マイブログを久しぶりに書く。
今日の記事を読んでいただく前に、前々回のマイブログから読んでいただきたい。
そこでは、「今ココ」で魂が喜ぶことをすることは人生最高の喜びだという『清貧の思想』の考えと、将来的なことを考えて今を行動しないといけないのではという考えがあることを書かせていただいた。
それから、少し考えてみたのだが、
「今」という時間は本当は「今ココ」の一瞬・一瞬だが、林修先生が使われている「今でしょ」的な使い方は「今ココ」よりもう少し広い時間を指していると思う。
それで、「今」を本当の今だけを指す言葉として「今ココ」、「今ココ」を除いてそれより少し広い時間を指して「今ソコ」と言うと勝手に定義させてもらうと、「今ソコ」という未来には何が起こるかわからない不安がいっぱいある気がする。
だから、「今ココ」を楽しめないのではないか?!
「今ココ」を楽しむには、「今ソコ」で急に起こる自然災害は別にして、体調管理や事故管理、金銭管理などを考えて行動し自信を持っておく必要があるように思う。
そうすれば、「今ココ」に集中して飲食、芸術鑑賞、会話、自然の移り変わり、恋愛などに集中できるのではないか?
でも、「今ソコ」にばかり集中すると今度は「今ココ」が楽しめなくなる。
だから、難しい。
『清貧の思想』では、病院での生活でも温かい日の午後の風が爽やかな時間帯には、普段は出せない大きな声が出せて嬉しいというような記述があったと思うが、そうした感情が生まれるのはどういう瞬間かを自分なりに知っているからできることかもしれない。
まとまりのない話ですが、一度考えてみてください。