■半身棺桶/山田風太郎 2017.9.11
ぼくは、自分では極めて平均的な人間だと感じている。
身長、体重から始まって、考え方や生き方も平凡そのもの。
吊しでも、ワイシャツでも、下着でも標準のMサイズ、食べ物の好みだって人並、極々、平均的なのです。
従って、ぼくの命も平均寿命の80歳前後か。 「このへんでそろそろいかがですか」 と必ずお迎えが来ると確信している。
その前には、間違っても出会わないはずです、死神さんと。
それでも、最近は片足ぐらいは棺桶に入っているかな、と感じている。
でもって、山田風太郎作 『半身棺桶』 を読んでみた。
「あとがき」を読めば、この随筆の内容が分かりやすく解説されている。
「半身棺桶」というタイトルは、冒頭に「人間の死に方」について書いた文章を集めたからだが、あまり遠くない日、自分が棺桶にはいるときには、この随筆だけをいれてもらえるかも知れない、と考えているからである。
随筆のテーマも、半分以上は依頼者の考えによるものだが、いちおうは「人間の死に方」「日常生活」「食味談」「旅行」「想い出」「雑感」「読書・作家の回想」などに分類してみたけれど、最初からそれほどはっきりした意図のない随筆だから、まあ牛のよだれをちぎったようなものである。
平々凡々たる生活であり、感想だが、私という人間がそうなのだからしかたがない。
この随筆は、上の説明にもあるようにⅠ(人間の死に方)~Ⅶ(読書・作家の回想)にまとめられている。
ぼくには、「Ⅰ 私の死ぬ話 」 が面白かった。
この随筆は、いつの日か私が死ぬかも知れないビョウキについて順々に書こうとしている.....
面白いと感じだ部分を抜き出してみる。
「人生の大事は、大半必然に来る。それなのに人生の最大事たる死は、大半偶然に来る」
「眠るがごとき大往生は当人の極楽である。同時に他人の地獄である」という警句を私は作ったが、当人にもけっこう地獄である。
若いころから私は、風光明媚な場所にゆくと、ふしぎにそこで野糞をしたくなるという悪癖があった。だから日本の名所の至るところ----私のいったところには、まずたいていは私の野糞の聖蹟があるはずだ。
つらつら考えるのに、人間は飲食という個体保存、性交という種族保存の大目的を達するためには、ただ天然自然の食欲、性欲ばかりにまかせず、それを促し、刺激し、高めるためにさまざまの工夫や仕掛けや雰囲気作りを案出した。それらの中には芸術と化したものさえある。しかるに排泄という食うに劣らぬ重大事に、それを鼓舞する何の芸も発明しないとは奇怪である。無芸大食という言葉があるが、無芸大便とはまさにこのことだ。
あんまり単純なしくみだけに、食事、性交を挑発するためには千変万化の工夫をこらす人類も手の加えようがないのか、食と性にはアペリチーフとか香辛料とか春画春本とかを作り出したのに、排泄のほうは人類発生のころと大差ない状態にまかせているようだ。便意をそそる音楽とか、脱糞を促す文学なんて聞いたことがない。悪臭だって、嘔吐を催させるだけで便通には無力である。
医者は便秘をなおすには、繊維質のものを食え、運動せよ、などというけれど、それで効き目があるようなら便秘で苦しむ人間はいない。ましてや、出したいときに出せ、なんて貯金のようにはゆかないのだ。貯金なら、たまるほど好都合だろうが。
先日のTV番組で、「息子が、初めて結婚相手を両親に紹介する席で、その彼女が大食いだったら」というのがあった。
出演した彼女たちは、「シュウマイ」の大食いと「お鮨と焼きそば」だった。
ぼくは、その食べる量に驚くとともに、彼女たちの出す糞の量はこんもり山の如く、水洗便所ではとても流しきれないほどだろうと彼女たちの顔をまじまじと見てしまった。
幸福のかたちは一つだが、不幸のかたちはさまざまだ
人間は生まれて来るときの姿は同じだが、死んでゆくときの姿は万人万様だ
「 Ⅶ 読書・作家の回想 」も面白かった。
明治の昔も漱石先生は「ふところ手をして、小さくなって暮らしたい」といった。
元和五年から寛永十八年まで平戸のオランダ商館に勤務していたフランソワ・カロンの『日本大王国志』によると、
「日本人は子供を注意深くまた柔和に教育する。たとえ子供たちが終夜やかましく泣いたり叫んだりしても、打擲することはほとんど、あるいは決してない。子供の理解力は習慣と年齢に従って生ずるものだから、辛抱と柔和をもって導かなければならないというのが彼らの解釈である」と、ある。
むろん、武士の家庭を見てのことだ。
昨今の親の子供への虐待は、いつごろから頻頻と起こる様になってしまったのだろうか。嘆かわしいことである。
山田風太郎に対するこんなエピソードもありました。
探偵小説の大先輩水谷準先生が「山田君には、ヒドイ目に会わされた。何しろひっくり返っているおれの口にウイスキーの瓶を突っこんでドクドク入れちゃうんだから」と悲鳴をあげられたようなたぐいの恐縮すべき所業もあった
作者の随筆には、たびたび登場する
「山田、列外へ!」
は、今回は一カ所のみでした。
教えられました。
吉凶あざなえる縄の如し。
盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)
山田風太郎 1922年-2001年7月28日逝去
「半身棺桶」出版 1991年10月31日
『 半身棺桶/山田風太郎/徳間書店 』
ぼくは、自分では極めて平均的な人間だと感じている。
身長、体重から始まって、考え方や生き方も平凡そのもの。
吊しでも、ワイシャツでも、下着でも標準のMサイズ、食べ物の好みだって人並、極々、平均的なのです。
従って、ぼくの命も平均寿命の80歳前後か。 「このへんでそろそろいかがですか」 と必ずお迎えが来ると確信している。
その前には、間違っても出会わないはずです、死神さんと。
それでも、最近は片足ぐらいは棺桶に入っているかな、と感じている。
でもって、山田風太郎作 『半身棺桶』 を読んでみた。
「あとがき」を読めば、この随筆の内容が分かりやすく解説されている。
「半身棺桶」というタイトルは、冒頭に「人間の死に方」について書いた文章を集めたからだが、あまり遠くない日、自分が棺桶にはいるときには、この随筆だけをいれてもらえるかも知れない、と考えているからである。
随筆のテーマも、半分以上は依頼者の考えによるものだが、いちおうは「人間の死に方」「日常生活」「食味談」「旅行」「想い出」「雑感」「読書・作家の回想」などに分類してみたけれど、最初からそれほどはっきりした意図のない随筆だから、まあ牛のよだれをちぎったようなものである。
平々凡々たる生活であり、感想だが、私という人間がそうなのだからしかたがない。
この随筆は、上の説明にもあるようにⅠ(人間の死に方)~Ⅶ(読書・作家の回想)にまとめられている。
ぼくには、「Ⅰ 私の死ぬ話 」 が面白かった。
この随筆は、いつの日か私が死ぬかも知れないビョウキについて順々に書こうとしている.....
面白いと感じだ部分を抜き出してみる。
「人生の大事は、大半必然に来る。それなのに人生の最大事たる死は、大半偶然に来る」
「眠るがごとき大往生は当人の極楽である。同時に他人の地獄である」という警句を私は作ったが、当人にもけっこう地獄である。
若いころから私は、風光明媚な場所にゆくと、ふしぎにそこで野糞をしたくなるという悪癖があった。だから日本の名所の至るところ----私のいったところには、まずたいていは私の野糞の聖蹟があるはずだ。
つらつら考えるのに、人間は飲食という個体保存、性交という種族保存の大目的を達するためには、ただ天然自然の食欲、性欲ばかりにまかせず、それを促し、刺激し、高めるためにさまざまの工夫や仕掛けや雰囲気作りを案出した。それらの中には芸術と化したものさえある。しかるに排泄という食うに劣らぬ重大事に、それを鼓舞する何の芸も発明しないとは奇怪である。無芸大食という言葉があるが、無芸大便とはまさにこのことだ。
あんまり単純なしくみだけに、食事、性交を挑発するためには千変万化の工夫をこらす人類も手の加えようがないのか、食と性にはアペリチーフとか香辛料とか春画春本とかを作り出したのに、排泄のほうは人類発生のころと大差ない状態にまかせているようだ。便意をそそる音楽とか、脱糞を促す文学なんて聞いたことがない。悪臭だって、嘔吐を催させるだけで便通には無力である。
医者は便秘をなおすには、繊維質のものを食え、運動せよ、などというけれど、それで効き目があるようなら便秘で苦しむ人間はいない。ましてや、出したいときに出せ、なんて貯金のようにはゆかないのだ。貯金なら、たまるほど好都合だろうが。
先日のTV番組で、「息子が、初めて結婚相手を両親に紹介する席で、その彼女が大食いだったら」というのがあった。
出演した彼女たちは、「シュウマイ」の大食いと「お鮨と焼きそば」だった。
ぼくは、その食べる量に驚くとともに、彼女たちの出す糞の量はこんもり山の如く、水洗便所ではとても流しきれないほどだろうと彼女たちの顔をまじまじと見てしまった。
幸福のかたちは一つだが、不幸のかたちはさまざまだ
人間は生まれて来るときの姿は同じだが、死んでゆくときの姿は万人万様だ
「 Ⅶ 読書・作家の回想 」も面白かった。
明治の昔も漱石先生は「ふところ手をして、小さくなって暮らしたい」といった。
元和五年から寛永十八年まで平戸のオランダ商館に勤務していたフランソワ・カロンの『日本大王国志』によると、
「日本人は子供を注意深くまた柔和に教育する。たとえ子供たちが終夜やかましく泣いたり叫んだりしても、打擲することはほとんど、あるいは決してない。子供の理解力は習慣と年齢に従って生ずるものだから、辛抱と柔和をもって導かなければならないというのが彼らの解釈である」と、ある。
むろん、武士の家庭を見てのことだ。
昨今の親の子供への虐待は、いつごろから頻頻と起こる様になってしまったのだろうか。嘆かわしいことである。
山田風太郎に対するこんなエピソードもありました。
探偵小説の大先輩水谷準先生が「山田君には、ヒドイ目に会わされた。何しろひっくり返っているおれの口にウイスキーの瓶を突っこんでドクドク入れちゃうんだから」と悲鳴をあげられたようなたぐいの恐縮すべき所業もあった
作者の随筆には、たびたび登場する
「山田、列外へ!」
は、今回は一カ所のみでした。
教えられました。
吉凶あざなえる縄の如し。
盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)
山田風太郎 1922年-2001年7月28日逝去
「半身棺桶」出版 1991年10月31日
『 半身棺桶/山田風太郎/徳間書店 』
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