『尋ね人の時間』 「第二章 星の子供」 新井満 から
“ 月子が夜空を仰ぎ、
「月は、どこかな」
と、言う。
頭上に巨大な黒い天蓋があった。その内側に無数の星の小さな光が白く点滅していた。
しかし今夜は、空のどこにも月は見当たらない。
「お父さんがいると、月はやっぱり出ないんだね」
「お父さんのせいか」
「そうだよ。だから月の代りに、月子がここにいるんじゃないか」
突然、月子が小さな声で叫んだ。夜空の一角を、長い尾を引いて星が流れていった。
「ねえ、お父さん。流れ星って何」
「星のかけらだな」
「どこから飛んで来るの」
「遠い宇宙の果ての果てからだな」
「月も、遠い宇宙の果ての果てから、飛んで来たの」
「そういう説もある」
「月は星の子供だね」
「どうして」
「だってかけらよりも大きいでしょ」
「なるほど」
「だから月子も、星の子供」
「星の子供か……」
眼下の海面から冷たい風が吹き上げてきた。コートの裾が音立ててはためいた。
「そろそろ帰ろう」
神島が月子の肩を叩いて歩きかけたとたん、
「あ」
月子がまた叫んだ。
振り返って空を見上げると、白く細長い光線が二筋、前後して闇の中へ消えて行くところだった。
「今夜は流れ星が多いな」
神島の言葉に、月子はまじめな顔で、
「きっと、風が強いせいだね」
と、言う。
思わず神島は笑ってしまった。
しかし、あるいはほんとうにその通りかもしれない……。そう思いながら、月子と手を結んだ。 ”
『尋ね人の時間』 新井満
“ 星が落ちる。起きている人と眠っている人とのあいだに分け隔て無く夜がただ過ぎてゆく。ひたすら流星が落ちるのを目の前のこととしてただみあげていた。 ~ あれはどこからが夢だったのだろうか。 ”
『きことわ』 朝吹真理子
『けさのことば』 岡井隆
“ 生も死も夢の両端流れ星 『やよこ猫』 照屋眞理子
人間の、あるいは自分自身の「生と死」を思うのに季節はいらない。しかし「流れ星」をみる時、夢のように過ぎては消える光の発端に生を、終端に死を置いて考えてしまう。
「青青と月日過ぎゆく祭り笛」 「生るるにふと似て死あり天の川」など連作のような句が並ぶ。
作者は一九五一年生まれ。はじめ塚本邦雄に就いて作句、作歌した人。”
「東京新聞 2013.8.26」
“ 荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは) ”
『おくのほそ道』 芭蕉
“ 火球のオレンジ色が風に流れ、タチウオやリュウグウノツカイにもみえる、永続痕をのこす。それが夜空の上から下へと垂直におちた。そうしたひかりは、眠りばなにまぶたの奥に散る、光源のわからないひかりに似ていた。 ”
“ 永遠子はベランダにでて、貴子はきちんと帰宅しただろうかと考えた。それぞれの心音とそれぞれの夢だけをかかえて夜は過ぎ、朝になる。明日はまた貴子に会う。葉山の家は無くなる。会わずにいてもまた会えばよいだけで、会わないでいた二十五年間も、会うためのひとつの準備であったのかもしれなかった。 ”
“ 横顔に朝陽がとうめいに射している。 ”
『きことわ』
“ 月子が夜空を仰ぎ、
「月は、どこかな」
と、言う。
頭上に巨大な黒い天蓋があった。その内側に無数の星の小さな光が白く点滅していた。
しかし今夜は、空のどこにも月は見当たらない。
「お父さんがいると、月はやっぱり出ないんだね」
「お父さんのせいか」
「そうだよ。だから月の代りに、月子がここにいるんじゃないか」
突然、月子が小さな声で叫んだ。夜空の一角を、長い尾を引いて星が流れていった。
「ねえ、お父さん。流れ星って何」
「星のかけらだな」
「どこから飛んで来るの」
「遠い宇宙の果ての果てからだな」
「月も、遠い宇宙の果ての果てから、飛んで来たの」
「そういう説もある」
「月は星の子供だね」
「どうして」
「だってかけらよりも大きいでしょ」
「なるほど」
「だから月子も、星の子供」
「星の子供か……」
眼下の海面から冷たい風が吹き上げてきた。コートの裾が音立ててはためいた。
「そろそろ帰ろう」
神島が月子の肩を叩いて歩きかけたとたん、
「あ」
月子がまた叫んだ。
振り返って空を見上げると、白く細長い光線が二筋、前後して闇の中へ消えて行くところだった。
「今夜は流れ星が多いな」
神島の言葉に、月子はまじめな顔で、
「きっと、風が強いせいだね」
と、言う。
思わず神島は笑ってしまった。
しかし、あるいはほんとうにその通りかもしれない……。そう思いながら、月子と手を結んだ。 ”
『尋ね人の時間』 新井満
“ 星が落ちる。起きている人と眠っている人とのあいだに分け隔て無く夜がただ過ぎてゆく。ひたすら流星が落ちるのを目の前のこととしてただみあげていた。 ~ あれはどこからが夢だったのだろうか。 ”
『きことわ』 朝吹真理子
『けさのことば』 岡井隆
“ 生も死も夢の両端流れ星 『やよこ猫』 照屋眞理子
人間の、あるいは自分自身の「生と死」を思うのに季節はいらない。しかし「流れ星」をみる時、夢のように過ぎては消える光の発端に生を、終端に死を置いて考えてしまう。
「青青と月日過ぎゆく祭り笛」 「生るるにふと似て死あり天の川」など連作のような句が並ぶ。
作者は一九五一年生まれ。はじめ塚本邦雄に就いて作句、作歌した人。”
「東京新聞 2013.8.26」
“ 荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは) ”
『おくのほそ道』 芭蕉
“ 火球のオレンジ色が風に流れ、タチウオやリュウグウノツカイにもみえる、永続痕をのこす。それが夜空の上から下へと垂直におちた。そうしたひかりは、眠りばなにまぶたの奥に散る、光源のわからないひかりに似ていた。 ”
“ 永遠子はベランダにでて、貴子はきちんと帰宅しただろうかと考えた。それぞれの心音とそれぞれの夢だけをかかえて夜は過ぎ、朝になる。明日はまた貴子に会う。葉山の家は無くなる。会わずにいてもまた会えばよいだけで、会わないでいた二十五年間も、会うためのひとつの準備であったのかもしれなかった。 ”
“ 横顔に朝陽がとうめいに射している。 ”
『きことわ』