確か、昨日のNHKニュースで、この度、薬師寺の食堂の落慶法要が行われ、
そこの本尊である阿弥陀如来像が披露されたことを伝えていた。
(薬師寺のHPより)
この本尊を描かれた田渕俊夫さんは、次のような趣旨のことをおっしゃっていた。(かなりうろ覚えです)
本当に、素晴らしい作品であると思いましたので、書きとどめておきます。
「特に、眼をどのように書くかに悩んだ。一点を見つめているように書くと、多くの人を救えないし感じ。
一枚の絵ではあるが、皆さんに見てもらい、喜んでもらえることで、絵に魂が宿るような感じ。
まさに、絵師冥利につきます」
ちなみに、食堂とは(薬師寺のHPより)
食堂は僧侶が斎食をするための建物で、僧侶約300人が一堂に会する規模であったと発掘調査により判明しています。『薬師寺縁起』によると食堂の規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされており、その記録がほぼ裏付けられています。
創建当初の建物は天平2年(730)頃に建てられたとみられ、天禄4年(973)に焼失しました。その後、寛弘2年(1005)に再建されましたが、再び失われました。(年代不明)
新たに復興した食堂は、建物外観は奈良時代の意匠を凝らした作りとし、内部は現代技術を活用することで広い空間を確保し、食堂を多目的に利用することを想定しています。
堂内には田渕俊夫画伯により描かれた食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、全長約50メートルにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されます。
そこの本尊である阿弥陀如来像が披露されたことを伝えていた。
(薬師寺のHPより)
この本尊を描かれた田渕俊夫さんは、次のような趣旨のことをおっしゃっていた。(かなりうろ覚えです)
本当に、素晴らしい作品であると思いましたので、書きとどめておきます。
「特に、眼をどのように書くかに悩んだ。一点を見つめているように書くと、多くの人を救えないし感じ。
一枚の絵ではあるが、皆さんに見てもらい、喜んでもらえることで、絵に魂が宿るような感じ。
まさに、絵師冥利につきます」
ちなみに、食堂とは(薬師寺のHPより)
食堂は僧侶が斎食をするための建物で、僧侶約300人が一堂に会する規模であったと発掘調査により判明しています。『薬師寺縁起』によると食堂の規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされており、その記録がほぼ裏付けられています。
創建当初の建物は天平2年(730)頃に建てられたとみられ、天禄4年(973)に焼失しました。その後、寛弘2年(1005)に再建されましたが、再び失われました。(年代不明)
新たに復興した食堂は、建物外観は奈良時代の意匠を凝らした作りとし、内部は現代技術を活用することで広い空間を確保し、食堂を多目的に利用することを想定しています。
堂内には田渕俊夫画伯により描かれた食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、全長約50メートルにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されます。