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人間雑感

2020年08月13日 09時06分33秒 | 日記
チロチロチロ、コロコロ、リーッリーッ・・・。台風が去って急に秋の気配が濃くなりだした。
今年の夏は、幸い五月、六月の異常な暑さから予想された猛暑の夏ではなかった。
いや、蒸し暑さはあったのだが、あの、ギラつく太陽を目にした日は少なかった。
農業など外で仕事をする人には、好ましい夏だった。

いま迄生きて来た歳月を振り返ってみると、
いろいろな場面で人に助けてもらった事を思い出す。
ある時期にには、Iさん、ある時期にはTさんに、
随分助けてもらったと思う。
思い出してみるに付けありがたい気持ちが湧く。
その点で、自分は人の恩を感じ、人の徳を知った。
だが、世の中には、いつ如何なる状況に於いても、残念だが悪しき者と善き者がいる。
それは偏見ではなく明らかに事実なのだ。

これはどういう事なのだろうか。
思うに、人は生まれながらに
その性格は、その徳は定まっている。
自分ではどうにも成らない事でもあり、
或る意味、恐ろしい事だがどうもそうらしい。

友人達と話すと、育成歴だの、学業歴だの、家族歴だの、職業歴だの、
彼らが考える、後天的な原因に関する意見や見解の多くを聞いた。
だが、本当に人が教育歴で変わるのだろうか。
それは知識とか理解とかの、知的ストックの訓練と技術の面であって、
人が秘めている心と呼ぶものの全体像から謂えば
意識の層のごく表面の層に他ならないのではないか。

最も深部の層は、おそらく教育や環境では変わらない。
それは過去を受け継いでいて、生まれながら一種の刻印で定まっている。
それは、体も心も構成している遺伝子が大まかには決定しているのだろう。
だが、その束縛律がどの程度かは、今のところは分からない。
また、心の傾向のすべてが、その核酸情報で決まるとも思えない気がする。
それでも、精神的傾向の色彩に、かなり強い因果性を持つに違いない。

我々は通常、自己意識がすべてを決定すると思い込み勝ちだがそうではない。
何を求めるかは、自己が決定できない種類の古い根源的な衝動である。

脳の構造を見れば、それは一目瞭然である。
我々の意識の根源の本質的な部分は、
生命体が生まれた当初の脳幹の部分に在る。

そして進化論が主張するように、脳神経系の構造は、
魚類~両生類~爬虫類~哺乳類への様相を示している。

我々の日常意識は、一番上部の新皮質に乗っている意識だが、
それを動かして居るのは、古い皮質の衝動なのだという事も事実なのだ。
ただ古皮質の衝動には限りがあり、
人に因ってその本能の力の組み合わせには差異があるという事なのだろうか。

                                   2017年 9月 日記から
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