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映画『東京家族』について

 『しょうちゅうとゴム』(1962年教育テレビ放映作品) 上映会

2013年08月14日 | 映画『東京家族』


  朝露のをかのかやはら山風にみだれてものは秋ぞかなしき
   
    朝露の置く岡の萱原は山から吹きおろす風に乱れているが、そのように心乱れて秋は物悲しくてならない。  『新古今和歌集』 新日本古典文学大系11 岩波書店





 先月開かれた上映会について書いておく。

 ああ、ここに「ベ平連」があったんだ、とこの作品の原作脚本,そして独特なナレーションを担当した小田実氏(1932-2007)の名前が会場に共有される時の親しみで、感じられた。

 本来は廃棄されていたはずのこの作品の“キネコ”が現存している経緯については、演出を担当された小中陽太郎氏のこの文章にある。

 
 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-5879


 「市川森一は、昭和47年に放送した「黄色い涙」が消去された驚きを語っている。わたしはそれよりもさらに10年前に演出した、小田実原作のドラマ『しょうちゅうとゴム』を持っている。私のドラマも、市川同様、ビデオテープには上から次の番組を収録された。しかし全国放送だったので、和田勉が、東京でキネコ(放送時にフィルムに同時収録する。解像度は落ちるが記録にはなる)に撮像してくれたのである。通常それは資料室にもどすべきもので、NHKはそれらすべてを70年代のおわりに廃棄した。わたしの手元に残ったのは、わたしがクビになっていてその指令が届かなかったからである。わたしの書斎には和田直筆の40年前の手書きの包装(放送ではない)が残っている。
 
  【この項、文・小中陽太郎氏(フジテレビ編成制作局調査部刊「AURA」169号(2005/02刊)より引用)



 これが今回上映された。映写を担当された八木信忠氏により、簡単な解説もあった。

 VTRは、1956年にアンペックス社(米)と、ジーメンス社(独)が開発した。
 しかし非常に高価だったために、テープに上書きして繰り返し使った。
 テープの幅は2インチ(約5㎝)あった。
 テレビの生放送は残らないし、ドラマなどもテープに上書きして使うので通常は残らない。
 しかし、キネコ,キネスコの方法で、米国は35㎜フィルムに、日本は16㎜フィルムに残せた。
 キネスコープレコーダーは、RCA名古屋にあった。
 テレビは1秒間に30コマ、映画フィルムは1秒間に24コマ。6コマ分差がある。
 今日は時間がないので、詳しくは説明できない。

 (この部分の説明は、ここに少しあった。)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%82%B3

 
 八木氏は、この後、映写機の傍らに立って、小一時間の上映をされた。


 批評家の四方田犬彦氏による解説もあった。
 この資料が会場に配られた。http://home.c01.itscom.net/ykonaka/130714/2_yobikake.pdf

 
 1960年代の日本のテレビは、これだけのことができた。

 「一度動き出したものは止める事はできない。」

 「敗者は映像をもたない。」大島渚 (1943年以降は、日本の映像がなくなる。)

 「当時難解だと思われたゴダールやアントニオーニは、現在では問題は解体され解決され、ノスタルジック、安心な芸術となり、アクチュアルな役割を終えた。」

 資料以外に四方田氏は、このような言葉を加えながら、詳細に「しょうちゅうとゴム」を読み解いていった。
 山田洋次監督の映画『馬鹿まるだし』への言及もあったが、氏のなかでの山田監督への評価は、高くないようだった。


 上映後、現在のふたりのテレビ番組制作者たちから、そのおかれている、苦境が伝えられた。

 
 音楽の高橋悠治氏については、小中氏のこんな文章があった。http://guis.exblog.jp/i8/

 

 

 

 
 
 

 

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