世の中には不思議な事があるものである。詩や叙情からは最も遠いA首相とS官房長官のコンビの口から、『万葉集』という言葉が出るとは思いもしなかった。
私はこの発表会見を見ていなかったので、人から新元号は「れいわになった」、と聞いて最初に思い浮かべた字は「礼和」であった。これは大逆転で従来通りに漢籍の『論語』か何かから採ったのかと思ったが、ニュースを見ると「令和」で、出典は『万葉集』とのことである。
私も『万葉集』は好きであるが、これが元号の出典になるとは想像もできなかった。その理由は、ここに収められた歌は漢字の音を借りて日本語を表記した歌集であるために、元の漢字の意味は無視している場合もあるからだ。しかし歌の詞書(ことばがき)の部分にある漢文から元号を採るというのは盲点であった。虚を衝かれた思いだが、よくよく考えてみると、とてもバランスのとれたこれ以上はない良い元号だと思うようになった。
以下、理由を箇条書きしてみる。
① A首相とExtreme Right の皆さんの望み通り、漢籍ではなく国書からの出典とした。
② しかし、Extreme Right の皆さんが本当に望む『古事記』や『日本書紀』からではなかった。
③ しかも、中国や韓国からの、「出典の出典は漢籍だろう!」という、漫才でいうところのツッコミの余地を残した。
④ 大伴氏は政治的敗者である。その大伴氏の思いも抱合しようとした。そして同時に勝者の無常も含意する。
⑤ 音の響きが美しい。新大関の貴景勝関は「高貴というか、きれいな感じがする」と言い、私も初めは音に「礼」を連想した。
⑥ その反対に、「令」の本来の字義から、「命令」等の冷たい印象も受ける。
このように、良く言えばバランスの取れた、悪く言えば八方美人的な元号が「令和」である。このどういう意味にも取れる「令和」には、中庸の心が含まれているとも言える。この新しい元号「令和」を得て私たちは、時に対立し、時に和やかにまとまりながらこれからの日本の歴史を作っていくのは、とても楽しいことではないだろうか。
【資料集】
『新書漢文大系26 文選<賦篇二>』明治書院
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『日本古典文學大系73 和漢朗詠集 梁塵祕抄』
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『日本史ストーリーノート 015』 Historia Mundi
※ この動画では、大伴金村の時代の「国際情勢」を解説している。Historia Mundi さんの日本史,世界史等の動画集の素晴らしさは信じがたいほどである。後日稿を改めて紹介したい。
『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史3』
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『大伴氏』(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%B0%8F
『水底の歌 柿本人麿論』 梅原猛
“私は、だんだん人麿の死が、柿本佐留の死んだ和銅元年(七〇八)の四月二十日であったような気がしてくる。和銅元年は、人麿の死刑にもっとも都合のいい時なのではないか。なぜなら、遷都という大仕事をひかえて、政府は多くの体制への批判者をかかえていた。その批判者たちをどのようにして政府の命令に従わせるか。それには、もちろん説得も必要であろうが、すぐれた政治家は、人間を支配するものは説得よりも恐怖であることを知っている。”
私はこの発表会見を見ていなかったので、人から新元号は「れいわになった」、と聞いて最初に思い浮かべた字は「礼和」であった。これは大逆転で従来通りに漢籍の『論語』か何かから採ったのかと思ったが、ニュースを見ると「令和」で、出典は『万葉集』とのことである。
私も『万葉集』は好きであるが、これが元号の出典になるとは想像もできなかった。その理由は、ここに収められた歌は漢字の音を借りて日本語を表記した歌集であるために、元の漢字の意味は無視している場合もあるからだ。しかし歌の詞書(ことばがき)の部分にある漢文から元号を採るというのは盲点であった。虚を衝かれた思いだが、よくよく考えてみると、とてもバランスのとれたこれ以上はない良い元号だと思うようになった。
以下、理由を箇条書きしてみる。
① A首相とExtreme Right の皆さんの望み通り、漢籍ではなく国書からの出典とした。
② しかし、Extreme Right の皆さんが本当に望む『古事記』や『日本書紀』からではなかった。
③ しかも、中国や韓国からの、「出典の出典は漢籍だろう!」という、漫才でいうところのツッコミの余地を残した。
④ 大伴氏は政治的敗者である。その大伴氏の思いも抱合しようとした。そして同時に勝者の無常も含意する。
⑤ 音の響きが美しい。新大関の貴景勝関は「高貴というか、きれいな感じがする」と言い、私も初めは音に「礼」を連想した。
⑥ その反対に、「令」の本来の字義から、「命令」等の冷たい印象も受ける。
このように、良く言えばバランスの取れた、悪く言えば八方美人的な元号が「令和」である。このどういう意味にも取れる「令和」には、中庸の心が含まれているとも言える。この新しい元号「令和」を得て私たちは、時に対立し、時に和やかにまとまりながらこれからの日本の歴史を作っていくのは、とても楽しいことではないだろうか。
【資料集】
『新書漢文大系26 文選<賦篇二>』明治書院
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『日本古典文學大系73 和漢朗詠集 梁塵祕抄』
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『日本史ストーリーノート 015』 Historia Mundi
※ この動画では、大伴金村の時代の「国際情勢」を解説している。Historia Mundi さんの日本史,世界史等の動画集の素晴らしさは信じがたいほどである。後日稿を改めて紹介したい。
『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史3』
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『大伴氏』(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%B0%8F
『水底の歌 柿本人麿論』 梅原猛
“私は、だんだん人麿の死が、柿本佐留の死んだ和銅元年(七〇八)の四月二十日であったような気がしてくる。和銅元年は、人麿の死刑にもっとも都合のいい時なのではないか。なぜなら、遷都という大仕事をひかえて、政府は多くの体制への批判者をかかえていた。その批判者たちをどのようにして政府の命令に従わせるか。それには、もちろん説得も必要であろうが、すぐれた政治家は、人間を支配するものは説得よりも恐怖であることを知っている。”