大正10年、岐阜の写真館(瀬古写真館)で撮られた、左から川端康成、伊藤初
代、三明永無です。
大正9年(1919)、川端康成は、東京のカフェで、伊藤初代さんと会います。
初代は、その後、カフェのマダムの姉の実家の西方寺(小説では、加納の寺・澄願
寺)の養女となりますが、川端は、翌大正10年には初代さんを訪ね、一度は、結
婚の約束を交わします。
この時、川端は、23歳、伊藤初代さんは、16歳です。
しかし、初代さんは、直後に結婚の約束を破棄して、川端康成の初恋は実りません
でした。
伊豆の踊り子が先か、伊藤初代さんとの事が川端康成の初恋か定かでは、ありませ
んが、結婚を意識したのは、明らかかに、この時と言われています。
川端康成は、この時の出来事を、『南方の火』『篝火』『非常』など一連の(ちよ
物)と言われる小説、約10作に書いています。
それほどの思いだったと思われます。
長良川河畔から、鵜飼を見るシーンや、南岸の宿(港館→現在のホテルパーク)
で、トランプや夕食をとったことなども小説に書かれています。
川端文学を語る上で、岐阜のことは、伊豆の踊り子などそれから作品が生まれる上
で大きなポイントとなっています。
そんな訳で、『川端康成ゆかりの岐阜』『川端康成ゆかりの宿(港館→現ホテルパ
ーク)』を大大PR中です。
先日、長良川に行った時、その加納の寺(澄願寺→西方寺)を訪ねてみました。
岐阜駅の南口より徒歩6~7分で行くことが出来ます。
わかり易い場所にあります。
小説によりと、当時は、岐阜名産の雨傘と提灯を作る家が多かった田舎町のようで
す。
今は、余りその面影はありませんでした。
もちろん本堂も当時とは、建て替えられたものです。
来年は、川端康成の生誕110年にあたる年です。
『川端康成ゆかりの地』岐阜の街をたどる旅を提案して行きたいと思っています。
この西方寺のあろ、加納天満宮や陸橋跡~柳ヶ瀬本通・・・・・・
ゆかりの地を訪ねる旅のコースも作りました。
このブログなどで紹介していきます。