危険の基準

2011-03-03 05:52:36 | Bicycle
先日のブログ記事おはるさんからこんなコメントを頂いた。

『私も5歳の息子がいるのですが、よく河川敷のダートコースをMTBで一緒に遊んでいます。
 ただ、私自身、鈍いのもあって危険度の高い遊びだなーっていうのがあって、
 将来的にどうなのかなって思うんですが、そういった葛藤ってありましたか。』



う~ん… MTB に限った話ではないねぇ。

例えばの話…。
ダートとひと言で言っても、競馬場のダートコースみたいな砂地のモノもあれば、大岩ウキウキ・ゴロゴロのガレガレダートもある。
砂が多めのダートなら、コギは重いが転んでも怪我しにくい。
ガレ場のダートはスピードが出るしスリッピーだし、転んだら一発骨折の可能性もある。
天候や体調によって難易度も変わる。
おいらがOKでも他の人にはNGだったり、その逆もあったり…。

でもさ、『危険だから』って取り上げていたら『痛みの分からない子どもが育つ』っておいらは思っている。

公園の遊具が、かなり減った気がしてならない。
おいらの頃には小さな公園でも『懸垂型シーソー』とか『回旋塔』とか『ボックス型ブランコ』とか、いっぱいあったよな。
痛ましい事故がある度に、公園から遊具は姿を消していった。

事故は、すごく悲しい。
だから…子どもの楽しい遊具を取り上げて良いものか…と思う。

事故の原因が『絶対に』遊具のメンテ不足であってはならない。
でも、それ以外の事故はどんなに『防ごうと思っていても』起こる。
もっと言ってしまえば『遊具があろうとなかろうと』起こる。
悪いのは遊具があることではなく、遊びのルール。

年齢が低ければ体も小さいし体力も無い。
手が届かなければ触ることもできない。
だから手が届く範囲で、手が届くものを使って遊びを考える。
そうやって徐々に大きくなって、手が届くものが増えて、遊びの幅が広がるんだと思う。

体力がつけば、必然的にパワーが出る。
やがて、自分の目一杯の体力が自分でコントロールできる限界を超える瞬間がやってくる。
怪我はそんな時におこる。

走っていて、転ぶ。
木登りしていて、落ちる。

そういう失敗の経験が、痛みの記憶として残る。
このスピードは、ヤバイ。
この高さは、マズイ。

危険の基準とは『相対的なもの』で、
『何かをしたから』とか『しなかったから』…ではない。
ましてや、『何かを身に着けているから安全』なんてあり得ない。

オヤジの役目として思うのは、子どもがやりたいと思う事をどれだけ助けてあげられるか。
行動するということは、多かれ少なかれのリスクを必ず背負う。
危険を回避する指導、危険に備える防具、危険が少ないフィールド。

例えば、ジープトラックのようなジャリ道より、芝の上の方が転んだ衝撃は少ないだろう。
人の多い公園なら、朝早くの様に利用者の少ない時間帯を狙えばいい。
万が一に備えて、ヘルメットやグラブの着用。

絶対安全な…は MTB に限らず、ムリ。
なぜ、その時間帯で、その場所で、その防具なのか?
その核心をコントロールして、遊ばせる。
やがて、子どもたちが『なんでオヤジがそこのコントロールを手放さなかったのか』分かる日が来るまで。

公園の遊具の事故より、交通事故の方が圧倒的に多いはず。
なのに、遊具は危険だから…といって撤去して、
自転車のルールは放ったらかしか?
…なんか違うよなぁ。

公園から遊具が消えるように、責任を放棄するのではなく、
自分なりの基準をもって遊ぶこと。
危険の基準とは、そんな事だと思うんだ。



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