この8月16日、『東京新聞』の「千葉版」に、こんな記事が載った。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20130816/CK2013081602000134.html
「戦跡を歩く(3)佐倉連隊営所(佐倉市) 跳下台から戦地へ」 “陸軍歩兵の訓練に使われた跳下台を案内する渡辺さん(写真)=佐倉市城内町で
佐倉市城内町の佐倉城址(じょうし)公園に、スイレンの花が咲く小さな池がある。周囲の青々とした草むらを奥の方に向かうと、枝葉が広がる木立の間から、何とも場違いなコンクリート製の階段が姿を現す。
試しに高さ約三メートルの十二段を上り切っててっぺんに立ってみた。急角度と踊り場の狭さに足がすくむ。下りるときは恐怖心がさらに増し、完全に腰が引けてしまった。
「上るための階段じゃない。飛び降りるためのものなんですよ」と佐倉城址公園ボランティアの会代表の渡辺宏さん(78)は言う。どういうことか。
二十一ヘクタールを超す園内は江戸初期に築かれた城跡であるとともに、佐倉連隊と総称される陸軍歩兵連隊の営所跡でもある。第五十七連隊は平時なら県内から毎年約八百人が入営。二年間の訓練で戦地の道なき道を前進する体力、精神力を養った。
この階段は跳下(ちょうか)台と呼ばれる。日清、日露戦争の反省を踏まえて、歩兵の訓練を体系化した「体操教範」にも記載されている訓練器具だ。
兵士の卵たちは、飛び降りる段を少しずつ上げながら恐怖心を克服し、最終的に背のうを身に着けて最上段に立ち、自信を付けて旧満州(中国東北部)へ、上海へと出征していったのだろう。
佐倉連隊に関連した遺跡として、兵舎の便所跡、車道の石碑、軍犬・軍馬の墓なども園内に散在している。中学校の平和ツアーなど、子どもたちが戦争について勉強に来ることが多いという。
渡辺さんは「残念ながら旧日本軍は兵隊を消耗品と考え、悲劇も多い。それでも直視すべきだと思う。散策しながら歴史をかみしめてほしい」と話す。連隊の遺跡は、太平洋戦争でほぼ全滅した部隊の悲劇を思い起こさせる。
渡辺さんには、戦争末期に暮らしていた東京の空襲が激しさを増し、静岡、富山への学童疎開の記憶が残る。「いなかの寺で寝泊まりし、遠くの空が爆撃で赤く染まったのを覚えている。ガイドしている理由の一つかもしれない」と話した。 (小沢伸介)
◇
<佐倉連隊> 1874(明治7)年から1945(昭和20)年の終戦まで佐倉城址に置かれ、陸軍歩兵第2、第57、第157、第212などの連隊を編成した兵営の総称。第2連隊は西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。第57連隊は満州事変や日中戦争に出征し、レイテ島でほぼ全滅した。連隊長は、後に内閣総理大臣となる林銑十郎や陸軍大将となる今村均が務めた。 ”
『2013.8.16 東京新聞』
『レイテ戦記』 大岡昇平 「第十二章 第一師団」から
“(昭和十九年)十一月一日、方面軍派遣のレイテ島決戦師団の第一陣としてオルモックに上陸したのは第一師団(通称玉)である。師団は歩兵第一聯隊(東京)、第四十九聯隊(甲府)、第五十七聯隊(佐倉)の歩兵三個聯隊を基幹として編成されていた。”
「第十三章 リモン峠」から
“五十七聯隊長宮内大佐がリモン峠の頂上に着いたのは、(昭和十九年十一月)三日の暮れ方であった。聯隊付大隊長要員としてマニラで配属された長嶺秀雄少佐、副官間宮正巳大尉のほかに、大隊砲一門、一個分隊の兵を連れた仁木少尉も一緒であった。
片岡中将(第一師団長)は一個小隊の「歩兵」を連れて来いと命じたのだったが、伝達の誤りから、「小隊砲」となった。小隊砲なんてものは日本の軍隊にはないから、多分大隊砲だろうということになったのである。リモン稜線にさしあたってほしいのは、歩兵なのであるが、いまさらそれをいっても仕方がない。大隊砲はあっても邪魔にはならない。兵は峠の諸方に散開して敵の動きを監視することになった。
片岡中将はマナガスナスで受けた米軍の定量砲撃の経験を語り、兵たちにとにかく壕を掘らせろといった。宮内聯隊長に、須山参謀指導の下に稜線の守備を命じ、自分は宮内聯隊長の乗って来たトラックで後方に急行した。師団主力を掌握し、配置を決定しなければならない。忙しいことであった。
宮内良夫大佐は、十六年十二月一日蒙疆駐屯の独立歩兵第二大隊長から転補された、片岡中将と同期の二七期生である。鹿児島県の出身、温厚な指揮官で、房総人の粘り強さを理解していた。結局リモン北方稜線で、米二一連隊と対抗したのは、五十七聯隊だけとなるのだが、その頑強な抵抗は、この気質の強味を遺憾なく発揮したものといわれる。”
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“佐倉市城内町の佐倉城址(じょうし)公園に、スイレンの花が咲く小さな池がある。”
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“この階段は跳下(ちょうか)台と呼ばれる。”
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“横顔に朝陽がとうめいに射している。” 『きことわ』
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