昨日、後輩のK君、Y君と、久しぶりにイッパイ。
彼らも一線を退いたので、ゆったりと時間を作れた。
時節柄、話題の中心は、普天間基地移転など。
我々は、良くも悪くも、55年体制の中で仕事をしてきた。
政治的に言えば、保守と革新が表面上で対立し、裏側では妥協的な手の握り合いをしていた時代だったように思う。
だからこそ、自民党側から憲法改正の声も出なかった。怠慢もはなはだしい。
靖国神社の参拝ですら、「恐る恐る」やっていた。
一般の会社だって同じだ。
経営者側も従業員側も、決定的な対立を避け、お互いにぬるま湯に浸かって過ごした。
妥協的と言うより、論議を避けてきた。それで済んでいたのだ。
「表面を巧く繕いながら、そこそこの生活ができていればいい」
そんなぬるま湯社会に、急速に「新自由主義」が入り込んできた。
「強い大」が「弱い小」を駆逐していいという社会になった。
従来以上の「格差」も生じた。
「こんなことではたまらない!」 多くの人の偽らざる不満だった。
折りもおり、というより、「55年体制」によって劣化していた自民党が、脆弱な体質をさらけ出して、無惨にも自己崩壊した。自分で崩れてしまった。
上手い具合に芽を吹いたのが民主党だ。しかし、右と左がごちゃ混ぜだ。
そんな時に、衆議院議員選挙が行われたのだ。
民主党のかけ声は元気よかった。
「コンクリートから人へ!」、「子供手当ての支給」などのかけ声も勇ましかった。
選挙民たちも、「たまには政権交代をさせてみるか」と、軽く思ってしまった。
その結果、民主党の独り勝ち。
「コンクリートから人へ」と同時に、「アメリカから中国へ」という姿も見えた。
米軍基地問題が表面化するのは、当たり前のことだったのかもしれない。
そんな話に花を咲かせ、ほどほどのところで切り上げ、それぞれ家路についた。
彼らと飲みながら、政治談義に花が咲くのは珍しい。
これからの日本、やっぱり心配なのだ。
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