長良川温泉 ホテルパーク

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信長公と鵜飼い だから銅像なのです

2009-10-02 02:03:46 | スタッフ日記
 どこからか金木犀の薫りが風に乗って参ります。
 まさに秋たけなわ、長良川の鵜飼いもいよいよラスト二週間、有終の美を飾る時がやって参ります。この秋の鵜飼いの風情ははまた、格別のものであることはすでに述べました。
      http://blog.goo.ne.jp/hotel-park/d/20090911

 また前回は、JR岐阜駅の一連のリニューアルが完工を迎え、金の信長像の除幕をもってその祝賀の行事が行われたことも述べました。
 さて、その信長公なのですが、お隣の尾張の出身でありながら、濃姫の父、道三の仇をとる形で岐阜入りをして以降、この地で天下を狙い上洛の機会を待ったことはご存じの通りですね。

               
          伝統的な肖像 一周忌のものといわれる

 戦国のまっただ中にあって、この信長公、戦に明け暮れていたように思われがちですが、そうばかりではありませんでした。この地に今でいうフリーマーケットのような楽市楽座を開設し、城下の経済や文物の交流を活性化したのもその業績に数えられています。

                
          写実的な肖像 宣教師によるものといわれる

 ところで、この信長公と鵜飼いとの繋がりをご存じでしょうか。
 1564(永禄7)年、30歳の信長公は一夜、長良川の鵜飼いを見物し、その風情にいたく感動し、鵜を使う者たちそれぞれに「鵜匠」の名称を授け、鷹匠と同様に遇することとしました。さらに、鵜匠一戸につき米10俵を与えたといわれます。
 今日、私たちが当たり前のように使っている「鵜匠」という言葉の発端はここにあったのです。これがまた、後世、岐阜の鵜匠たちが宮内庁式部職としての地位を得る前史となっているのです。
 現在もなお続く皇室との深い繋がりも岐阜の鵜飼いの特色なのですが、それらにつきましてはまた、改めてお話ししましょう。

        
            今回、駅頭に建った銅像から

 さて、冒頭に書きましたように鵜飼いも後二週間、私たちはこの名残の鵜飼いがつつがなく終わりますことを祈りながら、またそれをご覧にお越しになるお客様にちゃんとしたおもてなしが出来ますよう精進いたしたいと思います。
 それが、445年前、信長公から賜ったご声援にも報いることだと思うからです。