今年も、立春を過ぎて俄かに春めいてきました。この季節、春を感じるために昔の中国(特に北方)で食べられたのが生野菜を薄餅(バオビン。小麦粉を練って薄く延ばして焼いたもの)で巻いた、“春餅”(チュンビン)です。生野菜の細切りを並べたひと皿を“春盤”、「春のプレート」と言い、これらを食べることを“咬春”、「春を食べる」と言います。春の訪れを表現する、たいへん美しいことばだと思います。
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■ 正月里吃春盤、春餅,在旧時是北京人生活中的大事。清初陳維《陳検討集》記都門歳時道:
立春日啖春餅,謂之咬春;立春后出游,謂之討春。
・都門 du1men2 “門”には一族、家、家庭の意味がある。ここでは、都の家庭、の意味。
・啖 dan4 [書面語]食う。食わせる
正月に“春盤”(春のプレート)、“春餅”(チュンビン)を食べることは、昔は北京の人々の生活の中の重要行事であった。清の初め、陳維は《陳検討集》で都の家庭の歳時を記載してこう言っている:
立春に“春餅”を食べることを、“咬春”(春を食べる)と言う。立春の後、ピクニックに出かけることを、“討春”(春を求める)と言う。
■ 這就是北京綿綿数百載,為迎春而薦春盤,吃春餅的風俗習慣。這個風俗,早在一千年前的唐代就很普遍了。《四時宝鑑》記云:
立春日,都人做春餅,生菜,号春盤。
・綿綿 mian2mian2 [書面語]綿々と。長く続いて絶えないさま。
これは北京で綿々数百年続く、春を迎えるために春盤を勧め、春餅を食べる風俗習慣である。この習慣は、早くも一千年前の唐代には普及していた。《四時宝鑑》の記載に言う:
立春の日、都の人は春餅を作り、生野菜は、“春盤”と呼んだ。
■ 一千多年来,一直綿延到今天,也還有人做春餅吃,可見人們対于生活中有情趣的事,是多麼依依不捨地熱愛着呢。
・依依不捨 yi1yi1bu4she3 “依依”は名残を惜しむさま。“依依不捨”で別れを惜しむ。
一千年余り、ずっと連綿と今日まで、人々は春餅を作り、食べてきた。ここから、人々の生活の中の情趣に満ちた事に対し、こんなにも名残惜しげに愛着を持ってきたことが分かる。
■ 吃春餅要有両様東西:一是春盤,二是春餅。
春餅を食べるには、二種類のものが必要だ。一つ目は春盤、二つ目は春餅である。
■ 先説春盤。乾隆時《上書房消寒詩録》所收叶国観《咬春詩》云:
暖律潜催臘底春,登筵生菜記芳辰;
霊根属土含氷脆,細縷堆盤切玉。
佐酒暗香生匕夾,加餐清響動牙唇。
帝城節物郷園味,取次関心白髪新。
・匕 bi3 本来は、匙の意味。ここでは後に“夾”(はさむ)とあるので、箸や匙の類のことだろう。
先ず春盤(春のプレート)のことを言おう。清・乾隆帝の時、《上書房消寒詩録》に収められた叶国観の《咬春詩》に言う:
暖かさの足音が秘かに歳末の季節の底に潜む春を促し、宴会に出てきた生野菜が芳しい時節の到来を現わしていた。
根菜は土から取ったばかりで薄い氷が付いている。細く切って皿に並べられた様子は玉(ぎょく)を均等に切り揃えたかのように瑞々しい。
酒の肴を箸でつまむと仄かに生気が香り、追加された野菜を皆が食べている音が清らかに響き渡る。
都の季節の到来物は故郷の味がする。次の関心事は老いた白髪に黒いものが生えてくるかどうかだ。
■ 一句話,所謂春盤,第一就是要有生菜,尤其是要有生蘿蔔、白菜心,還可以用如《北京歳華記》所説的一瓜之値三金的鮮黄瓜。還有暖洞子培的黄芽韭也少不了的。高士奇詩云:
咬春蘿蔔同梨脆,処処辛盤食韭芽。
一言で言うと、いわゆる春盤とは、第一に生野菜がなければならず、とりわけ生のダイコン、白菜が必要で、また《北京歳華記》で言うところの「一瓜の値三金」の新鮮なキュウリがあればなお良い。また温室で育てられた黄ニラも欠かすことができない。高士奇の詩に言う:
春のダイコンを食べると梨のようにサクサクしている。あちこちでピリッと辛い春盤で黄ニラを食べている。
■ 并自注云:“黄芽韭初生最為美品。”這些都是給春盤増加無限春意的生菜。第二這些菜都要切成細絲。再加緑豆芽、開水焯過的緑菠菜,葷腥物醤鶏絲、白鶏絲、肚絲、蛋皮絲等等,以及醤肉(切成絲)、咸肉絲和在一起,故又叫作和菜。明末劉若愚《酌中志》云:
立春之時,無貴賤皆嚼蘿蔔,名曰咬春。互相請宴,吃春餅和菜。
又云:
初七日,人日,吃春餅和菜。這和菜就是春盤。
・焯 chao1 野菜をさっとゆでること。
・和 huo2或いはhuo4 捏ねる。混ぜる。一般に粉や水を混ぜる時に使う。普通、和えものを和える時は“拌”ban4を使う。
その注釈でこう言っている。「黄ニラは芽が出たばかりのものが美味しい。」これらは春盤に無限の春の息吹を増す生野菜である。第二にこれらの野菜は皆細切りに切られていなければならない。更にもやし、お湯でさっとゆでたホウレンソウ、肉類では醤油で煮た鶏の細切り、素茹でした鶏の細切り、豚の胃袋の細切り、薄焼き卵の細切りがあり、醤油煮の肉(細切りにする)、塩漬けベーコンの細切りといっしょに和える。それで“和菜”、「和えもの」と呼ぶのである。明末の劉若愚の《酌中志》に言う:
立春の時、身分の高い者も卑しい者も皆ダイコンを食べるが、それを“咬春”と言う。互いに宴席を開いて招待し合い、春餅(チュンビン)と野菜の和えものを食べる。
また言う:
正月七日を“人日”と言い、春餅と野菜の和えものを食べる。この野菜の和えものが“春盤”である。
■ 春餅就是薄餅,即全聚吃烤鴨時的那種薄餅,又名荷葉餅。不過家中做比店中好,面粉和的軟些,和好過一会儿再做。用両小塊水面,揉一揉,按按扁,中間抹些油,用扞面杖扞成薄餅,在平底鍋子上烙,時間不長,両面対翻之后,即発出餅香,熟了。拿在手中,軽軽一拍,因中間有油,自動分開,又可掀成両張。抹一点醤,把盤中的生、熟菜絲卷入餅中,便可大快朶頤了。家中吃時,春餅可以一辺烙、一辺吃,餅又熱、又軟、又香,不要説吃,就是這様説説,也口角生津了。吃過春餅,表示厳冬已去,燕台的春天又来了。
・扞 gan3 棒でものを延ばす
・扞面杖 gan3mian4zhang4 めん棒
・烙 lao4 フライパンや鉄板を熱して焼くこと。普通、“餅”(ビン=小麦粉を捏ねて薄く延ばしたもの)を焼くことを“烙餅”と言う。
・掀 xian1 めくり上げる
・大快朶頤 da4kuai4duo3yi2 “大快”は痛快に思うこと。“頤”は下顎のこと。“朶”は量詞。美味しくて、思わず顔がほころぶこと。
・口角 kou3jiao3 口もと。ちなみに、“口角”はkou3jue2と発音すると、口喧嘩する、口論する、という意味になる。
・生津 sheng1jin1 生唾が出てくる
・燕台 yan4tai2燕台とは、戦国時代、燕国の都、薊を見下ろす高台の名前だが、ここでは広く北京周辺の意味。
春餅は薄餅(バオビン)で、すなわち全聚で北京ダックを食べる時のあの薄餅がそうで、またの名を“荷葉餅”(ハスの葉の形の“餅”(ビン))と言う。家で作ったものの方が店のものより美味しい。小麦粉を柔らかく捏ねてあり、捏ねてしばらく置いてから作る。捏ねた小麦粉の小さな塊りを二つ、少し揉んでから、押しつけて平たくし、二つの間に油を塗って重ね、めん棒で延ばして薄い餅(ビン)にし、平底鍋で焼いてやる。時間はあまり長くなく、両面をひっくり返して、よい香りがしてきたら、焼き上がりである。手に取って、軽く叩いてやると、間に油が塗ってあるので、勝手に剥がれてくる。或いはめくり上げて二枚にしてもよい。味噌を少し塗って、皿の中の生野菜や肉の細切りを餅で巻いて、頬張ると思わず顔がほころぶ。家で食べる時は、春餅は焼きながら食べると、餅は熱々で、柔らかく、良い香りがして、何も言わなくても、このように言っただけで、口もとに生唾が湧いてくる。春餅を食べれば、厳しい冬はもう過ぎ去り、北京の春がまたやって来たことを表す。
■ 我久在外地,几十年中,很少回京華度歳。有一年有事正月里回京,下車之日,正好是正月初七,便戯写《浣溪沙》小令云:
稍怯余寒刺面酸,試灯期近政堪怜,西山如夢月依弦。
喜得帰車人日酒,犹思剪韭薦春盤,風城賦餅記団栾。
・浣溪沙 huan4xi1sha1 上下三つの七言句、計42文字から成る詩の形式。元々は唐代に教坊(音楽を司る役所)で作られた曲の名で、西施が若耶溪で薄衣(紗)の着物を洗った(“浣沙”)ことを歌ったもの。
・小令 xiao3ling4 元曲の一種で、民間の俗謡や民謡を取り入れたもの
・団栾 tuan2luan2 [書面語]丸い月
私は長い間外地に居て、数十年の間、ほとんど北京に帰って年末年始を過ごしたことがない。ある年、用事があったので正月に北京に帰った。車を降りた日が、ちょうど正月七日であったので、戯れに《浣溪沙》の小令を書いた:
春とはいえまだ寒く、冷風で顔が痛くならないか心配だ。元宵節が近づき家の細々とした事もなんとか片付けた。ふと西山の方を見ると三日月がぼんやりとかかっている。
喜々として家に帰りつけば、今日は人日(正月七日)の宴会だ。ニラを忘れずに切って入れたかどうか心配しつつ、春盤の野菜を勧める。《風城賦》では餅(ビン)は丸い月のようだと詠まれていたが(残念ながら今は三日月だ)。
■ 詞中用的就是春盤、春餅和束皙《餅賦》的典故。杜少陵詩云:“春日春盤細生菜。”即是。
・典故 dian3gu4 典故。故事。[用例]使用典故:故事を引用する
この詞の中で用いた春盤、春餅は、西晋の束皙の《餅賦》の故事に基づく。杜少陵の詩に言う、「春になり、春盤には細く切った生野菜が盛られている」がそれである。
■ 這古老的風俗遠自唐代就有了,這該是多麼富有生活情趣的風俗啊!它反映了我国古代労働人民対生活藝術的講究。我們不能数典忘祖,漠視這些古老的風俗,而応対它寄予応有的珍視才対。
・数典忘祖 shu3dian3wang4zu3 [成語]典籍を数え並べる時、自分の祖先が“司典”であったことを忘れる、ということから、物事も根本を忘れる譬え。或いは自国の歴史を知らない譬え。“典”とは典籍で、古代の法制を記載した書物。“司典”は典籍を司る官名である。
・漠視 mo4shi4 無視する。軽視する。(“漠視”はわざと冷たく対処することを言う)
・珍視 zhen1shi4 珍重する。大事にする。
この古い風習は遥か唐代にはもう存在しており、なんと生活の情緒に富んだ風習であろう!これは我が国古代の労働人民が生活芸術を重視していたことを反映している。私たちはこうした歴史を忘れてはならず、古い風習を軽視してはならない。それに対して然るべく大切にするべきである。
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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