日本から「雑務」がなくならないのはなぜ? 震源地は“東京のど真ん中”
ITmediaビジネスonlain より 沢渡あまね
「残業しない」「キャリアアップを望まない」社員が増加、人事制度を作り変えるべきでしょうか?
⚫︎新連載:沢渡あまねの「脱アナログ庁」
印刷、押印、製本、郵送、書留、FAX、出頭、PPAP、印紙、注文請書……。日本から無数の“雑務”がなくならないのはなぜなのか。いつになったら、私たちはスマートに働けるのだろうか? 本連載では350以上の企業や自治体、官公庁などでの組織や業務の改革支援を行ってきた沢渡あまね氏が、働き方の“悪しき常識”に疑問を呈し、改革への道筋を探っていく。
とにかくこの国は雑務が多い。「事務作業大国日本」と言っても過言ではないだろう。
何かにつけて書類を記入・提出させたり、紙やハンコ、製本などを求めたりするビジネス慣習や業務プロセス。それらのビジネス文書の作文が不適切なら差戻し(国語の授業ですか)。
おまけに証書の切り貼りを求め(図工の授業ですか)、ご丁寧に「書留で送れ」などと指示してくるものだから、目も当てられない。
その依頼文書は行政機関や取引先から、ある日突然、郵送またはメールで送られてくる。添付ファイルはお約束のように「PPAP」(添付ファイルzip圧縮、パスワード別送)。もはや様式美である。
こうした雑務は全てコストだ。何の付加価値もキャッシュも生まない。ともすれば、相手(取引先や申請者など)にタダ働きを強いるだけの悪しき慣習である。国のGDPも生産性も下がる。
⚫︎悪しき慣習、事務作業
働き手のエンゲージメントを下げる雑務
最近、日本の組織の雑務の多さを指摘する記事を目にした。
日本人は「テレワークだと仕事がはかどらない」 7カ国調査で唯一
アドビが日本や米国など7カ国で行った働き方に関する調査を紹介する記事で、タイトルだけで日本の後進国っぷりが情けなく悲しくなるが、筆者が最も気になったのは最後のこのくだりである。
「業務時間中に雑務にかける時間の割合を聞いたところ、日本が35.5%と7カ国中最多だった。来年転職したいかどうか尋ねたところ、日本では39%が転職を考えていた」
残念ながら、やはり日本の組織は雑務まみれの事務作業大国であると認めざるを得ないようだ。なおかつ、雑務は組織の生産性の足を引っ張るのはもちろん、専門性の高い人や成長意欲のある人のエンゲージメント(組織や仕事に対するロイヤリティーや帰属意識)を無駄に低くし、退職に誘う。
それにしても、なぜこの国はこんなにもひどい事務作業大国になってしまったのであろうか?
⚫︎はびこる雑務、“震源地”は霞が関か
筆者は、350以上の企業・自治体などで「働き方改革」「DX」「組織変革」「ダイバーシティー推進」の支援をしてきた。これらを阻害する要因はなにか?
掘りまくって最終的に行き着く先は、必ず霞が関なのである。
政府や中央省庁の仕事の流儀や組織カルチャー、税制や法制度、「生真面目かつ思考停止している」官僚や担当者の気質。これらが、日本の働き方やビジネスモデルが変わらない、DXや破壊的イノベーションを阻害する元凶であるのは間違いない。
筆者は2020年、「深夜閉庁を求める国民の会」に共同発起人の一人として名を連ねた。ワーク・ライフバランス社の代表・小室淑恵氏の呼びかけで発足した会で、霞が関の旧態依然の働き方の改善を求めるものだ。
深夜にわたる議会運営や、そのためのアナログな資料作成などの補助業務が、官僚や関係者の過酷な労働を強制する。タクシー代など多大な税金の無駄使い、国全体のデジタル政策の遅れ、民間企業の雑務や残業の増大、国家を担う人材の流出・質の低下など──霞が関が「日本のブラック労働の震源地」であることを強く指摘し、政府に改善を要求する活動である。
これまで筆者は、本当に改革したい熱意ある方々の講演依頼を除き、霞が関にはなるべく関わらないようにしていた。変えるには相手が大きすぎ、かつ闇深すぎるし、なおかつ仕事として関わろうにも報酬が話にならないくらい低い。
その割に、超煩雑でアナログな事務手続き(タダ働き)が多すぎる。賽の河原の石積みのごとし。関われば関わるほど無駄にHPとMP(体力と精神力)を消耗する。それに耐える寛容さと余力がある人でなければ、とてもでないとやっていられない。
ある意味、ボランティア活動なのだ。だったら、民間企業相手に仕事をしていた方が健康的だ。
しかし、それではやはりこの国の働き方もデジタル後進国ぶりもいつまでたっても好転しない。よって、せめてこうして声を挙げる活動をしている次第である。
霞が関ゆえのお作法や旧態依然のルールは、関わる民間企業や個人の働き方改革の邪魔をする。いくつか例を挙げよう。
(1)IT企業に印刷や製本をさせる
例えばITシステムの開発業務。受託企業に、設計書・納品書・報告書などを製本して納品させる慣習が、IT企業や現場のエンジニアを無駄に苦しめている。その声の一部を紹介しよう。
「私たちは印刷屋でも製本屋でもない。ITの仕事に専念したい」「官公庁が指定する印刷および製本のために、SEが専従で7営業日60時間稼働する。本当にばかばかしい」
「紙の端からXミリ空いてること、など細かく指定がある。パンチはこのフロアのこの器具を使うこと、などのルールを聞いた時に、頭が真っ白になりそうだった」
「どうしてそんなに形や様式美にこだわるのか。頭が悪いとしか思えない」
その背景には、会計検査院が監査の際に紙の納品物にこだわるなる話も聞く。DXや働き方改革の発想のかけらもまるでない。
ハードウェアからソフトウェアへ、ものづくりからサービス提供へ。世界的に、このビジネスモデル変革とパラダイムシフトが求められている。にもかかわらず、税務や監査の発想も、いまだに旧態依然の「ものづくり」主義、現物主義の呪縛から抜け切れていない。こうして、無駄な雑務が一向になくならない。
研究者やエンジニアが育たない日本。その一端は、処遇の低さのみならず、このような雑務をなくそうとしない(むしろ増やす)霞が関や大企業の姿勢やこだわりやわがままにもあると捉えている。
(2)議事録を受注者側にとらせて提出させる
この慣習も腑に落ちない。もちろん、受注者が「自分たちを守る」ために自己責任において議事録を取るのは合理的である。しかし、そもそも発注者が議事録を取らないのはいかがなものか? 発注者の管理責任を放棄しているとも受け取れる。
こうして、システム開発業務を請け負ったIT企業のエンジニア、デザイン業務を請け負ったデザイナー、研修業務を請け負った人材育成企業の育成のプロなどが、議事録作成などの間接業務で時間と神経をすり減らす。
(3)注文請書の提出を求める
これまた悩ましい間接業務である。注文を受けた証跡として、注文請書の発行を義務付ける。しかも、紙とハンコなおかつ印紙まで求められることがあるから目も当てられない。紙を印刷して押印して、さらに印紙を貼って郵送する手間も発生させる。体力と事務リソースが豊富な大企業ならさておき、中小零細企業やフリーランスにとってはたまったものではない。
メールなど電子的なやりとりで済ませればいいものを、平安時代の遺産のような雅な歴史的作業が無駄なコストと稼働を生む。
(4)補助金や助成金の申請
このコロナ禍においても、苦境に立たされた零細事業者や飲食店などを支援すべくさまざまな補助金や助成金が創設された。それ自体は素晴らしいことだが、申請承認のプロセスは大いに改善の余地がある。
霞が関や行政特有の複雑怪奇な申請書類の数々に、多くの事業主は固まる。複雑怪奇で、記入方法が分からない。さらに、「あれも出せ」「これも出せ」とさまざまな書類や証跡を求められる。
「忙しくて、書類を書いたり証跡をかき集める暇がない」「申請書類を作成するために、深夜労働や休日を返上しなければならない」
「申請するために役所に出頭しなければならない。平日日中時間帯に役所に行くヒマがあったら、1円でも本業の稼ぎを上げたい」
霞が関で制度設計した官僚は、現場の人たちの悲痛な叫びを聞いたことがあるのだろうか? 提出書類を審査する行政職員にとってもたまったものではない。本来優秀なはずの公務員が、書類の抜け漏れチェックと差戻しで忙殺される。これこそリソースの無駄遣いである。
⚫︎新連載:沢渡あまねの「脱アナログ庁」
印刷、押印、製本、郵送、書留、FAX、出頭、PPAP、印紙、注文請書……。日本から無数の“雑務”がなくならないのはなぜなのか。いつになったら、私たちはスマートに働けるのだろうか? 本連載では350以上の企業や自治体、官公庁などでの組織や業務の改革支援を行ってきた沢渡あまね氏が、働き方の“悪しき常識”に疑問を呈し、改革への道筋を探っていく。
とにかくこの国は雑務が多い。「事務作業大国日本」と言っても過言ではないだろう。
何かにつけて書類を記入・提出させたり、紙やハンコ、製本などを求めたりするビジネス慣習や業務プロセス。それらのビジネス文書の作文が不適切なら差戻し(国語の授業ですか)。
おまけに証書の切り貼りを求め(図工の授業ですか)、ご丁寧に「書留で送れ」などと指示してくるものだから、目も当てられない。
その依頼文書は行政機関や取引先から、ある日突然、郵送またはメールで送られてくる。添付ファイルはお約束のように「PPAP」(添付ファイルzip圧縮、パスワード別送)。もはや様式美である。
こうした雑務は全てコストだ。何の付加価値もキャッシュも生まない。ともすれば、相手(取引先や申請者など)にタダ働きを強いるだけの悪しき慣習である。国のGDPも生産性も下がる。
⚫︎悪しき慣習、事務作業
働き手のエンゲージメントを下げる雑務
最近、日本の組織の雑務の多さを指摘する記事を目にした。
日本人は「テレワークだと仕事がはかどらない」 7カ国調査で唯一
アドビが日本や米国など7カ国で行った働き方に関する調査を紹介する記事で、タイトルだけで日本の後進国っぷりが情けなく悲しくなるが、筆者が最も気になったのは最後のこのくだりである。
「業務時間中に雑務にかける時間の割合を聞いたところ、日本が35.5%と7カ国中最多だった。来年転職したいかどうか尋ねたところ、日本では39%が転職を考えていた」
残念ながら、やはり日本の組織は雑務まみれの事務作業大国であると認めざるを得ないようだ。なおかつ、雑務は組織の生産性の足を引っ張るのはもちろん、専門性の高い人や成長意欲のある人のエンゲージメント(組織や仕事に対するロイヤリティーや帰属意識)を無駄に低くし、退職に誘う。
それにしても、なぜこの国はこんなにもひどい事務作業大国になってしまったのであろうか?
⚫︎はびこる雑務、“震源地”は霞が関か
筆者は、350以上の企業・自治体などで「働き方改革」「DX」「組織変革」「ダイバーシティー推進」の支援をしてきた。これらを阻害する要因はなにか?
掘りまくって最終的に行き着く先は、必ず霞が関なのである。
政府や中央省庁の仕事の流儀や組織カルチャー、税制や法制度、「生真面目かつ思考停止している」官僚や担当者の気質。これらが、日本の働き方やビジネスモデルが変わらない、DXや破壊的イノベーションを阻害する元凶であるのは間違いない。
筆者は2020年、「深夜閉庁を求める国民の会」に共同発起人の一人として名を連ねた。ワーク・ライフバランス社の代表・小室淑恵氏の呼びかけで発足した会で、霞が関の旧態依然の働き方の改善を求めるものだ。
深夜にわたる議会運営や、そのためのアナログな資料作成などの補助業務が、官僚や関係者の過酷な労働を強制する。タクシー代など多大な税金の無駄使い、国全体のデジタル政策の遅れ、民間企業の雑務や残業の増大、国家を担う人材の流出・質の低下など──霞が関が「日本のブラック労働の震源地」であることを強く指摘し、政府に改善を要求する活動である。
これまで筆者は、本当に改革したい熱意ある方々の講演依頼を除き、霞が関にはなるべく関わらないようにしていた。変えるには相手が大きすぎ、かつ闇深すぎるし、なおかつ仕事として関わろうにも報酬が話にならないくらい低い。
その割に、超煩雑でアナログな事務手続き(タダ働き)が多すぎる。賽の河原の石積みのごとし。関われば関わるほど無駄にHPとMP(体力と精神力)を消耗する。それに耐える寛容さと余力がある人でなければ、とてもでないとやっていられない。
ある意味、ボランティア活動なのだ。だったら、民間企業相手に仕事をしていた方が健康的だ。
しかし、それではやはりこの国の働き方もデジタル後進国ぶりもいつまでたっても好転しない。よって、せめてこうして声を挙げる活動をしている次第である。
霞が関ゆえのお作法や旧態依然のルールは、関わる民間企業や個人の働き方改革の邪魔をする。いくつか例を挙げよう。
(1)IT企業に印刷や製本をさせる
例えばITシステムの開発業務。受託企業に、設計書・納品書・報告書などを製本して納品させる慣習が、IT企業や現場のエンジニアを無駄に苦しめている。その声の一部を紹介しよう。
「私たちは印刷屋でも製本屋でもない。ITの仕事に専念したい」「官公庁が指定する印刷および製本のために、SEが専従で7営業日60時間稼働する。本当にばかばかしい」
「紙の端からXミリ空いてること、など細かく指定がある。パンチはこのフロアのこの器具を使うこと、などのルールを聞いた時に、頭が真っ白になりそうだった」
「どうしてそんなに形や様式美にこだわるのか。頭が悪いとしか思えない」
その背景には、会計検査院が監査の際に紙の納品物にこだわるなる話も聞く。DXや働き方改革の発想のかけらもまるでない。
ハードウェアからソフトウェアへ、ものづくりからサービス提供へ。世界的に、このビジネスモデル変革とパラダイムシフトが求められている。にもかかわらず、税務や監査の発想も、いまだに旧態依然の「ものづくり」主義、現物主義の呪縛から抜け切れていない。こうして、無駄な雑務が一向になくならない。
研究者やエンジニアが育たない日本。その一端は、処遇の低さのみならず、このような雑務をなくそうとしない(むしろ増やす)霞が関や大企業の姿勢やこだわりやわがままにもあると捉えている。
(2)議事録を受注者側にとらせて提出させる
この慣習も腑に落ちない。もちろん、受注者が「自分たちを守る」ために自己責任において議事録を取るのは合理的である。しかし、そもそも発注者が議事録を取らないのはいかがなものか? 発注者の管理責任を放棄しているとも受け取れる。
こうして、システム開発業務を請け負ったIT企業のエンジニア、デザイン業務を請け負ったデザイナー、研修業務を請け負った人材育成企業の育成のプロなどが、議事録作成などの間接業務で時間と神経をすり減らす。
(3)注文請書の提出を求める
これまた悩ましい間接業務である。注文を受けた証跡として、注文請書の発行を義務付ける。しかも、紙とハンコなおかつ印紙まで求められることがあるから目も当てられない。紙を印刷して押印して、さらに印紙を貼って郵送する手間も発生させる。体力と事務リソースが豊富な大企業ならさておき、中小零細企業やフリーランスにとってはたまったものではない。
メールなど電子的なやりとりで済ませればいいものを、平安時代の遺産のような雅な歴史的作業が無駄なコストと稼働を生む。
(4)補助金や助成金の申請
このコロナ禍においても、苦境に立たされた零細事業者や飲食店などを支援すべくさまざまな補助金や助成金が創設された。それ自体は素晴らしいことだが、申請承認のプロセスは大いに改善の余地がある。
霞が関や行政特有の複雑怪奇な申請書類の数々に、多くの事業主は固まる。複雑怪奇で、記入方法が分からない。さらに、「あれも出せ」「これも出せ」とさまざまな書類や証跡を求められる。
「忙しくて、書類を書いたり証跡をかき集める暇がない」「申請書類を作成するために、深夜労働や休日を返上しなければならない」
「申請するために役所に出頭しなければならない。平日日中時間帯に役所に行くヒマがあったら、1円でも本業の稼ぎを上げたい」
霞が関で制度設計した官僚は、現場の人たちの悲痛な叫びを聞いたことがあるのだろうか? 提出書類を審査する行政職員にとってもたまったものではない。本来優秀なはずの公務員が、書類の抜け漏れチェックと差戻しで忙殺される。これこそリソースの無駄遣いである。
事務作業を減らすことがDXの「はじめの一歩」(図は筆者作成)
⚫︎事務作業は「タダでやって当然」か?
どうもこの国の政治家や官僚は、事務作業や間接業務を「タダでやって当然」と思っている節があるような気がしてならない。体育会系の気合・根性論で乗り切れとでも言うつもりだろうか。
あるいは、自分で事業を興して稼いだこともなければ、自分で事務作業をやったことがない、常に秘書や部下や家族に自分の知らないところで雑務を代行してもらえる身分だから、雑務の苦しさに気付かないのだろうか?
悪気なく、無駄な事務作業や雑務を増やす。あるいは改善せず放置する。それが日本の働き方をブラックにし、働き方改革やビジネスモデル変革の邪魔をしているのは間違いない。
また、これらの事務作業を事務方が設計するからタチが悪い。事務のプロが設計する事務作業は、悪気なく複雑怪奇である。玄人による玄人仕様の難解な事務手続き。分かりやすいはずがない。一方で、その作業をする申請者や実施者の多くは、一般ピープル(素人)や一見さんなのである。
「事務作業はタダでやって当たり前」「事務作業くらいできて当然」
このような、事務畑の人たちによる意味不明かつ一方的な常識が、事務が苦手な、あるいは「価値を出すところが、そこではない」プロフェッショナルの活躍を邪魔する。
研究者が、エンジニアが、クリエーターが、建築家が、芸術家が、料理人が、作家が──あらゆるプロが雑務や事務作業にカロリーを奪われて削られる。そんな社会が健全といえるだろうか? ダイバーシティー&インクルージョンって何でしたっけ?
中央省庁はいわば国のバックオフィスである。バックオフィスは最強のNo.2であるべきであり、No.1であろうとするから世の中がおかしなことになるのだ。プロが余計なことを考えず、プロの仕事にフルコミットするための環境を整える。制約条件を取り除く。それこそが、バックオフィスの役割であり価値であろう。
官僚や行政職員は、そのためのファシリテーターとして正しく活躍してほしい。その一歩が、雑務削減、事務作業など間接業務のスリム化である。なんちゃらナンバー制度や、なんちゃらボイス制度のような、特定の省庁の自己満足かつ、表向きのイメージを取り繕うために横文字を並べ無駄にイラっとさせる制度を乱発している場合ではない。
無駄なタダ働き、無駄な事務手続き、無駄な間接業務を国民や民間企業に強いる、筋悪な制度を増やすのはやめてもらえますか? 時代の空気を読んでくれともいいたくなるのである。
デジタル庁が発足した。しかし、私はデジタル庁以前に、「脱アナログ庁」や「事務作業撲滅庁」のほうがむしろ必要ではないかと思う。
事務作業大国日本。このままでは、アナログな事務作業や雑務で日本が沈む。
著者:沢渡あまね
作家/ワークスタイル&組織開発専門家。あまねキャリア代表取締役CEO、なないろのはな取締役(浜松ワークスタイルLab所長)、NOKIOO顧問ほか。350以上の企業/自治体/官公庁などで、働き方改革、マネジメント改革、業務プロセス改善の支援・講演・執筆・メディア出演を行う。著書『バリューサイクル・マネジメント』『職場の科学』『ここはウォーターフォール市、アジャイル町』『IT人材が輝く職場 ダメになる職場』『職場の問題地図』『マネージャーの問題地図』ほか。#ダム際ワーキング 推進者。
どうもこの国の政治家や官僚は、事務作業や間接業務を「タダでやって当然」と思っている節があるような気がしてならない。体育会系の気合・根性論で乗り切れとでも言うつもりだろうか。
あるいは、自分で事業を興して稼いだこともなければ、自分で事務作業をやったことがない、常に秘書や部下や家族に自分の知らないところで雑務を代行してもらえる身分だから、雑務の苦しさに気付かないのだろうか?
悪気なく、無駄な事務作業や雑務を増やす。あるいは改善せず放置する。それが日本の働き方をブラックにし、働き方改革やビジネスモデル変革の邪魔をしているのは間違いない。
また、これらの事務作業を事務方が設計するからタチが悪い。事務のプロが設計する事務作業は、悪気なく複雑怪奇である。玄人による玄人仕様の難解な事務手続き。分かりやすいはずがない。一方で、その作業をする申請者や実施者の多くは、一般ピープル(素人)や一見さんなのである。
「事務作業はタダでやって当たり前」「事務作業くらいできて当然」
このような、事務畑の人たちによる意味不明かつ一方的な常識が、事務が苦手な、あるいは「価値を出すところが、そこではない」プロフェッショナルの活躍を邪魔する。
研究者が、エンジニアが、クリエーターが、建築家が、芸術家が、料理人が、作家が──あらゆるプロが雑務や事務作業にカロリーを奪われて削られる。そんな社会が健全といえるだろうか? ダイバーシティー&インクルージョンって何でしたっけ?
中央省庁はいわば国のバックオフィスである。バックオフィスは最強のNo.2であるべきであり、No.1であろうとするから世の中がおかしなことになるのだ。プロが余計なことを考えず、プロの仕事にフルコミットするための環境を整える。制約条件を取り除く。それこそが、バックオフィスの役割であり価値であろう。
官僚や行政職員は、そのためのファシリテーターとして正しく活躍してほしい。その一歩が、雑務削減、事務作業など間接業務のスリム化である。なんちゃらナンバー制度や、なんちゃらボイス制度のような、特定の省庁の自己満足かつ、表向きのイメージを取り繕うために横文字を並べ無駄にイラっとさせる制度を乱発している場合ではない。
無駄なタダ働き、無駄な事務手続き、無駄な間接業務を国民や民間企業に強いる、筋悪な制度を増やすのはやめてもらえますか? 時代の空気を読んでくれともいいたくなるのである。
デジタル庁が発足した。しかし、私はデジタル庁以前に、「脱アナログ庁」や「事務作業撲滅庁」のほうがむしろ必要ではないかと思う。
事務作業大国日本。このままでは、アナログな事務作業や雑務で日本が沈む。
著者:沢渡あまね
作家/ワークスタイル&組織開発専門家。あまねキャリア代表取締役CEO、なないろのはな取締役(浜松ワークスタイルLab所長)、NOKIOO顧問ほか。350以上の企業/自治体/官公庁などで、働き方改革、マネジメント改革、業務プロセス改善の支援・講演・執筆・メディア出演を行う。著書『バリューサイクル・マネジメント』『職場の科学』『ここはウォーターフォール市、アジャイル町』『IT人材が輝く職場 ダメになる職場』『職場の問題地図』『マネージャーの問題地図』ほか。#ダム際ワーキング 推進者。
💋首都圏集中の元凶でもあるかと。