中国語学習者のブログ

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沈宏非のグルメエッセイ: 【対訳】 大いに“火鍋”を語ろう(1)

2010年12月05日 | 中国グルメ(美食)
 鍋料理が美味しい季節になってきました。中国で鍋といったら羊のしゃぶしゃぶや重慶火鍋に代表される“火鍋”です。今回は、沈宏非のエッセイの中から火鍋について、中国語、日本語の対訳でご覧いただきます。中国語学習の息抜きになれば、と思います。

                   大話火鍋 (大いに鍋料理を語ろう)

■ 朔風漸起,新涼入序,第一時間想到的,就是火鍋。

・朔風 shuo4feng1

 北風 北風が次第に吹くようになり、新たな寒さが緒に就くと、先ず思いつくのが鍋のことである。

■ 漢族的飲食文化,差異不可謂不大。不過,地不分南北東西,人不分男女老幼,火鍋是一致的愛好。即使是処処標新立異的新新人類,“哈鍋族”亦大有人在。

・標新立異 [成語]新しい主張を唱え、異なった意見を表明する
・哈ha1……族 例えばアニメなどの日本文化が好きな“哈日族”のように、何かが好きでたまらない人たちのこと。

 漢民族の飲食文化は、その違いが大きくない訳ではない。しかし、場所の南北、東西を問わず、人の老若男女を問わず、“火鍋”は誰もが一致して好きなものだ。たとえあちらこちらに新しい主義主張を唱える新人類であっても、「鍋好き」はたくさん存在する。

■ 火鍋本不属于漢族,当年随清兵入関而伝入中原。在宮里,乾隆不僅無火鍋不歓,六次南巡途中,皆着地方接待単位沿途備火鍋伺候。另一種流行的説法是,早在公元六一八至九零六年間,火鍋就開始了由北向南的伝播,李白之“胡姫美如花,当炉笑春風”説的就是涮shuan4羊肉 的情景。也是学者認為,火鍋出現于成吉思汗時代,由蒙古而東北。

・入関 ここでは、明末、将軍・呉三桂が守っていた北京北方の居庸関を開いて降伏し、清軍が入京し、明が滅んだことを指す。“関”は北方の塞外と都の北京を隔てる居庸関のこと。
・伺候 ci4hou 世話をする

  “火鍋”は元々漢民族には属せず、清の兵隊と共に居庸関を越え、中原に伝わった。宮中では、乾隆帝は鍋料理が無いと機嫌が悪かっただけでなく、六度の南方視察の途中、どの地方の接待部署も火鍋を用意し、ご機嫌を取った。もうひとつの説は、西暦618年から906年の間、鍋料理は北から南へと伝わったというもので、李白が「胡姫の美は花の如し、炉に当たりては春風を笑す。」と言ったのは、羊のしゃぶしゃぶをする情景である。また、“火鍋”はジンギスカンの時代に出現し、モンゴルから東北部に伝わったと考える学者もいる。

* “当炉”を「炉に当たる」と訳しましたが、ここで言う“炉”は下から石炭で火を焚いた鍋のことで、「鍋を囲む」という意味だと思います。ウェートレスは“胡姫”ですから、西域から来た美女だったのでしょう。内陸の長安は、冬は氷点下まで気温が下がりますから、温かい鍋料理に春を感じ、思わず笑みがこぼれます。

■ 無論如何,這種被広東人称為“打辺炉”的進食方式,已由最初単純的涮shuan4肉濫觴至無所不涮shuan4。只是火鍋的基本形態依然故我:一口鍋(陶、瓦、金属、玻璃),底下生火(炭火、電火、柴火、蜡火、酒精、煤气),鍋里有水(高湯、麻辣或薬材湯),水一滚gun3,就開涮shuan4,万変不離其宗。

・濫觴 lan4shang1 ものごとの始まり。起源。
・故我 gu4wo3 昔のままの自分
・万変不離其宗 [成語]形式上いろいろ変わっても本質は変わらない

 とにかく、このような広東人が言うところの“打辺炉”という食事方式は、最初は単純に肉を湯にくぐらせることから始まり、遂には何でもかんでも湯にくぐらせて食べるというまでに至った。但し、火鍋の基本形態は依然として昔のままである。真ん中に煙突の突き出た鍋(陶器、素焼き、金属、ガラス製がある)の、底で火を焚きつける(熱源は炭、電気、薪、ロウソク、アルコール、ガスがある)。鍋にはスープを入れ(高湯(中華ハムや鶏や豚の煮出しスープ)、麻辣(四川風唐辛子スープ)、或いは漢方薬材の入ったスープ等がある)、水がぐらぐら沸いたら、食物を湯にくぐらせる。万事が変化しても、この点だけは変わらない。

*“打辺炉”:文字通り訳すと、ストーブの傍らで食事をする、となりますが、これも李白の詩の“当炉”と同様、「鍋を囲む」という意味だと思います。

■ 広東人対“打辺炉”的酷愛,往往令外地人詫異。作為一種苦寒地帯的飲食,竟然大行其道于“愆qian1陽所釈,暑湿所居”的嶺南,実在令人費解。

・詫異 cha4yi4 不思議に思う。いぶかる。
・嶺南 “五嶺”(越城嶺、都龐嶺、萌渚嶺、騎田嶺、大庾嶺の総称で、湖南、江西の南部から広東、広西との境界の地方)以南の地という意味で、広東・広西一帯を指す
・費解 fei4jie3 分かりにくい。難解である。

 広東人は“打辺炉”がたいへん好きで、しばしば外地人を不思議がらせる。酷寒地帯の飲食であったものが、意外にも「厳しい陽の光が広がり、暑さや湿気の甚だしい」嶺南の地で隆盛であるのは、実にわかりにくい。

■ 其実,嶺南的冬天也是冷的,雖然気温皆在摂氏十度左右,却有另一番銷魂蝕骨的冷法,那種湿湿的陰冷,未曾在広東過冬者很難体会。御寒的同時,粤人“打辺炉”的另一个動机,乃是貪図食物的新鮮与生猛。凡新鮮之物,肥牛、魚蝦、龍蝦、象拔蚌、生鮑、魚頭、猪脳 、狗肉、甲魚、鶏、鵞腸、驢肉、蛇段,肉丸以及各種蔬菜,几乎无所不用来“打鍋”。

・銷魂蝕骨 xiao1hun2shi2gu3 魂を奪われ骨を蝕む。程度が甚だしく、気持ちが沈む様。

 実際は、広東の冬は寒く、気温は摂氏10度前後だが、却ってうんざりして気持ちを萎えさせる冷え方である。そのじめじめした曇り空の寒さは、広東で冬を過ごしたことのない者にはわかりづらい。寒さを御すると同時に、広東人が“打辺炉”をするもうひとつの動機は、他でもなく新鮮で生きの良い食物を貪ることだ。およそ新鮮な物であれば、肥牛(脂身のついた牛肉)、エビ、ロブスター、象拔蚌(ミル貝)、生の鮑、魚頭(鰱魚lian2yu2レンギョの頭)、豚の脳みそ、犬の肉、スッポン、鶏、ガチョウの腸、ロバの肉、蛇のぶつ切り、肉団子、各種の野菜と、およそ鍋に入れないものは無い。

* “象拔蚌”xiang4ba2bang4というのは、広東の海鮮レストランで出てくる巨大な二枚貝で、身は薄切りにして供されます。足を出した形が象の鼻に似ているから、このような名前になったのでしょうか。“魚頭”はいわば魚のアラの料理。豆腐と共に煮た“魚頭豆腐”が有名ですが、通常、淡水魚を使い、特にレンギョの頭を使うことが多いようです。

■ 有殺錯無放過,有涮shuan4無類,很容易就磨滅了個性。説到個性,我認為京派的“涮shuan4羊肉”、川式的“麻辣燙tang4”,遠在“打辺炉”之上。

 殺し損なって入れることができなかったり、何でもかんでも湯にくぐらすのでは、あっという間に個性を失ってしまう。個性と言えば、私は北京式の“涮羊肉”(羊のしゃぶしゃぶ)、四川式の“麻辣燙”(唐辛子と山椒のスープの鍋)は“打辺炉”よりはるかに優れていると思う。

■ 与粤式打辺炉以及四川的麻辣燙相比,京式的涮羊肉,属于火鍋大系里另一派的掌門。

 広東式の“打辺炉”、四川の“麻辣燙”と比べ、北京式の“涮羊肉”は“火鍋大系”の一方の頭目である。

■ 這一派,不妨称之為“単一品種派”,即独沽一味,只涮羊肉。与此同時,湯底也簡単得多,除了羊肉之外,外置的調味料是成敗的要害。

・沽 gu1 売る/ 独沽一味:一つの風味、料理だけを売る

 この一派は、「単一品種派」と呼んで良い。つまり一つの風味だけで勝負する。ただ“涮羊肉”だけを売る。同時に、スープの中身もずっと簡単で、羊の肉を除くと、鍋から出した後つける調味料が勝敗の分かれ目である。

■ 最適宜涮食的羊肉,取自内蒙古錫林郭勒盟十四個月大的小尾頭綿羊,選料之后,切割更考師傅,因為只有切得薄,才可一涮即熟。過去夸誰家的涮羊肉好,一半是在称賛師傅的刀工。別猜,我説的就是“東来順”。現在好了,科技的進歩打破了手工的壟断,一概改用机器,毎五百克可以切出一百片,比人手切的還薄。

・壟断 long3duan4 独占

 しゃぶしゃぶに最も適した羊は、内蒙古錫林郭勒盟の生後14ヶ月の小尾黒頭綿羊である。食材を選んだ後、肉のカットでは更に職人を選ばないといけない。なぜなら、肉が薄くないと、一度湯をくぐらせただけで食べごろにならないからである。かつて、どの店の涮羊肉がおいしい、というのは、半分は親方の包丁さばきへの賞賛であった。言うまでも無く、私が言っているのは“東来順”のことだ。今は良くなった。科学技術の進歩が手作業の独占を打ち破り、どこでも機械を使うようになり、500グラムで100枚の肉を切り出すことができ、人の手で切ったものより薄くなった。

■ 説老実話,其実我并不特別喜歓吃這一片片的薄薄的東西,論羊肉,我只喜歓大塊的。但是,只要是冬天,只要人在北京,我就非得去涮上几回。空气里都是涮羊肉的味道,還有煤煙,那才是北京。一旦聞不到,整个人頓時就安全感尽失,惶惶不可終日。

・惶惶 huang2huang2 びくびくするさま/惶惶不可終日:恐怖のあまり生きた心地もしない

 正直に言うと、私はこの一枚一枚の薄い物が特別好きなわけではない。羊について言えば、私は塊の肉の方が好きだ。しかし、冬になり、北京にいる時は、私は何回かはしゃぶしゃぶしに行かない訳にいかない。空気に“涮羊肉”の臭いがあり、石炭の煙がある、それこそ北京なのだ。その臭いがしないと、人々は忽ち不安になり、びくびくして生きた心地がしなくなる。

■ 是故,我只在北京的街頭露天地開涮,不管有多冷。百年老店以及時髦的這居那居的,無不人山人海,頭頂上火炉乱飛,脚底下油膩横流,怕死了,再説那里面的暖气也譲我窒息。我喜歓在住処就近找一家小店,条件只有両个:

・人山人海 [成語]黒山の人だかり

 それゆえ、私はどんなに寒くても、北京の街頭の露天の店でしゃぶしゃぶを食べることにしている。百年の老舗とか流行のこの店、あの店というのは、黒山の人だかりでなくても、頭の上をコンロの炎が飛び交い、足元は油でギトギトしていて、おっかない。また、そういうところの暖房も、息が詰まりそうだ。私は宿舎の近くで小ぶりな店を捜すのが好きだ。条件はふたつだけ。

■ 第一,羊肉尚可;第二,可在戸外進行。

 第一、羊の肉の質がまあまあ。 第二、屋外で食べられること。

■ 此外,再来一瓶紅星牌二鍋頭,就用不着理我了。

 それ以外に、紅星ブランドの二鍋頭(白酒)が一瓶あれば、もう私をほっておいていただいて結構。

* 二鍋頭は、北京に行かれたことのある方はご存じでしょうが、高粱等を原料に作られた度数の高い白酒、いわば北京の地酒です。値段も安い、庶民の酒です。

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 続きは、次回で。お楽しみに。

【原文】 沈宏非 《食相報告》 四川人民出版社 2003年

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