今週は、この2冊。
図書館大戦争/
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/
■『図書館大戦争/ミハイル・エリザーロフ』 2016.2.27
『図書館大戦争』を読みました。
ぼくには、この本がよく理解できませんでした。
しかし、時々面白い部分が顔を出すので、最後まで本を置くことができなかった。
この本を読んだみなさんは、どんな感想を持ったのか........ 読書メーター
現実を塗り替える読書の魔力........ asahi.com [評者]星野智幸(小説家)
『 図書館大戦争/ミハイル・エリザーロフ/北川和美訳/河出書房新書 』
■『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/牧村康正+山田哲久』 2016.2.27
宇宙戦艦ヤマトのプロデューサの西崎義展氏が、小笠原の海で溺れて亡くなった、と新聞記事で読んだとき「溺れた」と意外な気がしたのを覚えています。
この本で、その時の疑問が解消されました。
この本、ぼくには、時々分かり難く読みにくいところはありましたが、西崎義展氏(以下敬称略)の人となりについては、よく知ることができました。
彼が、「宇宙戦艦ヤマト」を制作したときシナリオ、絵、音楽に徹底的にこだわり、お金と時間をかけることに糸目をつけなかった、周りのスタッフは鬼気迫るものを感じ、恐ろしいほどだったと話しているのですが、このことがひしひしと感じられます。
西崎義展については、「終章 さらば、ニシザキ」を読めばよく分かります。
少し長くなりますが、そのなかから3名の方の証言がおもしろく、ここに紹介します。
西崎に一番弟子とも評された山木泰人は次のように「ヤマト」の功績をまとめた。
「『ヤマト』が本当に凄いのは、テレビシリーズ第一話の最初の十五分。できれば僕の言葉を念頭に置いて、もう一度見てほしい。フィルム(画)の小さいのはともかくとして、なかでやっている処理、カメラワーク、音楽----これは今見ても映像をわかる人には震えがくるようなものがあります。『ヤマト』以前のアニメではやってないと思うようなことをやってますから」
バリバリのヤマト世代を自称する太田啓之(朝日新聞記者)はつぎのように総括した。
「『ヤマト』以前、テレビアニメは子供向け番組でしかなかった。宮崎駿や高畑勲たちが真摯に子供のためのアニメ制作に励んでいたんです。そこに一人の山師が来た。山師がいなければ先に進まない局面は世の中にある。西崎という山師の登場でアニメ界は動き出したんです。」
「ガンダム」の富野由悠季から、永遠の敵・西崎へ贈る檄メッセージ。
「アニメ界で敵だと思ったのは西崎だけ。死んだ今になったって、その敵意は変わらない。アニメの素人が安直なSF設定と臭いセリフ連発のオリジナル作品を作って、それで大ヒットさせちゃったんだから許せるはずはない。あんな奴にだけいい思いをさせられないから『ガンダム』は『ヤマト』に絶対負けられなかった」
女にだらしないというよりでたらめで、金にルーズ、巨額な負債を背負い込まされて地獄をみた人は累々だっただろう、殺してやりたいと思った人も一杯いたはずだ、アニメの制作過程で彼に罵倒されて耐えられず逃げ出した人、嫌気をさして抜けた人、数限りなく、それでも彼は平気の平左だった、意にも介さず常に気力一杯、今日も明日も周りの者達に檄を飛ばしまくった。
海千山千の老獪なプロデューサーがなぜ悪人ではなくて悪童だったのかといえば、「ヤマト」という作品への無邪気なまでの一途さを死ぬまで失わなかったからである。その一点で西崎の人生は明るさが灯っている。
この本では、西崎が「宇宙戦艦ヤマト」のある登場人物に深く思い入れをしたとあるのですが、さて、その思い入れた人物とは。
みなさん、誰でしょうか。
『 「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/牧村康正+山田哲久/講談社 』
図書館大戦争/
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/
■『図書館大戦争/ミハイル・エリザーロフ』 2016.2.27
『図書館大戦争』を読みました。
ぼくには、この本がよく理解できませんでした。
しかし、時々面白い部分が顔を出すので、最後まで本を置くことができなかった。
この本を読んだみなさんは、どんな感想を持ったのか........ 読書メーター
現実を塗り替える読書の魔力........ asahi.com [評者]星野智幸(小説家)
『 図書館大戦争/ミハイル・エリザーロフ/北川和美訳/河出書房新書 』
■『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/牧村康正+山田哲久』 2016.2.27
宇宙戦艦ヤマトのプロデューサの西崎義展氏が、小笠原の海で溺れて亡くなった、と新聞記事で読んだとき「溺れた」と意外な気がしたのを覚えています。
この本で、その時の疑問が解消されました。
この本、ぼくには、時々分かり難く読みにくいところはありましたが、西崎義展氏(以下敬称略)の人となりについては、よく知ることができました。
彼が、「宇宙戦艦ヤマト」を制作したときシナリオ、絵、音楽に徹底的にこだわり、お金と時間をかけることに糸目をつけなかった、周りのスタッフは鬼気迫るものを感じ、恐ろしいほどだったと話しているのですが、このことがひしひしと感じられます。
西崎義展については、「終章 さらば、ニシザキ」を読めばよく分かります。
少し長くなりますが、そのなかから3名の方の証言がおもしろく、ここに紹介します。
西崎に一番弟子とも評された山木泰人は次のように「ヤマト」の功績をまとめた。
「『ヤマト』が本当に凄いのは、テレビシリーズ第一話の最初の十五分。できれば僕の言葉を念頭に置いて、もう一度見てほしい。フィルム(画)の小さいのはともかくとして、なかでやっている処理、カメラワーク、音楽----これは今見ても映像をわかる人には震えがくるようなものがあります。『ヤマト』以前のアニメではやってないと思うようなことをやってますから」
バリバリのヤマト世代を自称する太田啓之(朝日新聞記者)はつぎのように総括した。
「『ヤマト』以前、テレビアニメは子供向け番組でしかなかった。宮崎駿や高畑勲たちが真摯に子供のためのアニメ制作に励んでいたんです。そこに一人の山師が来た。山師がいなければ先に進まない局面は世の中にある。西崎という山師の登場でアニメ界は動き出したんです。」
「ガンダム」の富野由悠季から、永遠の敵・西崎へ贈る檄メッセージ。
「アニメ界で敵だと思ったのは西崎だけ。死んだ今になったって、その敵意は変わらない。アニメの素人が安直なSF設定と臭いセリフ連発のオリジナル作品を作って、それで大ヒットさせちゃったんだから許せるはずはない。あんな奴にだけいい思いをさせられないから『ガンダム』は『ヤマト』に絶対負けられなかった」
女にだらしないというよりでたらめで、金にルーズ、巨額な負債を背負い込まされて地獄をみた人は累々だっただろう、殺してやりたいと思った人も一杯いたはずだ、アニメの制作過程で彼に罵倒されて耐えられず逃げ出した人、嫌気をさして抜けた人、数限りなく、それでも彼は平気の平左だった、意にも介さず常に気力一杯、今日も明日も周りの者達に檄を飛ばしまくった。
海千山千の老獪なプロデューサーがなぜ悪人ではなくて悪童だったのかといえば、「ヤマト」という作品への無邪気なまでの一途さを死ぬまで失わなかったからである。その一点で西崎の人生は明るさが灯っている。
この本では、西崎が「宇宙戦艦ヤマト」のある登場人物に深く思い入れをしたとあるのですが、さて、その思い入れた人物とは。
みなさん、誰でしょうか。
『 「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気/牧村康正+山田哲久/講談社 』