増え続けてきた年賀葉書の販売数量が減少に転じてきたそうです。
団塊の世代の大量退職に伴う、仕事の義理にからむ賀状が減ってきていることも一因でしょうが、最大の原因はパソコンや携帯電話によるメールが一般に普及し個人と個人の交信が手軽に出来るようになったことです。
手紙や葉書は何かの改まった案内や知らせの他は先ず出すことはなくなり、電話も必要のない限り掛けませんがメールとなると、写真まで入れたりして、日常の出来事を気軽に報せ合えるようです。
だからこの普及までは、日頃取り立てて連絡することもなくて一年経った旧知の人に、せめて生きている証と一年の無沙汰と新年の祝詞とを全部兼ねて人間関係を維持するのが年賀状だったような気がします。
だから何十年も顔を見ず、賀状だけでお互いの無事を確認し合っている知合い知人も沢山います。
折角貰った賀状でも、あまりにも紋切型だったりすると有難味は少なく、近況などが記されたりしていると懐かしさ、嬉しさがこみ上げてきます。
私もせめて表書きは自筆で、それと一言でも自筆のコメントを付けるように心がけています。
団塊の世代の大量退職に伴う、仕事の義理にからむ賀状が減ってきていることも一因でしょうが、最大の原因はパソコンや携帯電話によるメールが一般に普及し個人と個人の交信が手軽に出来るようになったことです。
手紙や葉書は何かの改まった案内や知らせの他は先ず出すことはなくなり、電話も必要のない限り掛けませんがメールとなると、写真まで入れたりして、日常の出来事を気軽に報せ合えるようです。
だからこの普及までは、日頃取り立てて連絡することもなくて一年経った旧知の人に、せめて生きている証と一年の無沙汰と新年の祝詞とを全部兼ねて人間関係を維持するのが年賀状だったような気がします。
だから何十年も顔を見ず、賀状だけでお互いの無事を確認し合っている知合い知人も沢山います。
折角貰った賀状でも、あまりにも紋切型だったりすると有難味は少なく、近況などが記されたりしていると懐かしさ、嬉しさがこみ上げてきます。
私もせめて表書きは自筆で、それと一言でも自筆のコメントを付けるように心がけています。