夏の甲子園は昨日決勝が行われ、大会108年目に遂に「越すに越されぬ白河の関」を深紅の大優勝旗が越えました。
決勝の対戦カードは以下の通りです。
【14日目】
▽決勝
仙台育英-下関国際
ここで、東北勢初優勝に至る過去の決勝カードを振り返る前に中国地区代表校の決勝での戦績を振り返ってみます。近年、低迷が著しい中国地区代表ですが、甲子園での成績にはくじ運も大きく左右するので一概には言えません。
中国地区の学校が最後に夏を制したのは、昭和63年の広島商です。平成以降に夏を制覇した学校はありません。そして、大会史上最初に夏を制したのも大正13年の広島商でした。
【中国地区代表校の過去の決勝戦績】
1924年 第10回大会 広島商○3-0●松本商
1927年 第13回大会 広陵中●1-5○高松商
1929年 第15回大会 広島商○3-0●海草中
1930年 第16回大会 広島商○8-2●諏訪蚕糸
1934年 第20回大会 呉港中○2-0●熊本工
1939年 第25回大会 下関商●0-5○海草中
1957年 第39回大会 広島商○3-1●法政二
1958年 第40回大会 柳井○7-0●徳島商
1963年 第45回大会 下関商●1-2○明星
1964年 第46回大会 早鞆●0-2○高知
1967年 第49回大会 広陵●1-7○習志野
1972年 第54回大会 柳井●1-3○津久見
1973年 第55回大会 広島商○3-2●静岡
1974年 第56回大会 防府商●0-7○銚子商
1982年 第64回大会 広島商●2-12○池田
1985年 第67回大会 宇部商●3-4○PL学園
1988年 第70回大会 広島商○1-0●福岡第一
1999年 第81回大会 岡山理大附●1-14○桐生第一
2007年 第89回大会 広陵●4-5○佐賀北
2017年 第99回大会 広陵●4-14○花咲徳栄
中国地区代表校が決勝に進んだのは、過去に20回あります。その内、優勝したのが8回、準優勝が12回でした。優勝回数は広島県が7回、山口県が1回、岡山県は夏の優勝がなく準優勝が1回です。鳥取県、島根県は決勝進出がありません。学校別では、広島商が6回でダントツです。呉港中(現:呉港)と柳井が各1回のみ。中国地区の学校では、夏8回の優勝の内、私学勢は呉港中のみで、7回の優勝は公立勢で占めています。これは「春の広陵」と呼ばれてきた広陵が春は3回の優勝実績があるにもかかわらず、夏は決勝で敗れた4回を含めて優勝できていないことも影響しているかと思います。呉港と広陵を除く私学勢では、早鞆と岡山理大附が各1回決勝進出していますが準優勝でした。下関商(2回)、防府商、宇部商の山口の公立勢も決勝の壁は破れていません。言ってみれば、夏に関しては広商の独壇場と言えそうですね。
只の偶然ですが、もう一つ特徴的なことがあります。決勝で敗れた試合で相手側の都道府県の夏では初の全国制覇に遭遇しているケースが多いということです。それが以下の通りです。
第46回 高知 2-0 早鞆
第49回 習志野 7-1 広陵
第54回 津久見 3-1 柳井
第64回 池田 12-2 広島商
第81回 桐生第一 14-1 岡山理大附
第99回 花咲徳栄 14-4 広陵
振り返ってみると、中国地区代表校は夏に関しては、広商を除いて非常に勝負弱いということが言えそうです。
それらを含めて昨日の決勝を振り返ります。
▽決勝
下関国際 000 001 000│1
仙台育英 000 120 50X│8
(下)古賀・仲井-橋爪
(仙)斎藤蓉・高橋-尾形
⚾下関国際とすれば、先発した古賀でできるだけ長く引っ張りたかったのだと思います。仲井は登板過多で疲労もたまっていたでしょうから、できるだけマウンドには上げたくなかったのではないでしょうか? 結果的に試合を決めた7回の岩崎の満塁ホームランも様々な伏線があってのことでした。
108年の間、どうしても越えられなかった優勝旗の白川越えが実現しました。東北の悲願がここに達成されたのですが、この試合も奇しくも宮城県初の全国制覇を中国地区の代表が見守ったことになります。こういう巡り会わせが重なって長い時間をかけて伝説へと変わって行くのでしょう。
では、ここで過去の東北勢の決勝での戦績です。
【東北勢、過去の決勝戦績】
1915年 第1回大会 秋田中●1-2○京都二中
1969年 第51回大会 三沢△0-0△松山商
(延長18回引分再試合) 三沢●2-4○松山商
1971年 第53回大会 磐城●0-1○桐蔭学園
1989年 第71回大会 仙台育英●0-2○帝京
2003年 第85回大会 東北●2-4○常総学院
2011年 第93回大会 光星学院●0-11○日大三
2012年 第94回大会 光星学院●0-3○大阪桐蔭
2015年 第97回大会 仙台育英●6-10○東海大相模
2018年 第100回大会 金足農●2-13○大阪桐蔭
更に春の選抜大会も確認しようと思います。
2001年 第73回大会 仙台育英●6-7○常総学院
2009年 第81回大会 花巻東●0-1○清峰
2012年 第84回大会 光星学院●3-7○大阪桐蔭
2011年夏から3季連続で準優勝した光星学院(現:八戸学院光星)を含めて、春・夏あわせて12度挑んで果たせなかった甲子園での頂点に仙台育英が初めて立ちました。
東北の悲願は一つ達成されました。これからも新たな歴史が高校野球に積み上げられるでしょう。それでもこの記念すべき優勝の足跡を残した第104回の選手権大会は語り継がれることと思います。
さて、issanには願いがあります。
それは、生きている内に岡山県勢の夏の選手権での全国制覇、そして母校・西大寺の甲子園出場、更にはファジアーノ岡山のJ1昇格とJ1制覇。欲張りですけど、それらを見届けたいのです。残された時間はそれほど多くありませんがね(苦笑)
中国地区に関していえば、夏は広島いや広商の一人天下です(苦笑) 今回、下関国際の頑張りは見事でしたが、予想通り(?)勝てませんでした。選手層の違いを痛感させられましたね。高校野球はそれだけではない力が働くことがあるのですが、これだけ制約が増えた現状では、それも中々難しいですね。
子どもの頃から高松へ行けば、最初に立ち寄るのは必ず屋島でした。当時は勿論、瀬戸大橋はなく連絡船かフェリーでしか四国に渡れませんでした。四国へ行くことが特別だった日々、今では考えられませんが、橋が四国の人々の悲願であったというのも分かります。浅野くんには今後の活躍を大いに期待しています。
そして、だいちゃんの母校が夢を実現するのを願っています。
私にとっては、母校が甲子園に出ることがまずもっての願いではありますが(笑)
秋田の大学時代、岩手出身のゼミ担の先生は、この悲願を、本当に夢見ている、と個人的に親しかった私に何度も話していました。今は、それこそ仙台の大学で教鞭を執っておられると聞いていますが、今、どんな思いなのか、今もつながりある、先輩を介して、zoomでもいいから同窓会を開きたくなりました。高校野球とは、そういうきっかけも作るものかもしれませんね。(笑)
須江監督は、裏方の道を現役時代に歩んできたからこそ、こんなに多くの人の気持ちがくみ取れる監督なのでしょうね。
さあ、これで一つの夢がかないましたが、私自身で言えば、もう悲願は、
・甲子園球場で夏の選手権を生観戦
究極の夢は
・アルプス席で母校の勝利の校歌を歌う
です。最近は振るいませんが、きっと再起してくれるでしょう。隣県になったし、数年以内には地方大会の応援に行きたいですね。
(しかし、地球温暖化があまりに著しいため、いよいよ甲子園の朝夕の二部制が取りざたされていますね、ちなみに、私個人的には賛成ですが)
最後に、がぜん注目を浴びた高松商業の浅野選手ですが、住まい(出身中学)は「屋島」」だとか。
那須与一の「扇の的伝説」のところですよね!!
こういった歴史的な方向や地名に次々結びつく、これこそが高校野球人気を支える一つの要因なんでしょうね。