吉田光邦氏の「日本科学史」を読む、吉田さんは凄い思想家で、何冊もの秀でた本を書かれてゐてこの本も優れた著作である。初版は1957年で小生が小学校一年の時である。吉田さんの著作で一番初めに読んだものは「江戸の科学者」という著作である。何時の頃かは定かでは無い。和算の人物が紹介されてゐて大変に面白い。また此処には江戸時代の特筆すべき思想家が記述されており、森銑三先生の「オランダ正月」と共に愛読した著作である。この日本科学史が提起している問題の一つに、前書きで、吉田さんの先生でChina古代科学研究の泰斗である藪内清博士が書かれている様に、「日本文化の中から自然科学はなぜ生まれなかったか?」という問題に答えようとした物であろう。全般にアジアでは、日本を含めて数学的分析的な自然科学は生れなかった。
古代Chinaに、科学の萌芽が無かった訳ではないが、最終的には定量的な科学はうまれていない。Chinaの三大発明品とされている「羅針盤」(指南車)は、誰が最初に発明し、それが何処だかは本当の事は解らない。あとは「紙」と「火薬」である。紙は文字の有る文化でなければ当面必要とはしないが、有った方が便利には違いない。紙は集権国家には必要欠くべからざるものでしょう。紙で思われるのは、paperのその語源ともなったエジプト文明の「パピルス」です。彼らは、ナイル湖畔に群生するアシを集めてその繊維から紙を作った。植物の繊維が無い所では獣皮を使ったのでしょう。Chinaで紙が出来た時期は時代は特定できないが、記述の在る記録によれば、この紙を一般的に普及させた「蔡侖」という人物について吉田氏は別の著作、吉田光邦評論集Ⅰ(芸術の解析)で書かれている。