カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

仕事探し

2015-03-31 14:54:36 | 日記

またこのストレスフルな状況になった。やっぱり働かないとお金が回らないので、54歳老体にむち打って仕事探しに取りかかる。もう移民申請はすっかり終了し後はただ待つだけなので、気が抜けたんだろうか。なにもせずただひっそり移民認定を待っていたい気持ちに駆られる。

現実、時給16ドル以上を目指しているがやっぱり移民してないといい仕事はもらえない仕組みになっているなぁ。ジャパレスか同じケアギバーかヘルスケアエイド(介護士)のしごとかで探している。もちろん英語力にも問題あるから何でも挑戦って言う元気はないのだけどね。

日本と違って病院の中で働くにしてもいろんな資格があっていろんな仕事がある。その中の一つの仕事ができそうかなと思いつつ検討中だが資格が必要だった。オンラインで14時間勉強し資格試験を受け、半年後に認定されるというもの。移民してなきゃ認定されないんじゃないかな?なんて疑問がある。石油はまだまだ低価格で政府がいよいよ税金を上げ始めた。石油、酒、車、いろんな登録料が跳ね上がる。石油会社、電気屋、洋服屋もドンドン倒産し、病院の改築にも予算が回らず、いろんなお金が削られ始めた。職を失ったカナディアンの救済が初めだから私たち外国人労働者はますます、みんながやりたくない時給が安くて重労働な仕事しか残らなくなってくる。いやぁわがままは言えないなぁ。

しかし税金申請の時期が来た、昨年度は低所得のシングルマザーで結構戻ってきたが今年も当てにしているすでに。

 


老人ホームへ引っ越し

2015-03-20 02:34:00 | 旅行

 長女の健診にあわせ、母に会いにいった。母は94歳で私はカナダだし、できるだけ都合を合わせて会いにいくことにしてる。今年は母も調子が悪く姉がちょくちょく田舎から様子を見に行っている。母がいつも行っているデイセンターに入居をお願いしたら、200人まちだそう。しかし順番に入る訳ではないらしく個々の事情によるようだ。人生を精一杯生きてきた母には幸運の神様がいつもついているように思える。何ことにも喜び感謝し、我慢強く自己より他者を思いやる姿勢が生きやすくしている。一月に申し込み2月末に入居可能の連絡を受け取った姉はほっとした。肝心の母は認知が悪化してて引っ越しを理解できない。会話は十分弾むのだが、1時間後にはまた忘れてしまう。忘れているのか理解する力がなくなってしまってるのか。。両方だろう。

引っ越しするということは私はもう帰る家がないということだ。日本にあるすべての荷物を今回整理した。膨大な写真の山をみると、可愛らしい娘たちの写真が沢山出てきた。本当に忙しかったけど楽しかった。母も沢山写真を撮ってくれていた。母は老人ホームに移動するだけなのに、家を片付けて空っぽになったのをみると、亡くなってしまったと錯覚してしまう。母のものを捨てるのは心が痛かった。カナダなら沢山寄付できるところがあるのに。特に母は着道楽だったので高価な洋服が沢山あり、少しは姉の友人がもらってくれるそうで安心した。

ホームに入ると、ちょっとの間だとずーと思っていてその度に説明。一度買い物に連れ出したら家に帰ると思っていたり、、昨日電話したら、皆さん親切でよく面倒見てくれてるって元気だから心配するなって、、どこ?カナダにいるの。と初めて聞いたような口調であった。母の貴重品は兄のところに置いてあると言ったら、じゃぁ兄のところに帰るんだねって、、、あぁ迎えを待ってるんだろうね。。。