だいぶ暖かくなってきた。
ブログ友から、「あの紅梅はもう満開か?」との問いかけもあるので、昨日、また行ってみた。
状況はご覧のとおり、三分咲き程度だろうか。
木によっては、依然として固い蕾のままだ。
まあ、それだけ今後も楽しめるということなので、ありがたいことだとお天道様に感謝している。
一昨日、仕事場で幾人かの後輩と会った。
多忙な業務を抱えている連中なので、それぞれ長い時間ではなかった。
私の病後を知って、励ましや慰めの言葉をかけてくれた。ありがたいことだ。
そんな中の一人。
「先輩はもう70歳を越えていますよねえ」
「うん」
「仮にまたガンになり、見逃されて転移したとしても、5~6年は大丈夫でしょうから、男の平均寿命ぐらいにはなりますよ。そう思えば、気が楽じゃありませんか」
つまりその後輩は、とんでもないことを言っているのだ。
しかし、私は一向に気分を害さない。
「そりゃあそうだよなあ」
顔も変えず、不得要領なことを言っている私。
とんでもないことを平然と言っている後輩も無神経な奴だが、その言葉を受け流している私も、かなり変な奴かもしれない。
どうやら言葉とは、そのようなものらしい。
言葉は相手との距離や関係によって、及ぼす作用が異なってくるようだ。
相手が気に食わぬ奴なら、美辞麗句を並べられても癪に障る。逆に許し合える関係なら、無神経なセリフにも腹が立たない。
人間という奴、かなりいい加減ではなかろうか。
とは言え、もっとも許し合っているはずのカミさんの言葉に対し、場合によってはブチ切れることがある。
だとすれば、距離だけでもなさそうだ。
難しいなあ。
飾った物言いをすれば、「心の許容力は相手次第で、強くも弱くもなる」らしい。
そんな言葉の方程式をみんな無意識に使って、世の中を巧みに泳いでいるのだ。
賢いねえ。
ところで話は異なるが、漁船とイージス艦との衝突事件。
某紙の朝刊の見出しに、「テロだったらどうする?」とあった。そのような電話やメールが多いという紹介記事である。
その言葉の裏側に、「漁船だったからよかったものの……」というニュアンスを嗅ぎ取ってしまうこともできる。
もちろん、そのようなことはあり得ないのだが、曲げて読もうとすれば読めてしまうところに、言葉遣いの難しさがある。
言葉は恐ろしい。
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あなたの言葉、決してズケズケではありませんよ。
すくなくとも私は「ヘンだなあ」とは感じておりません。
「なるほど、やっぱりなあ」と思ったことはありますが、人それじれ考えが異なるのは当たり前ですね。
傷つけるというのは別問題。
反省などしないで下さい。
そんなところ、何もないではありませんか。
「歯に衣」着せられたほうが、周囲をまごつかせますよ。
言葉の問題は大変難しいですね~
私もズケズケトいう方ですので、ひよどりさんがもしかしたら気分を害したかなと今反省。
みなさんのコメントを読んでなるほどと感じました。
写真を褒めて頂くと、本当に嬉しい!子供みたいです。
元気が出るのです。
病人は繊細な状況にありますから、慰めも難しい面がありますね。
病人が話し出す話題に合わせるのが無難なのでしょう。
しかし、気を使い過ぎてガチガチになったのでは、見舞いに行かないほうがいいですしね。
かおりんさんのように、病人が言わない限り、病気の話はしないほうが無難です。
とにかく言葉は難しい。
言葉は生き物で、勝手に動きます。
予想しない方向に進んで行ったりします。
一度発した言葉は、一人歩きもしますので、よほど慎重に言わないと、とんでもない結果を招きますね。
この私、言葉では幾度も失敗してますが、まだまだ失敗しそうです。
たしかにギリギリの線でしょうね。
本人もそれを承知で、ジョークめいた言い方で、エールを送ったつもりかも知れません。
私もニコニコしながら聞いていましたので、ほっとしたかもしれませんね。
ギリギリの線までどうして押し寄せたのか、チョット分からないです。
「貴方のように歳をとってからガンになりたかった」というセリフ、理解に苦しみますね。
「再発していないのだから、今から取り越し苦労しないほうがいいわよ」という話でしょう?
余裕がない状態だったのでしょうね。
私の後輩は、いい奴なんです。
頼りにもなります。
相互理解が成り立っています。
でも、やはり、きわどいかな?
ほんとうに言葉は難しいですね。
よく考えてからものを言おうとすると、何もいえなくなってしまいます。
私は今のところ病気ではないので、かえって病気の人には何も励ましも慰めも言えなくなってしまいます。
へたな励ましはよけいなお世話かもしれませんし、慰めの言葉も傷つけるだけかも知れません
ですから病気の話題は自分からはいっさいしません。冷たくみえるかも知れません。でも内心は心配しているのです。同病相哀れむといいますが、同じ病気の方が一番の理解者かもしれませんね。
ある30代のがん患者さんが再発を心配されて、鬱々とされていたので、励ますつもりで、まだ再発していないのだし、そうなってから考えても、、、ようなことを書いたら、私も貴方のように年取ってから癌になりたかったって、コメントを返されました。
私は気が短く、気が強いので、きちんと1度は攻撃しました^^ きっと、自分のことで精一杯だったのでしょうねぇ。
ひよどりさんにおっしゃった方は、親愛の情を現したのでしょうけど、ギリギリかな?きわどいですね。
術後まだ一ヶ月も経たないのに、よく言いますよねえ。
私も同感です。
しかし、気にならないのですから、それでいいのでしょう。
その後輩は、私の腹の中を見越して言っているのでしょうね。
イチイチ気にしていたら、身がもちません。
「強くなければ生きては行けない。優しくなければ、生きる資格がない」なんて言葉がありましたっけ。
その優しさは、自分と相手の関係によって、形が違ってきそうですね。
そう、その通り、腹の虫の居所が問題なのですね。
私など自分の虫なのにコントロールできずにおります。
従って、ひとの虫の居所まで斟酌できません。
もっとも良い方法は、「当たり障りない言葉」で終始することなのでしょうか。
私の葬式の「弔辞」を読みたいなどと言うのですから、胆を据えないと、ボロボロにされてしまいます。
本当に言葉はむつかしいです
無神経ではないのでしょうがとり方にもいろいろですね
ひよどりさんらしい受け取り方をされていらっしゃいますね
人生をたくさん見られて経験も豊富で そう思います
でも今回のは
術後まだ間もないので ちょっとね~ とは思いますね
でもたくさんの後輩さんから慕われているようなそんな気もします
私も心が大きくなりたい と 思うだけです
余計なことは言わないことにしています。
何を言っても許される間柄でも、腹の虫の居所によっては・・・だったりしますものね。言葉遣いはホントに難しいです。
それにしても、凄いことを言う後輩ですね。
早速のコメントをありがとうございました。
「弔辞」を読むつもりの後輩が、件の登場人物です。
結構デリカシーのある男ですから、私の心の働きを読み切って言っている気配です。
それにしてもきわどい言葉使いなので、余所では使えないでしょうね。
甘えは難しい。
時には通じても、次の日はダメだったりします。
お互いに「瀬踏み」しながら、毒突いたり甘えたり。
ナマコのように、固まってばかりでも味気ないので、失敗をしながら、活発に動くことがいいですね。
言葉の使い方と、距離、そしてこちらの受け取る力の強弱。。。
世間の人で、本当のことを言ってくれる人は、そうは居ません。むしろ、ありがたい存在かも(^_-)-☆
失礼な発言をしている方とは、先日「弔辞」のお話をされた方でしょうか?
面白い人ですね。少しばかり、無神経ですけれど(笑)本人は、悪気はないのでしょう。
家族の間では、時として何らかの「言葉」で、感情的になることが多々ありますね。私も、すぐにムッ!とするほうです。
これは、無意識の「甘え」かもしれませんね。他人なら、それほど気にならないと思いますから。人間は、勝手な生き物ですね。あはは。
ひよどりさんの、そんな真面目さと優しさが、大好きです♪がんばってください(*^^)v