ポスターは細谷さんが和深沖で釣られて「太師鍋」としての試食会をされた時のものです。
遠い昔、粉雪の舞う凍りつくような寒い冬の日のことだった。一人の旅の僧が空腹と寒さに疲れきって和深の村にたどり着いた。
そして東の平見の漁師の中崎家を訪れた、旅僧は空腹と寒さに震えながら「何か食べ物をください」と頼んだあいにく中崎家では食事をすませた後で、何もなかった、漁師が漁に出かけるために作った弁当があるだけだった。
「1度ぐらいは食事をぬいても・」漁師は弁当を旅僧に与えた、旅僧は非常に喜び、お礼をいった後で「この沖1里(約4キロ)で、深さ百ヒロ(170、80メートル)のあたりに大きな魚がいる、漁に行きなさい」と告げ、何処ともなく立ち去った。
漁師はすぐ近所の人たちにこの話をしたが、誰も信用しなかった、そのうち春がやってきた、漁民たちは不漁にあえぎ表情は暗かった、その時に旅僧の話が出た、「嘘でもよいから1度現場へいってみよう」半信半疑で出漁した漁師立ちは驚いた、旅僧の云った通り、今まで見たこともない大きな魚が釣れた、
うまい魚だった、話はすぐに村中に広がり、だれいうともなく「あの旅僧は弘法太師だったのだ。お太師様のお恵みじゃ」と皆大喜びだった。
この魚は、普通2,30キロ、中には100キロを越えるのもある、和深だけにしかとれない珍しいもので、とれる期間も毎年4、5月に限られる・ちょうど
「大菜」が出回るシーズンで、一緒に食べるとうまいので、いつしかこの魚を
「おおな魚」と呼ばれるようになったという。
この時の大きさは、長さ187センチで、重量が110キロという大物です。