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「夜よりほかに聴くものもなし」 ロマンティックな題名のミステリは

2017年09月12日 | もう一冊読んでみた
夜よりほかに聴くものもなし/山田風太郎  2017.9.12

ミステリ国の人々』(有栖川有栖)紹介の古典、その7は、山田風太郎作 『夜よりほかに聴くものもなし』 です。

『ミステリ国の人々』の紹介文。

 中禅寺秋彦(京極夏彦)の「この世に不思議なことなど何もないのだよ」は名台詞だが、口癖にも取れる。
 判で捺したように必ずある言葉で決めてみせる探偵はいないかと考えていたら、一人浮かんだ。八坂刑事である。
 山田風太郎の『夜よりほかに聴くものもなし』に登場しただけなのだが、この本は連作短編集で、十編が収められている。そのすべてで、八坂はまったく同じ台詞を繰り返す。しかも、それが最後の一行なのだから印象深い。
 ロマンティックだが哀しげなタイトルは、ポール・ヴェルレーヌの詩からの引用。タイトルが暗示するとおり、憂愁に満ちてほろ苦いミステリだ。
 八坂(姓しか出てこない)は、第一話『証言』の冒頭によると、郷里を出てから「五十の坂を越えるまで、東京で刑事をつづけてきた」男で、七十八歳の母を亡くした直後のせいもあってか、「自分の人生に疲れている」のを感じ、打ち込んできた刑事生活が「一塊の、虚しい灰色の、ただ茫漠とした雲のよう」に思えてしまう。
 母の野辺送りをすませて帰ろうとしたところで、母子が車に撥ねられて死亡する現場に遭遇し、犯人を逮捕した彼は、「やはりおれは人をつかまえるのが天職」という信念をよみがえらせたのだが……。


ここで紹介されている印象深い、最後の一行とは。

  重い意味をふくんだ『それでも』だった。
  「おれは君に、手錠をかけなければならん」


初老の刑事、八坂はどのような人物として描かれているのでしょうか。

 男の眼にうっすらとうかんだ涙をみると、このとき刑事もふいに眼がうるむのをおぼえた。
刑事はこのごろひどく涙もろくなっているのを自覚していて、年のせいだとくやしがっていたから、さりげなくそっぽをむいた。

 「僕が告白する気になったのは、ただそのためばかりではありません。刑事さん、あなたが実にいい顔をしていらっしゃるからです。人生を知っていらっしゃる、そんな気がするからです。」
 「おれがいい顔? ばかなことをいっちゃこまる」
と、刑事は皺の刻まれた顔をなでて立ちあがった。


この短編集は、昭和三十七年に発表されました。
著者が、当時の日本の社会をどのようにみていたのかが分かる、幾つかの作品があります。
少し、長い引用になりますが、我慢して下さい。

 「ええ、面白い写真を手に入れましたわ。昭和二十年の秋ごろ、銀座の東宝ビルのそばに立っていた立看板を写真にとった人があるのですの。これですわ」
 「女事務員募集、年齢十八歳以上二十五歳迄。宿舎、被服、食料全部当方支給」
 「戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。R・A・A。

 「リクリエーション・アンド・アミューズメント・アソシエーション---特殊慰安施設、とでもいうのかね。終戦直後、政府のきもいりでつくられた進駐軍用の売春施設だ」
 「万一アメリカ兵のために良家の子女が手あたり次第に犠牲になるようなことがあるとこまるから、至急、それに対する肉体の防波堤をつくれという上層部の意向でね。
 「肉体の防波堤---進駐軍用の女郎部屋じゃありませんか。へえ、そんな命令を政府が出したんですか」

 土地成金。
 あの戦争で、地主ほど明暗をわけた階級はなかったでしょう。おなじ地主でありながら、日のあたる半面にいた者と、日陰になってしまった者と。----そして東京のような大都会の近郊に土地をもっていた地主や農家ほど、この世の春をうたった者はありますまい。
 結論からいえば、僕は非常に不当な社会現象だと思います。彼らはそれだけの報酬をうけるに足るべき、何らの個人的な努力も国家的な貢献もしちゃいないのです。

 税務署の壁にぶらさがっている『納税者の身になって』とか、『愛される税務署に』というスローガンは、署員の心得というより納税者に対する煙幕であって、ほんとうの目的は、ひたすらいかに効果的に税金を吸いあげるかにある。極端にいえば、申告が正確であろうがなかろうが、問題ではないのだ。とり得るところからとるのだ。(略)大企業をつっつく愚を犯すよりは、弱いほうへ、効果ある方へ収奪の矛先がむけられるのはやむを得ない。徴収の前年対比をノビと称し、ノビを出すことが至上命令であり、そのために『コスレコスレ』という隠語が上から飛ぶ。多量に徴収すればするほどその署員は有能のレッテルをはられるのだ。そのためにノルマが課され、大きなノルマを消化した者のみが、ビラミッド型の出世コースにのる。その知人の言葉によると、われわれは歯ぐるまというより、ピラミッドの石をはこぶエジプトの奴隷のような気がします、ということだった。

 「……いわゆる産業スパイですな」

 民衆というものは、愛する偶像と同時に、憎むべき対象をつねに求めるものだ。個人とは反対にむしろ愛するものより憎むべきものを欲してやまないのだった。巧妙な政治家は、じぶんを避けて、憎しみの対象をたえずつくりだし、それを民衆にあたえる人間だといっていいくらいだ。


ぼくに幼い頃を思い出させた話もありました。

 駅から隣県のT市にゆく大通りこそ薄く舗装してあるが、それらの集落にゆく横町へ一歩はいると、もうどろんこ道だ。畑の黒土にはまだみじかい青麦がそよぎ、まだ芽ぶかない雑木林に早春の風が冷たく鳴っていた。

通学路の道は、未舗装道路、穴ぼこだらけのどろんこ道。
ある雨の日、登校途中で、バスがはね飛ばした泥水を頭の先からつま先までぶっかけられてしまった。ぼくは、泣きながら家に引き返しました。 ばかやろー! ばかやろー!

母親が、「お釜おかま」と言ってたことを思い出しました。

 店(美容院)では、二、三人の婦人たちが椅子に座り、例の宇宙飛行士みたいなドライヤーをかぶって、ベチャクチャと小鳥みたいにさえずっていたが、ドアからのぞいた初老の男に、ピタリとだまりこんだ。

患者に癌を告知すべきか否か、真剣に論じられた時代もありました。

 こんどの病気と手術のことを知らせてきた弟の細君の手紙には、『主人には癌だということを知らせず、結核だと思わせてあるので、そのつもりでいてくれ』とあった。

人間というもの対する深い洞察もあります。

 時間をかけて……副社長が一番幸福なときを……
 あいつの無思慮な行為に罰をあたえるために、死刑以上の罰をあたえるために……それは、あいつの幸福の源泉を抹殺することです。

 どうなったっていい。この女と、のんきな、ばかげた暮らしをしてみたい。 ---そんな望みが、だんだんと焼けつくように心を占めていきました。
 その女の子は、いつも故郷の町へかえりたがっていました。燈台のある町、夜になると海峡の音が雨のようにきこえる町---そこへにげて、ひっそりとふたりで暮らす。---それがこの半年、僕の胸を占めていた夢想でした。


男なら、ふっとこんなことを夢想することもありますよね。

 「刑事さん、あなたは悪い奴をつかまえるのが商売ですが、どうです、人間の悪意による災難とか不幸なんてものは、しれたものだとは思いませんか。人間の不注意、錯覚、かんちがい、これらによる悲劇のほうが、質量ともにはるかに多くて深刻なものだと考えたことはないですか」

こんな大事件が、その後、日本の社会で実際に起こりました。

昭和の時代をあれこれと思い出させる、格好のミステリでした。



「夜よりほかに聴くものもなし」は、光文社文庫の 『ミステリー傑作選3/山田風太郎』 で読みました。
この傑作選は、p675、13編で構成されている短編集です。
ついでに他のミステリも読んでみました。
どれも面白く、山田風太郎ミステリ界を存分に堪能出来ました。

火曜サスペンスの様な話もあります。

 出世のために、古くからの恋人をすてる。まるでメロドラマの筋書きだ。小説ならば、いちばんいけすかない奴だ。しかし、それが自分の問題となると、話は別だ。人間は、他人のことならば何でも道徳的になるが、じぶんのこととなると、まったく理性を失うものだ。

ちょっとした軽はずみな行為が身の破滅。寄り道せず、まっすぐ家に帰れば良かったのに。

 不幸は手をたずさえてやってくる。

よくない出来事がこれでもかこれでもかと続々と押し寄せて来る。そして、人は堪えきれず罪を犯す。

昭和30年代は、「ガス使用の自殺をよそおった殺人が多かった」のか、そんな話もいくつかありました。危険きわまりないですね。爆発したらご近所迷惑。

読みやすく分かりやすい、うまい文章でした。

   『 夜よりほかに聴くものもなし
       /ミステリー傑作選3/山田風太郎/光文社文庫
 』


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