今週は、この3冊。
江戸<メディア表象>論/さようならを告げた夜/夜を希う
■江戸<メディア表象>論
イメージとしての<江戸>を問う 2016.5.14
ぼくにとって、目から鱗の本でした。
歴史認識として何が正しいかという論争とは明確に決別して、あくまでも現代社会における「江戸文化」の表象の構造を論じていく。
ぼくたちが高校で習った「鎖国」のイメージと、現在の高校で習う日本史の教科書の江戸時代の「鎖国」は、同じ記述だろうか。
「鎖国」は最初から一つの完全なお触れとして出されたものでなく、実質的には江戸時代末期のごく一時期にその政策を表明化されたものと言っていいだろう。だが、長い間、とくに第二次世界大戦以後の長期にわたって、江戸時代が暗黒の時代であったというイメージを人々に与えるのに便利な「術語」として、「鎖国」は日本史の教科書から時代小説、テレビドキュメンタリーに至るまで、多くのメディアによって強化されてきたのである。
今日に生きるぼくたちが行わなければならないことは、歴史記述がそれを語る時代からみた「物語」であることを認識したうえで、江戸時代を日本国内の武士階級の政治史、制度史として閉鎖的にとらえるのではなく、東アジアの海に存在する日本列島に居住した人々の生きた物語として、グローバルに、かつその時代を生きた普通の人々の生活の視点から見直すことではないだろうか。
江戸文化についてのメディア表象が、江戸時代の歴史的事実や個々の人物の史実にもとづくものではなく、それをとりあげる社会がそのときどきの都合によってデフォルメした、結果としての表象であることを意味している。そしてそれはとりもなおさずその時代の社会の「病理」を期せずして語ってしまっているということでもあろう。
江戸の街、そこで生きる「イヌ」にまつわるおもしろいおはなし。
野良犬の多さにも驚いた。
野良犬は捕まえられて、武家では建前上鷹狩りのタカのえさとされていたが、実際は武士自身がイヌの肉を食っていた。
逆に、野良犬は街路のストリートチルドレンを食べた。
このため、江戸の街路では、人間とイヌが食いつ食われつという関係にあった。
元禄当時の江戸の町方の人口は約五十万人(よく「江戸百万人」と言われるのは、武家の人口の「推定値」合わせた人口である)でそこにいたイヌは十五万頭以上であったと推定される。
「中野の犬小屋」に関する一六九六年(元禄九年)から一六九九年(元禄一二年)にかけて次々に出されたお触れに示されるように、幕府は江戸市中に巨大な犬小屋を建設し、そこに野良犬を収容したほどであった。中野の犬小屋にかかった総工費だけでも二〇万両(約二億円)だったといわれている。この約二九万坪の敷地の中に、最終的には約一〇万頭のイヌを集め、一頭に対して一日白米三合、みそ五〇匁、一〇頭でしょうゆ一斗を与えていた。
ぼくは、歌舞伎についてはまったく分かりませんが、歌舞伎について知識のある方は、この本、もっとおもしろく興味深く感じられることでしょう。
『 江戸<メディア表象>論 イメージとしての<江戸>を問う/奥野卓司/岩波書店 』
■さようならを告げた夜/マイクル・コリータ 2016.5.14
先週、マイクル・コリータさんの『深い森の灯台』を読みましたが、面白かったので、彼の処女作も読んでみたくなりました。
『さようならを告げた夜』です。
2004年、インディアナ大学在学中の弱冠21歳でこの小説を出版したのだというから、驚きです。
デビューから玄人はだしの面白いミステリーでした。
ビジネスの世界では、秘密は金だと、恐怖は梃子だと、知識は力だと告げたくなかった。
「人生にはいろんな人が現われ、去っていく。いつどうやって現れるかは選べないし、いつどうやって去るかも選べない。ただそこから学び、折り合いをつけて、前へ進むしかない。そういうものよ。あなたがしなきゃいけないのもそれ」
『 さようならを告げた夜/マイクル・コリータ/越前敏弥訳/早川書房 』
■夜を希(ねが)う/マイクル・コリータ 2016.5.14
さらに続けて、もう一冊。
『夜を希う』を読みました。
このミステリーも面白かった、特にp400以降は、特におもしろかった。
誰が、フランク・テンプル二世を当局に売ったのか、そして、その理由は。
『 夜を希う/マイクル・コリータ/青木悦子訳/創元推理文庫 』
江戸<メディア表象>論/さようならを告げた夜/夜を希う
■江戸<メディア表象>論
イメージとしての<江戸>を問う 2016.5.14
ぼくにとって、目から鱗の本でした。
歴史認識として何が正しいかという論争とは明確に決別して、あくまでも現代社会における「江戸文化」の表象の構造を論じていく。
ぼくたちが高校で習った「鎖国」のイメージと、現在の高校で習う日本史の教科書の江戸時代の「鎖国」は、同じ記述だろうか。
「鎖国」は最初から一つの完全なお触れとして出されたものでなく、実質的には江戸時代末期のごく一時期にその政策を表明化されたものと言っていいだろう。だが、長い間、とくに第二次世界大戦以後の長期にわたって、江戸時代が暗黒の時代であったというイメージを人々に与えるのに便利な「術語」として、「鎖国」は日本史の教科書から時代小説、テレビドキュメンタリーに至るまで、多くのメディアによって強化されてきたのである。
今日に生きるぼくたちが行わなければならないことは、歴史記述がそれを語る時代からみた「物語」であることを認識したうえで、江戸時代を日本国内の武士階級の政治史、制度史として閉鎖的にとらえるのではなく、東アジアの海に存在する日本列島に居住した人々の生きた物語として、グローバルに、かつその時代を生きた普通の人々の生活の視点から見直すことではないだろうか。
江戸文化についてのメディア表象が、江戸時代の歴史的事実や個々の人物の史実にもとづくものではなく、それをとりあげる社会がそのときどきの都合によってデフォルメした、結果としての表象であることを意味している。そしてそれはとりもなおさずその時代の社会の「病理」を期せずして語ってしまっているということでもあろう。
江戸の街、そこで生きる「イヌ」にまつわるおもしろいおはなし。
野良犬の多さにも驚いた。
野良犬は捕まえられて、武家では建前上鷹狩りのタカのえさとされていたが、実際は武士自身がイヌの肉を食っていた。
逆に、野良犬は街路のストリートチルドレンを食べた。
このため、江戸の街路では、人間とイヌが食いつ食われつという関係にあった。
元禄当時の江戸の町方の人口は約五十万人(よく「江戸百万人」と言われるのは、武家の人口の「推定値」合わせた人口である)でそこにいたイヌは十五万頭以上であったと推定される。
「中野の犬小屋」に関する一六九六年(元禄九年)から一六九九年(元禄一二年)にかけて次々に出されたお触れに示されるように、幕府は江戸市中に巨大な犬小屋を建設し、そこに野良犬を収容したほどであった。中野の犬小屋にかかった総工費だけでも二〇万両(約二億円)だったといわれている。この約二九万坪の敷地の中に、最終的には約一〇万頭のイヌを集め、一頭に対して一日白米三合、みそ五〇匁、一〇頭でしょうゆ一斗を与えていた。
ぼくは、歌舞伎についてはまったく分かりませんが、歌舞伎について知識のある方は、この本、もっとおもしろく興味深く感じられることでしょう。
『 江戸<メディア表象>論 イメージとしての<江戸>を問う/奥野卓司/岩波書店 』
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■さようならを告げた夜/マイクル・コリータ 2016.5.14
先週、マイクル・コリータさんの『深い森の灯台』を読みましたが、面白かったので、彼の処女作も読んでみたくなりました。
『さようならを告げた夜』です。
2004年、インディアナ大学在学中の弱冠21歳でこの小説を出版したのだというから、驚きです。
デビューから玄人はだしの面白いミステリーでした。
ビジネスの世界では、秘密は金だと、恐怖は梃子だと、知識は力だと告げたくなかった。
「人生にはいろんな人が現われ、去っていく。いつどうやって現れるかは選べないし、いつどうやって去るかも選べない。ただそこから学び、折り合いをつけて、前へ進むしかない。そういうものよ。あなたがしなきゃいけないのもそれ」
『 さようならを告げた夜/マイクル・コリータ/越前敏弥訳/早川書房 』
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■夜を希(ねが)う/マイクル・コリータ 2016.5.14
さらに続けて、もう一冊。
『夜を希う』を読みました。
このミステリーも面白かった、特にp400以降は、特におもしろかった。
誰が、フランク・テンプル二世を当局に売ったのか、そして、その理由は。
『 夜を希う/マイクル・コリータ/青木悦子訳/創元推理文庫 』
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