おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

"新"岡山城 観覧 ~金烏城~が綺麗になっていた!

2024年02月12日 02時14分29秒 | 日記

岡山城が改修されて以降、今まで訪れる機会がありませんでした。

昨日、セッキー(関戸健二)のカレーをいただいた後、店から歩いて行きました。近いですからね。天気は下り坂でしたが、この時はまだ降っていませんでした。

岡山城は最近ではお城の特集番組で何度か紹介されたので、結構人気が沸騰しており凄い人出になっていました。入場券売場は外まで続く長蛇の列でしたが、私には必殺の秘密兵器があります。

 

それは、65歳以上の岡山市民は無料で入れるという、シルバーカードの特典です。いやあ、歳はとってみるもんだ(笑)

という訳で、長い行列を横目にすんなりと入場できました。日頃、年寄とは気づいていませんが、たまには良いこともあるもんですね。

 

岡山城は六層の大天守を有する巨大な城で、岩盤の形状をそのまま生かす作りになっている為、途中階までは五角形の左右非対称の作りになっており、それが他のお城とは一味違った趣を見せています。

最上階までエレベーターもありますが、ここは歩いて上がって、歩いて降りるに限ります。十分堪能しました。

出た頃には雨が落ち始めていました。それもまた趣深いですね。

岡山城は黒塗りの板塀の外観から、姫路の白鷺城との対比で、烏の城「烏城」、また金色に装飾された瓦や鯱の煌びやかな様子から「金烏城」などと呼ばれています。

その漆黒の外板と金色の瓦と鯱が雨に濡れると一層引き立つので美しい城の様相が際立ちます。

 

そして、空襲を唯一逃れて、築城当時のまま現存している「月見櫓」です。ここは、通常は入場できないので外観のみです。

往時の面影を今に残す唯一の歴史資料でもあるので、大切に残したい建造物です。

本来、岡山城と隣接する後楽園はセットで観覧コースになっているのですが、昨日は時間がなく雨も降ってきたのでまたの機会としました。

岡山には誇れるものが多々ありますが、地元にいると気づかないことが多くあります。今後も、色々散策したいものですね。


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2 コメント

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Unknown (だいちゃん)
2024-02-14 22:07:45
しっかりと、岡山城の写真を観たのは初めてかもしれません。立派ですね。何となく、この威容は小田原を凌ぐような気がします。ぜひ、いつかは行きたいです。

そうそう、実は地元にいるといろんな素晴らしさに築かず、逆に離れると「こんなに素晴らしい土地、ものだったのか」と気づくことが世の中、結構あるんですよね。

例えば私は何度も明かしたように親が転勤者でしたが、小学校後半から高校卒業まで過ごした静岡市は海あり、山あり。雪は降らない(この辺は岡山にも似ている?)し、そして当時、家族で住んでいたアパートからも天気が良ければ富士山がくっきりと見える・・本当に素晴らしい土地でしたが、住んでいたころは「それが日常」であったため、その素晴らしさに気付くことがありませんでした。今、たまに行くと、本当に素晴らしい土地だなあ・・と思います。ちなみに静岡が全国、いや世界に誇れるものとして、スポーツではないけど、模型産業の重要な土地だということがあります。また、近年気づきましたが「日本史上、最初の職業作家」と言われる十返舎一九、そしてタイの英雄、山田長政なども当時の駿府の出身です。何より、家康も事実上、駿府が故郷みたいなものですからね。こんなことを誇りに思えるようになったのも、大人になり、当地を離れてからです。

25歳から15年ほど住んだ岩手も、文学の香りがあちこちから立ち込めるし、地元の人は謙遜ばかり(そういう県民性)するけど、スポーツの力も物凄いし、岩手山の景色や、怖さもあるけど海もあり、6人の首相(今の政治家たちのような2世の人はおらず、特に原敬は薩長閥に南部盛岡藩が幼い頃敗れ、家老が処刑されるところを目の当たりにして、その反骨心でのし当たったため、とうとう爵位は辞退したそうです)を出しているなど、歴史も素晴らしい。やはり、岩手から出てから、凄いところにいたんだなあ、と思いました。

日本の歴史・特色は土地ごとに素晴らしいものが沢山あるから、自分の所など掘り下げると、もしかしたら自己肯定感が上がるくらい嬉しいかもしれません(笑)
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>だいちゃん様 (issan)
2024-02-15 06:18:48
小さい頃から隣の姫路城を何度か訪れていたこともあって、姫路城の規模感がアベレージであるという感覚があったので、岡山城がそれほど立派な城であるという感覚がありませんでした。各地のお城を巡る機会があって、最近になって岡山城の大きさを改めて感じることになりました。
戦災で焼失した岡山城が「明治100年記念事業」で再建されたのは、私が小学校4年生の時でした。昭和20年の岡山大空襲の際に当時全国で20あった現存天守の一つだった岡山城が広島城などと共に焼失しました。
地元で感じていたのは岡山城が姫路城と根本的に違うのが、再建された鉄筋コンクリートの城であるという引け目でした。現存天守で世界遺産でもある姫路城とは存在感が劣るという気持であったため、中々地元の城を訪れることもなくなっていました。昨今のお城ブームは再建の岡山城にも脚光が当たるようになり、観光逆が多く押し寄せるようになったのは嬉しい限りです。
ちなみに岡山城に多く配置されている金の鯱ですが、宇喜多秀家が築城した当時は秀吉の命によって華美な装飾を禁じられていたにもかかわらず許されたというのが、当時の彼の立ち位置を示していると感じます。秀家が関ヶ原で敗れ、岡山城の城主になった小早川秀秋は21歳で亡くなり、徳川家康の血縁であった池田家が城主となってから、繁栄の歴史が始まりました。
岡山は西の毛利を牽制する為の最前線でもあったので、時の権力者に近しいものが治めるようになったのだと思います。池田家は姫路の池田家、淡路の池田家とも血縁であったので、徳川政権の西の砦として重視されたのでしょう。

地元には誇れるものが何もないと卑下するのではなく、改めて見直すことによって楽しみは増していくのかも知れませんね。
広い平野を有する岡山に育つと、高い山を目にすることが全くないので、富士山も岩手山も自分にとってはかなりのインパクとであり、凄まじい圧迫感を感じるものでもあります。
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