カキオコを食べに日生まで行ったので少し足を延ばせばすぐに兵庫県です。
そこで、赤穂市から相生市近辺を徘徊して来ました。
12月は特に赤穂と言えば忠臣蔵です。近年、主君の仇を多勢で討つというのが物語性として良いのかどうか? コンプライアンス重視の昨今の風潮に合わないのか? 何れにせよ、江戸時代でも親の仇を討つこと以外は法的に認められていなかったので、主君の仇討の処分が寛大なものであったとしても切腹は致し方ないものです。
播州赤穂駅には浅野内匠頭や大石内蔵助の辞世の句が掲示されており、赤穂城断絶から赤穂浪士討ち入りの物語を彷彿とさせます。浅野内匠頭が暴君であったとか、吉良上野介が領民に慕われた名君であったとか、そういう話はこの際置いといて、物語としての忠臣蔵には日本人が忘れてはいけないノスタルジーの一端を感じることができます。
「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」
有名な浅野内匠頭の辞世の句(短歌)ですね。風に散らされる花の名残惜しさを自らの春を惜しむ名残惜しさにかけて、それでも最早どうにもできないもどかしさを表しています。『いかにとやせん』は「どうしようもない」という諦めと惜別の念が表されています。
しかし、この辞世の句を浅野内匠頭が本当に書いたかどうかは定かではありません。幕府の目付であった多門伝八郎のメモ「多門筆記」という史料に出てくるものであり、内匠頭の直筆が残っているわけではありません。刃傷沙汰から切腹に至るまでの時間を考えても、物語性を高めるための別人による創作という意見が強いのも納得できます。
「あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
こちらは大石内蔵助の辞世の句(短歌)です。主君の当たを討ち、悲願の思いは晴れて身は死んでも悔いはなく、現世の月にかかる雲もない爽快な気分であると詠んでいます。
討ち入りから切腹までの時間は十分あったことから見ても、この歌は内蔵助の辞世の句であったと思っています。
尚、掲示はありませんでしたが、内蔵助の息子、大石主税良金の辞世の句も記しておきます。
「あふ時は 語りつくすと 思へども 別れとなれば 残る言の葉」
逢っている時には語り尽くしたと思っていたが、いざ別れとなると言い損ねた言葉がこの胸にまだ多く残っていると詠んだ大石主税はこの時弱冠16歳でした。この歌は主税の母「りく」との思い出と惜別の念を詠んだものと思われます。覚悟を決めたとはいえまだ若い主税の動揺を表している歌と考えています。
播州赤穂駅には循環バスの停留所「ゆらのすけ」がありました。仮名手本忠臣蔵の「ゆらのすけ」を使用しているところにセンスを感じました。
播州赤穂駅の駅スタンプです。薄くて見難いと思いますがご容赦ください。
赤穂からもう少し足を延ばして相生へ。
途中、道の駅「白龍城」へ立ち寄りました。
相生はど根性大根「大ちゃん」の里です。
そして、白龍(ペーロン)でも有名な土地なのです。
道の駅「あいおい白龍城」のHPより引用します。(https://peironjo.jp/)
相生市は瀬戸内海でも深く入り組んだ相生湾があり、古くは瀬戸内の航路でした。石川島播磨重工業相生造船所の企業城下町として栄え、昭和37年には新造船建造量で世界一を達成しました。造船とともに歩んできた相生市ですが市内には坪根古墳群や感状山城址・羅漢の里等の歴史的な史跡もあり、瀬戸内海(播磨灘)や相生湾の眺望スポットなども楽しめます。海岸線を通る「はりまシーサイドロード(国道250号線)」はツーリングやドライブが楽しめ、道の駅あいおいペーロン城もドライバーで賑わいます。
ペーロンはパイロンがなまったもので、日本には1655年、長崎に伝来したと言われています。その当時、中国船が長崎港を訪れた際、強風のため出航できず、船員が海神の怒りを鎮めるためにペーロン競漕を港内で行ったのがはじまりです。
長さ13m・幅約1.6mの木造和船で32人乗り(漕ぎ手28人、舵取り、艇長、銅鑼、太鼓各1名)の船。龍の頭部をかたどった船首みよしが特徴的で、全12艇に龍の名前がついています。
相生のペーロン競漕は大正11年(1922年)に播磨造船所(現IHI相生事業所)の長崎出身の従業員が異郷でふるさとをしのんで始めたのが相生ペーロン競漕の起こりです。龍舟4艇が競漕する相生ペーロンとして引き継がれ、現在は毎年五月、播州路に初夏を告げる「相生ペーロン祭」となっています。相生の町を彩る前夜祭の海上花火大会、陸上パレードとともに海上行事としてペーロン競漕が盛大に行われています。約70チームが参加し、300mの海上コースを往復しその速さを競う。漕ぎ手の一糸乱れぬ櫂さばきやレース中盤に船がコースを回る際の舵取りが見所。ドン!デン!ジャン!と銅羅と太鼓の音に合わせて力漕する姿は、まさに龍が水面を駆けるように壮観そのものです。
道の駅・白龍城は相生湾が細く入り組んだ場所にあります。石川島播磨重工(IHI)の対面になりますね。
道の駅のスタンプも押しました。
ペーロンとど根性大根。相生はペーロンの街ですね。全国的な知名度が然程ないことには少々残念に思いますが。
そして、駅スタンプを求めて相生駅へ。
駅舎は改修中のようですね。
更に薄くて申し訳ございません。モチーフはやはりペーロンでした。
という訳で、日生から県境を越えて赤穂市と相生市を放浪した記録を取り留めなく書きました。失礼いたしました。
https://blog.goo.ne.jp/sakuranbo-doghotel/e/6bf5f9a0b93dfcb7ae8ce2854f106a16
赤穂市は県境なので行こうと思えばいつでも行ける場所ですが、近いが故に中々行けないこともありますね。
拙い内容で申し訳ございません。でも懐かしくお読みいただけたら幸いです。
ありがとうございました。