■とんこつQ&A 2022.10.3
今村夏子 『 とんこつQ&A 』 を読みました。
今村さんの作品を読むのは初めてです。
すっきりした文章で読みやすい。
地味で好印象の人物達だったが、どこかなんだか、段々、少しずつおかしくなってくる。
最初に感じた好印象は、薄れ、なんとなく薄気味悪くなる。
人間って一筋縄では、いかない。
2019年「 むらさきのスカートの女 」で第161回芥川賞を受賞。
朝日新聞書評2022.8.27 人間の厄介さに心はざわついて トミヤマユキコ
人間は純粋で愚かで邪悪でチャーミング。
今村作品を読む時間とは、人間の厄介さと向き合う時間なのかもしれない。
『Q15、メニューにとんこつラーメンがないのに、どうしてお店の名前は、“とんこつ”なの?』
『A15、この店、元々の名前は“敦煌(とんこう)”っていうんです。
どういう手違い、出来上がった看板は“敦煌”じゃなくて“とんこう”、そう平仮名になってたんです。
半年後、大型台風の直撃に遭って「とんこう」の「う」の点が風で飛ばされてしまいました。
店の前を通る人は壊れかけの看板を見上げて「とんこつ」と読むようになりました。
今では電話帳にも「とんこつ」で載ってます。』
「とんこつ」は、本格中華というより町の食堂といった雰囲気の店なのだ。
いつも下を向いてメモを読むわたしの姿は、常連さんにはお馴染みのものとなっていた。皆、見て見ぬふりをしているのか、ほとんどのお客さんは何も言ってこなかったけど、中には「何読んでるの?」と声をかけてくる人もいた。そういう時は誤魔化したりせず、手元のメモを見せると同時に、読み上げた。
『これですか? ただのメモです』
一瞬、困惑気味の表情を浮かべるお客さんも、それ以上は何も訊いてこなかった。
もっと早くから、わたしはメモなど必要としていなかったのかもしれない。ないと喋れない、と自分に暗示をかけていただけなのかも、もしくは、こんな自分を受け入れてくれる大将とぼっちゃんの優しさに、とことんまで甘えたかっただけなのかもしれない。
胸を張って、わたしは答えた。「“ありがとう”じゃなくて、“ありがとうございます”って言うようにしました。このほうがわたしらしいかなと思って」
「…………そうかもしれないね」
ぼっちゃんはポッリと言い、わたしに背を向けた。今ならわかる。あの寂しげな表情は、おそらくぼっちゃんなりの、わたしに対するメッセージだったのだ。だけど当時はそんなことを知る由もなかった。
幼稚園のれいこ先生などは、そんな彼のことを「あまのじゃぁく」と呼んでいたのだが、小学校へ上がると彼の言動は途端に「嘘つき」と見なされるようになった。
当時、姉のクラスでは与田正が何か発言をするたびに誰かが合いの手のように「嘘をつくな!」と声を上げることが流行したという。
そのまましばらく考えてみて、ようやく一つのことに思いあたった。
なるほどな。
子供時代に家族で囲んだ食卓と、父の言っていた言葉の意味。
そういうことか。
姉は気ずいているのだろうか。いくら耳を済ませても、姉のいるはずの隣の部屋からは物音一つ聞こえてこない。
そういうことなら、僕ももうじきだろうと思われた。…………自分が気がついていないだけで、すでにきえているのかもしれなかった。
『 とんこつQ&A/今村夏子/講談社 』
今村夏子 『 とんこつQ&A 』 を読みました。
今村さんの作品を読むのは初めてです。
すっきりした文章で読みやすい。
地味で好印象の人物達だったが、どこかなんだか、段々、少しずつおかしくなってくる。
最初に感じた好印象は、薄れ、なんとなく薄気味悪くなる。
人間って一筋縄では、いかない。
2019年「 むらさきのスカートの女 」で第161回芥川賞を受賞。
朝日新聞書評2022.8.27 人間の厄介さに心はざわついて トミヤマユキコ
人間は純粋で愚かで邪悪でチャーミング。
今村作品を読む時間とは、人間の厄介さと向き合う時間なのかもしれない。
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『Q15、メニューにとんこつラーメンがないのに、どうしてお店の名前は、“とんこつ”なの?』
『A15、この店、元々の名前は“敦煌(とんこう)”っていうんです。
どういう手違い、出来上がった看板は“敦煌”じゃなくて“とんこう”、そう平仮名になってたんです。
半年後、大型台風の直撃に遭って「とんこう」の「う」の点が風で飛ばされてしまいました。
店の前を通る人は壊れかけの看板を見上げて「とんこつ」と読むようになりました。
今では電話帳にも「とんこつ」で載ってます。』
「とんこつ」は、本格中華というより町の食堂といった雰囲気の店なのだ。
いつも下を向いてメモを読むわたしの姿は、常連さんにはお馴染みのものとなっていた。皆、見て見ぬふりをしているのか、ほとんどのお客さんは何も言ってこなかったけど、中には「何読んでるの?」と声をかけてくる人もいた。そういう時は誤魔化したりせず、手元のメモを見せると同時に、読み上げた。
『これですか? ただのメモです』
一瞬、困惑気味の表情を浮かべるお客さんも、それ以上は何も訊いてこなかった。
もっと早くから、わたしはメモなど必要としていなかったのかもしれない。ないと喋れない、と自分に暗示をかけていただけなのかも、もしくは、こんな自分を受け入れてくれる大将とぼっちゃんの優しさに、とことんまで甘えたかっただけなのかもしれない。
胸を張って、わたしは答えた。「“ありがとう”じゃなくて、“ありがとうございます”って言うようにしました。このほうがわたしらしいかなと思って」
「…………そうかもしれないね」
ぼっちゃんはポッリと言い、わたしに背を向けた。今ならわかる。あの寂しげな表情は、おそらくぼっちゃんなりの、わたしに対するメッセージだったのだ。だけど当時はそんなことを知る由もなかった。
幼稚園のれいこ先生などは、そんな彼のことを「あまのじゃぁく」と呼んでいたのだが、小学校へ上がると彼の言動は途端に「嘘つき」と見なされるようになった。
当時、姉のクラスでは与田正が何か発言をするたびに誰かが合いの手のように「嘘をつくな!」と声を上げることが流行したという。
そのまましばらく考えてみて、ようやく一つのことに思いあたった。
なるほどな。
子供時代に家族で囲んだ食卓と、父の言っていた言葉の意味。
そういうことか。
姉は気ずいているのだろうか。いくら耳を済ませても、姉のいるはずの隣の部屋からは物音一つ聞こえてこない。
そういうことなら、僕ももうじきだろうと思われた。…………自分が気がついていないだけで、すでにきえているのかもしれなかった。
『 とんこつQ&A/今村夏子/講談社 』