布老虎
前回まで、粘土を焼いて作った中国各地の泥人形を紹介してきました。中国の伝統的なおもちゃにはもうひとつ、布で作ったおもちゃがあります。今回は、「香包」と「布老虎」を取り上げます。
香包
「香包」(におい袋)と「布老虎」(虎のぬいぐるみ)は何れも五月五日の端午節の季節の玩具であり、中国全土に存在します。端午節は中国語圏の伝統的な祝日です。端午節の起源にはいくつか説がありますが、その中でも、特に代表的なものは四つあります。ひとつは「屈原説」。端午節にちまきを食べ、ペーロン、或いはドラゴンボートの競争をするのは、戦国時代、楚の政治家で詩人であった屈原(紀元前4-3世紀)を哀悼して始まったものとされ、端午節は屈原の記念日とされています。ふたつめは「龍の祭り説」。ちまきを食べるのもボート競技も何れも龍が関係しており、五色の糸を腕に巻くのは、体を「龍に似せ」るための「入れ墨」の風習の名残であり、端午節は龍のお祭りであるとするものです。三つめは「悪日説」。端午節にヨモギや菖蒲を家の門に挿したり、入口に掛けたりするのは、夏の病を防ぐためで、昔の風習で旧暦五月を「悪月」と看做すのと呼応していて、端午節は「悪日」より来ているとするもの。四つめは「夏至説」。端午節の行事で、「闘百草」(グループで薬草採りをして、摘んだ種類の多さや内容を競う)、「薬草採り」、ちまきを食べるのは何れも古代の「夏至節」から来ており、端午節は別名を「中天節」と言い、その起源は夏至から来ているというもの。
闘百草
端午節は、季節の風俗として、古代からの長い歴史を通じ豊かな内容を持ち、人々の飲食、服装、住まいや生活環境、文化や体育活動など多方面に関わっています。
端午節になると、におい袋や虎のぬいぐるみを子供の胸元や袖口につけたりぶらさげたりするのは、中国全土で行われる風習です。その起源を見てみると、「五色の糸を腕に巻き付ける」古代の風習から来ていると思われます。
香包(におい袋)
『風俗通』という本の中で、こう記されています。
「五月五日に五色の糸を腕に巻くのは戦避けである。また病避けでもある。また屈原から来ているともいう。一名を「長命縷」(“縷”lǚは糸のこと)、また一名を「続命」、「避兵繒」(“繒”zèngはひもでくくること)、「五色絲」、「朱索」(“索”suǒは綱やロープのこと)などと言う。また腕飾りなど布で作ったアクセサリーもあり、皆互いに関係している。」
こうした風俗の記述は『抱朴子』、『荊楚歳時記』、『玉燭宝典』などの古書にも見られることから、漢代以降、人々は端午節に五色の糸を腕に巻いて邪鬼や戦を避けるのを習慣としてきたことがわかります。五色の糸は、青、赤、白、黒、黄の五種類の糸で、それぞれ東、南、西、北、中央の五つの方位を象徴しています。また、五色の糸を縫って四角の飾りを作り、胸元に付けることもありました。時代を経て受け継がれ、改良され変化してきました。北宋時代には端午の日に「百索」(端午節の縁起の良い飾りで、五色の糸を編んだもの)を売り、南宋時代には「百索を銅銭投げの賭けで販売し、子供は胸に掛けたり、髪の毛を縛るのに使ったりし、糸で結んだり、玉飾りを付け」たりし、宮廷の宰相以下の官僚たちは「百索」の色糸を結んで「経筒」(筒状の容器の中に経文を刷った紙を収めたもの)や「符袋」(御守り)を作って胸元に飾り、『抱朴子』に書かれた「赤い霊符を胸の前にぶらさげ」た故事に倣いました。
「百索」、五色の糸を腕に巻く
子供たちが手に巻いた「百索」
ここで言う「経筒」や「符袋」が今日の「香包」、つまりにおい袋のことです。宋代以降、五色の糸を腕に巻き、におい袋を身につける風習は益々一般的になり、今日に至るまで、におい袋の生産は盛んに生産され、全国各地で端午節の期間中は様々な香包、香袋、香嚢(何れもにおい袋の異なる言い方)が出回っています。
におい袋には様々な様式のものがありますが、概ね三つに分類することができます。ひとつは、十二支、獅子、双子(双魚)、盤腸(吉祥模様)、草花、珍禽、瑞獣、野菜、瓜などの形に似せたものです。
「盤腸」(吉祥模様)
ひとつはひし形、円形、方形、六角形、八角形、桝形、三日月形、扇形など幾何学図形。もうひとつは総合型で、いくつかのちいさなにおい袋を串状につなげたり結んだりして一組にしたもので、全国各地で内容は異なり、例えば北京では織物、麦わら、色紙、色糸で布老虎(虎のぬいぐるみ)、蓋簾(蠅帳)、ニンニクの茎と葉、箒、粽、クワの実、瓢箪などの形に作った小さなにおい袋を一列につなげました。陝西省北部では布老虎と、サソリ、ムカデ、蛇、蝎里虎子(鰐)、クモを一列につなぎました。西北地方では、カエル、十二支を使うのが喜ばれ、南方では大小大きさの違う粽が用いられました。どの地域のにおい袋にもそれぞれ異なった寓意があり、例えば北京のにおい袋のうちの「蓋簾」(蠅帳。はいちょう)は、夏に五穀を干して乾かすことを象徴し、箒は端午節の後、掃除に勤しむこと、瓢箪は毒気を抑圧することを象徴し、クワの実、粽は季節の野菜や果物を、ニンニクの茎と葉は毒を去って体を強くすることを象徴しています。
箒のにおい袋
陝西省北部のにおい袋のムカデ、サソリなどは五毒を象徴し、それに布老虎を加えることで「虎鎮五毒」、つまり虎が五毒を抑えるという意味になります。西北地方の十二支は、還暦を迎えてもまだまだ元気で、百歳まで長生きすることを象徴しています。
「虎鎮五毒」のにおい袋
十二支のにおい袋
におい袋は多くが木綿、絹、麻布などの織物を材料とし、裁断、刺繍、切り貼り、貼り付け、巻き付け、縄掛け、穴埋めなど様々な加工手段を用いて作られています。におい袋の中にはヨモギ、龍脳香、樟脳を入れ、中にはビャクダンや麝香など芳香を発する薬剤を入れたものもあり、子供の胸元や腕に掛けたり、枕元に掛けたりしました。古い習慣では、端午節が過ぎたら首に掛けていたにおい袋は捨てることで、疫病を除こうとしました。他人が捨てたにおい袋を見つけても、決して拾ってはならないとされました。さもないと不幸を招くことになるからです。現在、におい袋は子供のおもちゃや地方の旅行みやげとして盛んに作られていますが、におい袋を捨てることで災害を除く風習は今ではあまり見られません。
「布老虎」(虎のぬいぐるみ)は端午節の期間に盛んに売られる代表的な季節玩具です。「布老虎」の起源もたいへん古く、既に秦の時代には虎は神話に取り入れられ、『山海経』によれば、東海の度朔山dùshuòshānに二人の仙人が住んでいて、ひとりは神荼shénshū(しんと)、もうひとりは郁儡yùlǜ(うつるい)と言い、彼らは多くの鬼が出入りする門(「鬼門」)を守っていました。悪い鬼に出逢うと、アシの縄で鬼を縛り、虎に食べさせました。これより虎は神話の中で重要な地位を占めるようになりました。漢の時代、新年を迎える際に神荼と郁儡を家の門に描き、同時に虎も描きました。古代の人々は、虎は陰陽の陽で、「性、鬼魅(妖怪)を食す」ことから、虎を明るい所に描けば、鬼が驚いて逃げると考えました。民間の木版年画、切り紙細工、刺繍などの工芸美術品では、虎は重要な題材でした。例えば、山東省楊家埠(山東半島北部、濰坊市に属する)の木版年画(旧正月などに部屋に掛ける吉祥やめでたい気分を描いた絵)には「鎮宅神虎」、「威震山林」などがあり、その中には次のような詩句を題したものがありました。「虎は山を下りるとあちこち歩き回り、百獣たちの中でその力は諸侯に覇を称えた。良民や一般庶民の邪魔をせず、ただ悪党の手足や頭を食べた。」楊家埠の年画や福建省泉州の木版年画では、虎が「聚宝盆」(打ち出の小づちのように、取っても取っても尽きることなく宝物が出てくる鉢)を守る画題がよく見られます。絵の中に次のような詩句を題したものがあります。「猛虎は雄々しく威厳を持って山林に宿り、その咆哮は雷のようで鬼神を驚かせた。秦の始皇帝は山王獣に封じ、広く聚宝盆を守った。」また次のように書かれています。「鎮宅の神虎は多く清静、当朝の一品獣王に封じ、深山に立たず松林に合し、金銀聚宝盆を持守する。」民間の伝統的な観念では、虎は鬼を駆逐し家を鎮めるだけでなく、家財や富を守ることができました。このような寓意に基づき、「布老虎」が誕生したのだと思われます。
鎮宅神虎
威震山林
古い風習では、端午節のあいだ、人々は子供たちのために布老虎を作ったり、雄黄(鶏冠石ともいい、橙黄色で光沢のある塗料)を用いて子供の額に虎の顔を描き、それに「王」の字を書き入れたりすることが盛んに行われました。それは子供たちが虎のように勇敢で強く、健康に育つことを願ってのことでした。
子供の額に「王」の字を書く
端午節の「布老虎」種類は様々で、単頭虎、双頭虎(胴の両側に頭がついたもの)、さらに母虎、枕頭虎(胴が枕になったもの)、套虎(二頭、或いは何頭か、大小大きさの異なる虎がセットになったもの)などがありました。「布老虎」を作る材料、色彩、飾り模様、作り方には様々なバリエーションがあります。よく見かけるのは、綿布や絹の布を縫って作り、中には材木ののこぎり屑や穀物の糠を詰め、表面は上絵を描いたり、刺繍を施したり、切り紙を貼り付けたり、接ぎを施したりして、虎の目鼻、口耳や、体の模様を表現しました。
単頭虎
双頭虎
「布老虎」の造形は、頭が大きく、眼が大きく、口が大きく、銅は小さくして、虎の勇猛で威厳に富む様子を強調しました。同時に、大きく作られた頭や目鼻や口が、虎の天真爛漫であどけない様子を表現し、子供のように無邪気な様子を表しました。「布老虎」の作者は多くが農村の女性で、とりわけ老年の婦人が多く、作者は自分の子供が虎のように勇敢で丈夫であってほしいと願い、また虎が子供の友達になり、子供の健康や安全を守ってくれることを願いました。作者の創作の動機が虎の形や精神、性格の特徴を決定しました。「布老虎」一頭一頭に親の子供への期待や祈りが凝縮されており、そのため「布老虎」はこれほど人の心を動かし、人を惹きつけ、愛されてきたのだと思います。
河南省淮陽県では太吴陵廟会の期間、山東省莒南県では春節の期間、河北省新城県では元宵節(旧暦の1月15日)の期間、河南省浚県では「正月会」の期間、たくさんの「布老虎」が市場に出回り、人々の需要に応えました。こうした商品としての「布老虎」は、地域によってデザインや造り方で濃厚な地域性を見出すことができます。例えば北京地区の伝統的な「布虎」は多くが黄色い布を下地に用い、模様や目鼻、口、耳には黒、白、赤の緞子の生地を切って貼り付けています。山東省莒南県の「布老虎」は、赤、緑、茶色の染料で虎の紋を花の紋様に描いています。陝西省や山西省では、様々な縫い方を駆使して、刺繍で紋様を描きます。こうした「布老虎」は、邪鬼を追い払い、病や祟りを避け、幸福を祈るという寓意を持っています。
「老虎枕頭」(虎の形をした枕)は「布老虎」と同様、実用と玩具の性格を併せ持ち、虎枕には胴の一方だけが虎の頭の単頭虎枕、胴の両側に虎の頭が付いた双頭虎枕、枕に耳を保護する穴の開いた「耳枕」の区分があり、子供の寝具であるとともにおもちゃでもあります。
老虎枕頭
虎枕は、高承の『事物紀原』での考証によれば、西漢(前漢)の将軍、李広が虎を射た故事に起源を発するとされます。
この事件は晋代の葛洪『西京雑記』に見られます。
「李広と彼の兄弟たちはいっしょに冥山の北で狩をし、虎が横になっているのを見つけた。これを射て、一矢で仕留めた。その頭蓋骨を切って枕にし、猛獣をも屈服させたことを示威した。」
李広が虎を射殺して後、虎の頭を切り取って枕にした目的は、自分が猛獣を征服した功績を顕示するためで、この事件はやがて「虎枕の始まり」と言ってもてはやされるようになりました布製の虎枕の造形は、「布老虎」に比べるとより大雑把で簡単になり、虎の四本の足や尻尾は省略され、腰や背中はくぼませられ、横になって寝やすくされました。「耳枕」は腹ばいになって平たくなった虎の形に作られ、虎の背中の中央には穴が穿たれ、頭を横にして寝そべった時に耳が入るようにし、子供の耳が押されて圧迫されないようになっています。
耳枕
注目すべきは、「布老虎」は季節の節句の行事以外の人々の行事の中でも重要な役割を果たしていることです。華北地方や東北地方などでは昔から赤ん坊が生まれると「洗三」(赤ん坊が生まれて3日目に産湯を使わせること)の風習があり、昔はこれを「洗児会」と言い、赤ん坊が生まれて3日目に母方の親族が黒砂糖、卵、コメ、餅、母鶏などのお祝いを持って赤ん坊を見舞い、体を洗ってやりました。お祝いの品の中に必ず「布老虎」が含まれなければならず、この「布老虎」は子供の一生の中で初めてのおもちゃであり、貴重な誕生日の贈り物でした。子供が生まれて百日目、満一歳、或いは二歳の誕生日には、祖母、母方の祖母からも通常「布老虎」が贈られました。「布老虎」を贈ったり作ったりする習慣は、今日でもなお各地の農村で行われています。
洗三
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