた。

 当初、党首討論においても、五月決着の定義について、「日本政府とアメリカ政府が、合意に達したことをもって決着とする」と、鳩山総理が明言していた。その折り総理は、「調印まではいかないかも知れないが……」と、あえて附言していたのだ。

 谷垣総裁が念を押しても、同じような回答だった。

 ところが、簡単にことは運ばない。

 官房長官などは、なんとか「決着」のハードルを下げようとしていた。

 しかし鳩山総理は、「五月末決着」の言葉を繰り返した。その点、「愚直」だった。

 誰の目から見ても、私のような素人が考えても、「五月末決着」を「アメリカとの合意」までと定義するのであれば、不可能としか思えない。

 もちろんアメリカは、「現行案」であれば、即座に「オーケー」と言うに違いない。

 事態はそのようなことにはならない。

 まだ政府案すらまとまっていないのだ。

 官房長官は昨日の記者会見で、「決着の仕方はいろいろある。五月末のありようをしっかり閣僚間で決める」と述べ、公然と先送りを明言したようだ。

 昨日朝時点での鳩山総理の言葉は、「みんなでこれで行こうという方向を必ず出したい」だった。

 やはり違ってきた。定義自体がふらつき始めた。

 どう頑張ってみても、実際問題として、地元住民が硬化してしまった現在、もはや五月末に地元合意すらできない。

 当然、アメリカとの論議は継続するしかあるまい。

 鳩山内閣には責任問題が生じてくる。すでに生じてしまった。

「結果がオーライなら、すべてがオーライ」、と行かないのが政治家の言葉だ。

 国民は政治家の「言葉」を信じ、その旗印のもとで団結し行動するのだ。

 その「言葉」がクルクル変わるのでは、国民は迷うだけだ。

 政治家がひとたび言葉を発したら、その言葉に責任を持たなければならない。

 まして、アメリカとの交渉事が待っている。

「言葉」を変えてしまうリーダーを、アメリカは交渉相手とはしないはず。

 ここまでこじれては、鳩山内閣が退陣しなければ、ことは始まらないようと思う。 

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする