普天間問題によって、鳩山首相は追い込まれた。
当初、党首討論においても、五月決着の定義について、「日本政府とアメリカ政府が、合意に達したことをもって決着とする」と、鳩山総理が明言していた。その折り総理は、「調印まではいかないかも知れないが……」と、あえて附言していたのだ。
谷垣総裁が念を押しても、同じような回答だった。
ところが、簡単にことは運ばない。
官房長官などは、なんとか「決着」のハードルを下げようとしていた。
しかし鳩山総理は、「五月末決着」の言葉を繰り返した。その点、「愚直」だった。
誰の目から見ても、私のような素人が考えても、「五月末決着」を「アメリカとの合意」までと定義するのであれば、不可能としか思えない。
もちろんアメリカは、「現行案」であれば、即座に「オーケー」と言うに違いない。
事態はそのようなことにはならない。
まだ政府案すらまとまっていないのだ。
官房長官は昨日の記者会見で、「決着の仕方はいろいろある。五月末のありようをしっかり閣僚間で決める」と述べ、公然と先送りを明言したようだ。
昨日朝時点での鳩山総理の言葉は、「みんなでこれで行こうという方向を必ず出したい」だった。
やはり違ってきた。定義自体がふらつき始めた。
どう頑張ってみても、実際問題として、地元住民が硬化してしまった現在、もはや五月末に地元合意すらできない。
当然、アメリカとの論議は継続するしかあるまい。
鳩山内閣には責任問題が生じてくる。すでに生じてしまった。
「結果がオーライなら、すべてがオーライ」、と行かないのが政治家の言葉だ。
国民は政治家の「言葉」を信じ、その旗印のもとで団結し行動するのだ。
その「言葉」がクルクル変わるのでは、国民は迷うだけだ。
政治家がひとたび言葉を発したら、その言葉に責任を持たなければならない。
まして、アメリカとの交渉事が待っている。
「言葉」を変えてしまうリーダーを、アメリカは交渉相手とはしないはず。
ここまでこじれては、鳩山内閣が退陣しなければ、ことは始まらないようと思う。
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