昨日 シニアホームの認知症の母に電話したらなにか手芸でもしてるらしい。はっきりした口調で、毎日仕事があ るからねぇ、と誇らしそうに話してる。95歳、いつも役に立つ人間でありたい母なのだ。母の幸せは?母は貧しかったから”ここにいるとごはんも上げ膳据え膳だし、みんなでおしゃべりして遊んで暮らしている。建物も新しくてきれいだしね。全くお金払ってないんだよ。でも誰もあいに来てくれないけどね(そんなことはない,忘れてしまってる)”
子供の頃から針仕事、畑仕事。長女として家族の面倒をし苦労しててきた母は結婚した後、働き者で節約家の父と洋服や、電気やを営み、老後は趣味や旅行も楽しんできた。前向きで明るい母の人生である。95歳となり終焉のときが近づいているのだろうが、今の母の記憶にあまり悲しい思い出は残っていない。死んだ父も兄も、一番親しかった妹も、母の今の記憶では生きているのである。悲しい記憶は消えたのか?それともたまたまか?自分の住処がなくなったことも記憶にない。これもまたいいようになってしまった
人それぞれ問題を抱えてるが、いつになっても感謝の気持ちは大事である。文句ばっかり言っている人には福は来ない仕組みになっいる。疫病神や貧乏神 が文句を言っている口からこぼれだしているのを想像する。そんな神にいつもまとわりつかれ、笑わなくなり、口はへの字に曲がり、人の批判ばかりしている。 たまにお年寄りにそんな人を見かける。どんな人生だったのであろうか?
愚痴をこぼすことは癖になるし、反対に明るく考えることも癖になる。訓練しだいだ。なんでも勉強すること、わからないことを理解する訓練が脳みそにかなり ポジティブな影響を与える。刺激になるのだ。ムヒカ大統領が言っていた生きているものしか人を幸せにできないって。わかる気がする。お金はあるとうれしいけど、すごく別の次元のような気がする。借金がまだ2000ドルあるけど、生きていけてる。お金はひとつの道具であって必要だと思えるものを少なくし、物欲をなくしていけばもっと裕福になれる気がする。