この不思議な感覚はなんだろうと思う。
父がいて 母がいて きょうだいがいて 自分は 写真に写っていた小学生 。茶の間でリボンを読んでいる。
今は 自分も歳をとったし 近くに誰もいないけど、なんだかその頃の自分のままでいる様な気分になる時がある。亡くなった家族がもっと身近に思える不思議な気分はもしかしたら 小さなおりんを鳴らし 写真を見て合掌する事が日常化したからかもしれない。
認知症の母は、なくなる直前まで 故郷の大家族の長女の時代に戻っていた。私の存在はあまりなく 妹だと思っていた様だった。なぜその時代なのだろう。入院中母は母にとって知らない人(医療従事者)の対応に緊張していた。私や家族が見舞いに行くと 安心していた。そばにいるだけで良かったのだ。
私も事故災害のない限り、家系上 認知症になる時が来ると思う。その時私の記憶はいつの時代に留まるのであろうか。
こんなにお世話になってるパートナーの記憶が消えない様にしたいものである。
父がいて 母がいて きょうだいがいて 自分は 写真に写っていた小学生 。茶の間でリボンを読んでいる。
今は 自分も歳をとったし 近くに誰もいないけど、なんだかその頃の自分のままでいる様な気分になる時がある。亡くなった家族がもっと身近に思える不思議な気分はもしかしたら 小さなおりんを鳴らし 写真を見て合掌する事が日常化したからかもしれない。
認知症の母は、なくなる直前まで 故郷の大家族の長女の時代に戻っていた。私の存在はあまりなく 妹だと思っていた様だった。なぜその時代なのだろう。入院中母は母にとって知らない人(医療従事者)の対応に緊張していた。私や家族が見舞いに行くと 安心していた。そばにいるだけで良かったのだ。
私も事故災害のない限り、家系上 認知症になる時が来ると思う。その時私の記憶はいつの時代に留まるのであろうか。
こんなにお世話になってるパートナーの記憶が消えない様にしたいものである。