佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

年の瀬

2018-12-26 19:34:57 | 日々の思い

平成30年もあと5日で終わろうとしています。

大きな借金もなく、健康で仕事もでき、仲間と魚釣りに麻雀にと言うことのない1年でした。

今年1年を振り返ってみて私の周辺で起こったことの10件

1、仲間と一緒に祝ってもらった傘寿の祝い・・ブルックリンパーラーにて

2、富子のガンの手術

3、天理の相棒の死去〔野々口悟氏)

4、ネンリンピック富山への麻雀大阪代表で出席

5、井出洋介杯、麻雀大会優勝

6、仕事、大正プロジエクトの完了

7、仕事、上富田、処理場の完了

8、仕事、寝屋川の開発と工事着手

9、免許の認知症と講習

10、もといた大阪府釣り団体協議会、事務局のお金の使い込み

   これは残った会員が返済を管理責任者と本人に訴えるべきと思う

 

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釣りの思い出話し続き

2018-12-25 20:10:11 | 釣り界の歴史

このトカラ列島と言うところでの釣り、魚はワンサといました、でも僕は不満だった

悪石島にもよってくれましたが、釣竿を出す時間などありませんでした、山の中というか

野原と言うかその中に温泉が湧き出ていての露天風呂に入るためでした。

入ってみると葉っぱが蓄積されていてヌルヌルして気持ちの良いものではなかった。

この悪石島の先端のところからイシダイを釣るのだと聞いていってみましたが、とても釣りにならない

大変高いところ魚をかけても取り込めそうにない10m以上もある足場でした。

悪石島のたそがれ

 

2隻の船の釣果、約250キロほどありました

イソマグロ・カンパチ・キハダマグロ・赤魚などなど・・・

つれた魚は地元の老人ホームに50キロぐらいずつお分けしました。

 

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釣りの思い出話し続き

2018-12-24 20:02:37 | 釣り界の歴史

トカラ列島の悪石島から小宝島をめぐる周辺での船からの釣りというのをはっきりと聞いてなくて

仕掛けも私は石鯛の仕掛け、がまかつのイシダイ竿(5,4m)にイシダイリールなど底物の仕掛け

しかもって行ってない、うまくH氏に乗せられた感じでの急ぎ旅でした。

人数は17名と言う大勢のために船も2隻(浜千鳥丸、1200馬力)と〔浜千鳥2000馬力〕の20t弱

のすごい船でした、小さな船体にごついエンジンの船、こんな海域にはそれだけの馬力の船が必要

なのでしょう。

奄美について、ホテルバシャ山と言うところでまずは腹ごしらえと言う事で食事をよばれました、

この地で有名なものだという(ケイハン)と言う名のご馳走ですが、変わったものでしたが、

 

内容としてはトリのひき肉にタマゴやノリ等を載せてそれにスープを掛けて食べるというものです

が、以外に美味しかった。

 

2隻の船での釣りは、エサ釣り組みとジギング組とのわかれて行いましたが、

どちらも良くつれました大海原の真ん中にパヤオといって海底から長く伸びたロープに浮魚礁として

作られたものがあり、そのロープに小魚がつく、それを狙って中魚が集まる、そしてその集まって

来た魚を大型の青物たちが食べに来るという、その青物を又人間が釣ると言う。

大海原には沈み磯というものはないのでそのロープが小魚にとっては救いの場所かも・・・私も

仕掛けを借りてやりました、若い人のようにはジギングは無理なのでH氏考案の電動リールを

手持ちして上げ下げするという方法、一般的には竿を上げ下げしながらリールを巻くのが

ジギングであるが、その動作をズートやるのは私やH氏には無理な事。

そんな頼りないつりにも大型の魚は食いついてきました。

イシダイの竿も船から出してみましたが魚が、でかすぎて竿が長いために船の下にもぐりこみ

取り込みができませんでした、本来僕は船に弱いのでいつも船からの釣りは断っていたが

なぜか今回は酔わなかったそして、船から皆にまけずにギンガメアジやアオヤガラなどの珍魚も

釣り上げていました。

 

 

 

 

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釣りの思い出話し続き

2018-12-23 19:36:10 | 釣り界の歴史

私が本当に釣りに溺れたというところまでは行ってると、今こうしてブログ等かけてないと

思います、釣りに本当に溺れて人生が変わった方は多くおられますが、

好きではまった道であるから後悔はしておられないでしょう、

溺れたからといって人の道に外れた事をしていれば後悔するし誰も傍には来ない、

だから僕の場合は好きな道を歩かせてもらった、亡き女房のおかげと思う、

子供がいない関係もあって好きにさせてくれた、よく言う、大仏さんの手のひらの上と

遊んでばかりでなく仕事は人一倍したとも思っています、出なければ今こうして食べて

いけないであろうとも思います。その釣りの思い出を書いていきます。

平成12年の5月にビッグフイッシングの取材でトカラ列島に船での釣りに行きました、

始めての長い時間の船からの釣りなので断っていましたら、当時のデイリースポーツの

釣り番組担当のH氏が、悪石島に上げてあげるからそこでイシダイを狙ったらといわれ、

何も考えずに話しに乗ったのです。

なぜなら、1度は行ってみたい私の未開のイシダイ釣り場で一度は行きたいと思っていたから

これは神戸にある釣りクラブの「チームアイランズ」が取材を兼ねてのジギングでの釣りでした。

船上生活2泊3日で、そのために島に上がることはないのですが、詳しくない内容を聞いて

いなかったためにOKをして船に乗ってから、えらいこっちゃと嘆いたがああとの祭り。

 

 

 

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釣りの思い出話し

2018-12-22 20:09:18 | 釣り界の歴史

長い事つりをしてきました、此れだけ長く釣りに溺れるとは思わなかった。

皆さんも色々と趣味にも溺れた事もあると思いますが、振り返ってみて楽しかったか

情けなかったか、如何でしたか色々あるでしょー

お金儲けに溺れたら云う事はないのですが、お金儲けはむつかしいですね。

僕も長年建築の設計を家ってきましたが、われながらお金儲けはヘタダナーと思います。

名の売れた建築家はお金儲けがうまいのですが・・・

でも今までたくさんの建物の設計をやってきたが、個人の家の設計は時間が掛かるが、

お金はもらいにくいものです、なぜならその家の方と親身になってやるから、自分の家を建てて

いる気分になっていくので・・・でもたのしいものです。

その点釣りに溺れていたらお金のことは考えていない、ただ行きたいとこのことと何が釣れるか

と言う創造の世界にはいる、最近は足腰が弱ってきたので磯から離れていますので、

釣堀では何がつれるかということは考えても仕方がない、入っている魚が決まっているから

磯の世界は目的を持っていくが、目的の魚がつれるとは限らないのです。

磯つり暦50数年になるが、今もまだ行きたくチヤンスがあればと思っています、

それだけ磯釣には魅力がある。

先日も朝日ラジオの番組の収録で、お話させてもらいましたが朝5時15分からの番組で

年寄りの元気な秘密と言うような事の話しを聞きたいということでしたが、その中で釣りの

話をさせてもらいました、来年1月12日の土曜日の朝早い番組での放送とのコト

僕自身が朝寝坊なので聞けるのかなーと言う不安がある。

話がバラバラになってしまいましたが、あすから昔の遠征の話を書かせてもらいます。

 

 

 

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