戦前には無敵を誇った『水泳大国・日本』は長き低迷期を乗り越えて世界に冠たる『水泳ニッポン』の時代を謳歌していた筈です。
パリ五輪での低迷を意外と驚くことはありませんが、こうまで急降下するとは・・!? 組織が一枚岩ではない競技はこうまで落ちてしまうのか、と改めて認識した五輪でもありました。
不振に終わった日本水泳界同じ方向を向いていなかった選手と首脳陣・・パリ五輪・担当記者見た
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/hochi/sports/hochi-20240812-OHT1T51258
※以下、引用です。
日本水泳界をけん引してきた競泳は、存在感を失ってしまった。金を含む複数メダル獲得を目標に掲げたパリ五輪は、男子400メートル個人メドレーの松下知之(東洋大)が獲得した銀1個に終わった。リレーを含めて27選手が参加し、入賞は13種目を数えたが、日本新はなく、自己ベスト更新も1人(松下)にとどまった。梅原孝之監督は「危機感」を口にしたが、現場の空気感はどこかよそ様のような印象がぬぐえなかった。
メダルなしに終わった1996年アトランタ大会以来の低調ぶり。男女リレーで表彰台に上がっていた12年ロンドン五輪頃の競泳ニッポンは、影もない。アジアや欧州勢が力をつけている事は確かだが、選手が本番で力を出し切れるだけの準備を日本代表としてできていたのか。大いに疑問に残る。
今大会中、浅いと話題になったプール。事前の情報共有は首脳陣の中でもまばらで、現場には下りてこなかった。選手からは「飛び込んだ瞬間に浅いと思った」「急に水底だったのでビックリした」という声が聞かれた。水深が成績に直結したと考えるのは安易だが、重要であるはずの戦うフィールドについて伝える人がいなかったことは、問題の一端を映し出す。
11個のメダルを獲得した12年ロンドン五輪前は、渡欧してプールの水質検査までしていたという。米国代表の選考会にも視察メンバーを派遣し、情報を集めるなど準備をしていた。梅原監督が「情報収集不足と言われるとそうなのかな」と語るように、結果を残した時代のノウハウは引き継がれていないようだ。水連は現場の声を聞いて五輪までの強化合宿などを調整しているが、各代表コーチに属するチームの方針に依存し、日本として同じベクトルを向いている印象は感じられなかった。
選手、そしてコーチは日々、成長のために練習を積み重ねる。競泳は個人競技だが、こと五輪においては、何よりチーム力が試される。28年ロス五輪での復活に向けては、リーダーシップをとれる人材の発掘が急務で、より戦略的に強化を図っていく必要がある。現場のトップがよそ様の空気では、選手があまりにもふびんだ。(大谷 翔太)
水泳ニッポンの栄光は見る影もなく、メダル量産に沸く他種目に隠れてひっそりとしたものでした。水連の動力源は紛れもなく競泳陣の躍動でした。
水泳競技のパリでの惨状は大会前から危惧されていたことではあります。上層部が一枚岩ではない競技団体の問題だけで結論付けられない病巣が垣間見えて、水連だけではない日本の競技団体に根本的に横たわる「体育会体質」の限界が訪れようとしているのではないかと感じるところがありました。
直近の日本の躍進を支えてきた「巨人の星」と「虎の穴」。日本における体育会体質は「虎の穴」なのか? 体育会は「ルール無用の悪党」を養成する闇の組織ではありませんが、歴史的視点から見ると虎の穴に酷似している点は多々あります。ただ、日本的虎の穴は同じ目標を目指す統一された組織ではなく、団体と個人の利害が絡まるよりどす黒い現実的な存在です。組織のトップに立つ人の技量によって強くもなれば衰退もする。その負のスパイラルを何度も繰り返してきたのが日本のスポーツ界です。
「虎の穴」的組織の代表たる日本のレスリングはパリで絶頂期を迎えました。しかし、その結果に胡坐をかいていたり、利権に血道をあげるトップが現れた場合には、その座は安泰ではありません。
逆に組織が生まれ変われば水連にも未来はあると思います。まずは、お互いの利害を超越した集合体に生まれ変わることです。それが最も難しい課題であったとしても。
それぞれの指導者が個人的に努力し、選手が個人的に頑張った結果が良ければ称えられ、悪ければ徹底的に叩かれる。この風潮は中々改善はされないでしょう。競技に直接関与しない第三者が外部から叩く行為は慎みたいものですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます