カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

クリスマスベーキング

2019-12-24 00:44:00 | ベーキング
明日はイブと切羽詰まったところでようやくクッキーを焼き始めた。配りたい人達の分も大量に作ったよ。
クマがナッツを抱えてるクッキーはお向かいのクリスマスパーティーで持って行ったら大好評。
昨日と今日は集中してアイシングクッキーに取りかかった。やるたびに新しい発見があって 卵の白みとアイシングシュガーはミキサーで十分混ぜたらフワフワになるし照りも出る。乾いた後色がムラになりにくい。
おそろしく時間がかかるのは段取りが悪い事。最初 色とデザインを決めて 色分のアイシングの柔らかいのとエッジ用の固めのを入れる為の先が尖った筒をクッキングシートで作っておく。
何個もアイシング書いてるうち 慣れてきて手早くなって来たよ。昨日は5時間かけてもたいして出来なかったけど今日は6時間で約 60こ作れた。クリスマス色の真っ赤と緑が色を多めに入れても出来ず、、何か違うんだろうなぁ。まあ 来年はクリスマスクラフトセールで クッキーも売ってみようと思う











遺言書の完成

2019-12-17 09:02:00 | 日記
一カ月後、遺言書が出来、弁護士宅を訪問した。3冊の分厚い用紙にサインをして行く。昔は日本語のサインをしていたがみんなが何書いてるか理解できないのも不便かなと思い英語のに変えた。最初にお互いの財産を金額にして書いてある。私は1ドル 笑笑
正直なところ今仕事もない、親の遺産相続は放棄、過去に海外で稼いだお金はとうの昔に生活費で消えた。かんぽ生命保険はカナダへの旅費学費でなくなった。借金が40 万残ってるけど毎年利子なしで7万づつ返してるので6年で終えるだろう。今思えば最高に稼いでたのは20 代から40 代。この時に作った貯金でなんとか乗り越えてやってきたよ。節約する習慣がついてなかったのが自分を苦しめでしまったなぁと思う。欲しい物はサッサと買うという悪習慣。
死んだら私達の財産相続者は誰なのか、私達がボケたらその権限を誰が代わりに執行出来るか、死期が近づいたときの延命行為の拒否を細かく書いて(食事介助、全ての点滴、抗生剤の拒否など)遺骨は海に散布、お葬式や棺桶は一番安くてOK。棺桶は段ボールかな?どうせ燃やしてしまうしね。
沢山サインして終了。後から弁護士が郵送してくれる。
パートナーの妹の息子さん達が遺言書の責任者になってくれるとの事でありがたい。命の次に大事なのはパスポートとPRカードだったがこれからは遺言書が加わるなぁ。


2か月間 咲いてくれて菊。そろそろ枯れてきました。




派遣の仕事

2019-12-13 00:15:00 | 日記
体調を崩してた東京に住んでる長女がようやく仕事を探し始めてる。厚生省で働く派遣の仕事でインタビューを受けるそうだ。直接娘に言えなかったがお役所の派遣ってあまりいい印象がない。
日本は世界一派遣が多い国とTVで見たことがある。昔 外務省の地方事務所で年契約で働いてた。社員は派遣社員がほとんどで彼らは一番仕事が出来る。所長 部長 1名の職員は東京の本部から2-3年おきに変わるので長年いる派遣社員をとても頼りにしている。やり手の派遣社員が正社員に採用されればいいのにってよく思ってた。
でもそれは不可能のようで派遣社員達がよく愚痴をこぼしていたのを聞いた。派遣で安い給料で働いてるのに 仕事以上責任のある事をやらされると。思えば契約違反じゃないか。でもやめたくないのでそのまま泣き寝入り。
カナダで一緒に苦労してケアギバー 時代を過ごしPRとった後、努力してお役所の仕事をしてる友人が何人かいる。まずは 派遣とかパートで入り 後には正社員になって待遇改善されてる。また働きつつもキャリアアップの資格を取って移動して経験値を上げることもできる。ここまでで終了って事はなくパートナーに話したら カナダはパートタイムで働く人は多いけど派遣ってあまり聞いた気とないなぁと。会社にとっても派遣じゃなくて パートから正社員にするのはメリットあるだろうに 日本のシステムはわからないなぁと。
カナダは面接時に年齢を聞いてはいけない、年齢や性別を理由に採用しないのは違反だそうだよ。
日本は就活してる学生へのセクハラが問題になっており男尊女卑とかパワハラとかいっぱいはびこる国なのだ。娘大丈夫かなぁ


初めてのクラフトセール

2019-12-08 13:31:00 | 手芸 裁縫 かぎ針編みの小物 編みぐるみなど
11月28日のお昼から4時までおばあちゃんのシニアホームでやったよ。もともとカメラのセールでイベントしてたパートナーは私より張り切ってて手順が良い。銀行で釣り銭を準備して沢山ポッケのついてる前掛けをジャラジャラ鳴らして嬉しそう 笑笑
私は値段がたかすぎないかなーとか心配ごとが多くなってしまってちょい不安。
まあ でも 沢山みんなに見てもらって 可愛い❤️と言ってもらって 270ドル売れ良かった!売り上げの半分はフォーワード ハウス メンタルサポートグループのお家に寄付。パートナーは暗闇で光るネックレスを30 本も売って60ドル稼いだと喜んでいた。
来年はもう一軒教会のバザーにも参加しよう。


小鳥さんが一番よく売れた。小さなものの方が遠くにいるお孫さんらに送りやすい様だ。



売れ残った帽子をクリスマスプレゼントにと思ったら子沢山のファミリーなので足りなくて大急ぎで編んだよ。


アフガニスタンの活動家 中村医師の死

2019-12-08 07:34:00 | 日記
砂漠を緑に変えた用水路事業、江戸時代の知恵を用い現地の人々が自分達で管理できる様な事業を20年以上に渡り実行し成果をあげ60万人を飢えから救っているという中村氏。仕事に行く途中銃弾を受け73歳の生涯を閉じられた。ネットであらためて素晴らしいご活躍されてたお姿を拝見。私も若い頃 他国であるが協力活動の現場にいたのでアフガニスタンの人々と同じ生活をし一緒に苦楽を共に生きてらっしゃる姿を身近に感じられた。しかし中でもアフガニスタンは危険度が高く私が所属していた組織で友人が15年前に派遣されてたが日本大使館の敷地内に住んでたという話を聞いた。中村氏はそんな時代に危険を顧みず国民達と埃まみれになり汗水を流してた。医師である経験をもとに医療の前に水と食べ物が国民に必要だと確信を持ち実行してた。
彼の計画は日本のODAも巻き込み拡大しこれからも後見者らに受け継がれていく。現地人の灌漑の専門家を養成する学校を作ると話された。最終的には自分達の力で出来る様に全て現地で調達する。草の根の協力が実を結びつづけてる。

アフリカでエイズ患者をケアしていた日本人がまず薬より食事を提供するとみんな回復してゆくと話してたのが思い出される。

御冥福をお祈りします。