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脳でトラウマがつくられる仕組みの解明へ>心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療法の可能性が

2025年02月06日 23時03分57秒 | 医学と生物学の研究のこと


脳でトラウマ記憶がつくられる仕組みの一端分かった 生理学研究所などマウス実験で解明








10/17(火) 16:55配信2024


Science Portal
 強い恐怖の体験をいつまでも忘れられない「トラウマ記憶」が脳でつくられる仕組みの一端を解明したと、自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)などの共同研究グループが発表した。マウスの動物実験で、恐怖の体験をすると脳の「前頭前野」に新しい神経細胞ネットワークができることを確認。研究成果は心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの難治性精神疾患の治療法研究につながる可能性もあるという。


 トラウマ記憶は突然呼び起こされ、フラッシュバックとも呼ばれる。実生活にさまざまな不自由を強いることがある。これまでの研究で大脳皮質の前頭前野が関わり、多くの神経細胞の集団によって保持されていることなどは分かってきた。しかし、脳神経細胞の情報処理ネットワークの構造は複雑でトラウマ記憶ができる詳しいメカニズムは解明されていなかった。


 生理学研究所の揚妻正和准教授、鍋倉淳一所長や大阪大学産業科学研究所の永井健治教授のほか、東京大学、玉川大学、メキシコ自治大学、名古屋大学も参加する共同研究グループは、トラウマ記憶がつくられる前と後とで同一の神経細胞集団の活動がどのように異なるかを比較することが重要と考えた。


トラウマ記憶がつくられる仕組みの一端を解明した一連の研究の概念図(生理学研究所提供)


 そこで、光学を応用して生きた動物の脳を長期的に計測できる手法や、人工知能(AI)の機械学習解析に着目してトラウマ記憶に関わる神経細胞集団の活動を高精度に選別する手法を開発。最新の数理解析技術も使い、マウスでトラウマ記憶の実体を解明する研究を続けた。


 研究の中心となるマウスの実験では、マウスに無害な音を聞かせながら微弱な電気を流すとこの電気刺激がトラウマの引き金となり、その後は同じ音を聞かせるだけで恐怖反応の「すくみ行動」を示すことを利用。恐怖反応を手掛かりに、新たに開発した手法や技術を駆使してトラウマの基になる体験(トラウマ体験)ができる前後の脳の神経細胞集団の活動変化を調べた。


トラウマ体験の後は特定の神経細胞集団の結合が増加することを示す概念図(生理学研究所提供)


 その結果、トラウマ体験をすると前頭前野に新たにトラウマ記憶の神経細胞の情報処理ネットワークができることを確認。ネットワークは恐怖を感じる体験によって特定の神経細胞集団の内部結合が増加することによりできることが判明した。この内部結合は「トラウマ体験(弱い電気刺激)」に強く活動する神経細胞集団に、トラウマ体験に無関係だったはずの音に反応する神経細胞集団が結び付いてできることが分かった。つまり、トラウマ記憶は、この2つの神経細胞集団の結合により新たな情報処理ネットワーク(経験依存的ハブネットワーク)が形成されて生じるという仕組みが明らかになった。

 研究グループは、今後トラウマ記憶に関わる一連の細胞集団の働きを抑える技術ができれば、PTSDなどトラウマ記憶による弊害を緩和することができる可能性があるとしている。


 一連の研究は科学技術振興機構(JST)、日本学術振興会、日本医療研究開発機構(AMED)などの研究支援を受けて進められた。



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「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?その突然変異はヒトの誕生より70万年も前になる!?

2025年02月06日 22時03分17秒 | 医学と生物学の研究のこと

>FOXP2は、言語と関係していることが明らかになった最初の遺伝子である。FOXP2に突然変異が起きた人は、話したり、文法を理解したりすることが困難になることが知られている。






ヒトだけ違う、言語をつかさどるFOXP2遺伝子



FOXP2の機能ドメイン


「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?その突然変異はヒトの誕生より70万年も前になる!?
2/6(木) 7:01配信


現代ビジネス
gettyimages


「生物は進化することによって進歩していく」「進化には長大な時間がかかるので、進化を目の当たりにすることは不可能である」……とかく誤解されやすい「進化論」について、楽しく、わかりやすく語り尽くした話題の新刊『世界一シンプルな進化論講義 生命・ヒト・生物――進化をめぐる6つの問い』。この本の中から、今回は遺伝子にスポットを当て「ヒトらしさを決める遺伝子」について考えていくことにします。


【写真】「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?


*本記事は『世界一シンプルな進化論講義』(ブルーバックス)を再編集したものです。


「FOXP2遺伝子」がヒトをヒトらしくしている!?
gettyimages


私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)は、人類の一種である。人類は約700万年前に現れ、進化の結果、数十種に分岐した。しかし、その多くは絶滅してしまい、現在生き残っているのは、私たちヒト1種だけである。


ヒトは、他のほとんどの人類種とは異なり、いわゆるヒトらしい行動をすると考えられている。洗練された言語を話したり、芸術的な活動をしたりするのは、その例だ(ヒト以外でそういう行動をした可能性のある種は、ネアンデルタール人などごく限られている)。


このように、ヒトをヒトらしくした原因には、おそらく遺伝子も関係しているだろう。そんな可能性のある遺伝子の一つが、FOXP2(フォックスピーツー)だ。


FOXP2は、言語と関係していることが明らかになった最初の遺伝子である。FOXP2に突然変異が起きた人は、話したり、文法を理解したりすることが困難になることが知られている。


このFOXP2遺伝子をもとにして、FOXP2タンパク質が作られる。ヒト以外のほとんどの哺乳類では、数千万年もの間、FOXP2タンパク質のアミノ酸配列は変化していない。


ところがヒトでは、FOXP2タンパク質のアミノ酸が2個も変化している。他の哺乳類でほとんど変化がないことを考えると、この変化が洗練された言語の誕生に、つまりヒトらしい行動の一端に、関係しているのかもしれない。

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ヒトらしい行動が進化した原因は?
ラスコー洞窟の壁画(gettyimages)


でも実際には、ヒトらしい行動は、数万年前に急速に進化している。


これは、1つあるいは少数の遺伝子の突然変異では説明しにくい現象だ(ほとんどの遺伝子の共通祖先は10万年以上前に存在していたと推定されている)。


では、ヒトらしい行動が進化した原因は何なのだろうか。はっきりとはわからないが、遺伝子の組み合わせが大きな役割を果たした可能性はある。ヒトらしい行動に必要な遺伝子(の変異)はすでに存在していて、それらがうまく組み合わせられた遺伝子セットが、自然淘汰によって急速に増加した場合などだ。


あるいは、必要な遺伝子セットはずっと前から存在していて、ヒトらしい行動が進化した引き金は環境的なものだったのかもしれない。


ヒトの行動が1つあるいは少数の遺伝子によって決定されているという話は魅力的だ。つい飛びついてしまいたくなる。でも、そういう話には慎重になったほうがよい。皆無ではないかもしれないが、あったとしても非常に稀な現象だろう。


以下はリンクで、





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夕焼け前の雲です⭐

2025年02月06日 19時03分23秒 | いろいろな出来事
もうすぐ、日没ですね❗



2・20・2022
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川面は、まだ、冬です❗

2025年02月06日 17時03分06秒 | いろいろな出来事
もうすぐ、1月も終わりますね🍀







2/7/2023
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「私の読んだ本とは違いますね…」上皇陛下が満洲事変の解説に異を唱えたワケ

2025年02月06日 16時02分40秒 | 歴史的なできごと

「私の読んだ本とは違いますね…」上皇陛下が満洲事変の解説に異を唱えたワケ 



陛下は異を唱えた


「私の読んだ本に書いてあることとは違う」


 そのうえで半藤さんはこんな裏話も披露した。


「陸軍の中枢は、板垣や石原の動きに対して見て見ぬふりでいるつもりだったのですが、動きに気づいた元老西園寺公望や若槻礼次郎首相に『勝手な動きをするな』と厳しく注意され、南次郎陸相は、『あいつらを止めねばまずいことになる』と悟りました。そこで参謀本部の作戦部長建川美次少将を派遣してこの謀略を止めようとしたのです。


 ところが派遣された建川は、関東軍の幹部と意を通じてもいまして、まあ、本気で説得するつもりだったのかは怪しいものです。飛行機で行けばいいのに、わざわざ列車で下関まで行って関釜連絡船で大陸に渡っている。


 やっとこさで奉天に着いた建川を出迎えたのがほかならぬ板垣大佐。挨拶もそこそこに、2人はそのまま料亭菊文に出かけて酒を飲み始めた。建川は大の酒好き、これに対する板垣のあだ名も午前様。午前にならないと盃を放さないという酒豪です。最後は建川が酔い潰されてしまった。関東軍は2人が飲んでいる間に柳条湖付近で鉄道を爆破したんです」


 陛下にとっては初めて聞く話が多かったようで、「私の読んだ本に書いてあることとは違いますね」ともおっしゃる。それで私たち3人は「えっ」となった。半藤さんは「陛下はどういう本をお読みになったのでしょうか」とすかさず聞いた。こういう質問をずばりとできるのはいつも半藤さんだった。陛下よりも3歳年長ということと、長年の経験ゆえだろう。


 陛下がすっと立ち上がった。



「では、私の読んだ本を書庫から持ってきます」


 突然、部屋を出て行った陛下の行動に驚いている私たちに、美智子さまは雑談の相手をしてくださった。


陛下はどうしてこの戦前の本を


お読みになったのだろう?


「書庫は遠いのですか。どういう書庫なのでしょうか」と私が尋ねると美智子さまは、


「いえ、陛下がよく読む本は、書庫とは別のところに置いてあるんですが……」


 とおっしゃる。陛下が不在だったのは10分くらい。やはり書庫で本を探したようだった。


「この本なんですよ」


 と渡された本は厚手のハードカバーの古めかしい本だった。しかし、著者を見てもピンと来ない。半藤さんに「この人、知ってますか」と聞いたら、「知らないな」という。奥付を見てびっくりした。「昭和8年」とあるのだ。事変からまだ2年後、言論統制は太平洋戦争の時ほどではなかったとはいえ、事変の真相を書けるはずがない。しかし陛下は


「私はこれを読んだんです」


 とおっしゃる。正直なところ、私も半藤さんもあっけにとられた。内心では「満洲事変について戦後に書かれた本はたくさんあるのに、どうしてこの戦前の本をお読みになったのだろう」という疑問が湧いた。


「陛下、この本は今出ている満洲事変の本とは、事変に対する理解がまったく違います。この本はまだ軍の謀略だったことを隠しています」と半藤さんが言った。私も続いて「戦前のこの段階から研究が進み、今は真相とともに詳細な事実が次々と明らかになっています」と申し上げた。


 すると陛下はあっさりと「そうでしょうね」とおっしゃる。私たちの反応に驚いた様子はなかった。予想していたのだろうか。ではなぜわざわざあの本を持ち出されたのだろうか。両陛下は、新聞も読み、テレビも自由にご覧になって、本も自由に入手できる環境におられる。たまたま陛下の手の届くところにあったこの本を読まれ、その内容に疑問を感じ、気安く聞ける相手に見せて確認したかったのだろうか。


「それでは満洲事変は関東軍が仕掛けた謀略という理解でよろしいのですね」


 と陛下は私たちに確認された。それで間違いありませんと私たちは答えた。



田中メモランダムは


けっきょく誰が書いたのですか?


 ここで満洲事変の話はいったん終わったのだが、その次の3回目の懇談(2014年11月8日)の際、陛下の関心はさらに意外なところに向かっていることがわかった。


「ところで、『田中メモランダム』とはどういうものだったのでしょうね」


 田中メモランダム(田中上奏文)とは、1927(昭和2)年に当時の田中義一首相が昭和天皇に極秘に送ったとされる偽書だ。

「支那を取るためにはまず満蒙(満洲と内蒙古)を取り、世界を取るためにはまず支那を取れ」と書かれ、

満蒙征服の計画を具体的に示していると宣伝された。つまり日本の「満蒙侵略計画」であるかのように読める文書だが、この文書の存在を知る人はかなりの昭和史通だろう。


 1929(昭和4)年12月に中国の雑誌「時事月報」に掲載されたのが最初で、その後米国に流布された。東京裁判でも持ち出され、真偽が論争になったことはあるものの、すでに死亡していた山縣有朋が登場するなど誤りや矛盾点がいくつもあり、現在では完全なニセ文書だと確定している。


 陛下はむろんこうしたことはご存じの様子だったが、


「けっきょく誰が書いたのですか」


 と尋ねられた。


 誰が作ったものかはわからない。


 半藤さんは、田中メモランダムは偽書ではあるものの、「当時の日本の雰囲気をよく表した内容ではあったと思います」と話した。私は「推測ですが、ベースとなったメモ書きなどは日本側から流れたのかもしれません」と申し上げると、陛下はさらに関心を深められ、


「そのベースとなったメモ書きなどは誰が作ったんですかね」


 と問われた。


「いろんな説があります。政友会の田中義一に対抗していた民政党の息のかかった人たちによるものとする説、血気にはやる将校が意図的に撒いて中国を刺激しようとしたとする説、あるいは中国の謀略機関の捏造による文書などいろいろありますが、現在も判然としません」


 私はこんな説明をした。


石原莞爾はそういうところでも


関与しているんですかね?


 それでも陛下は納得されないご様子だったので、「実は、田中メモランダムをつくったメンバーとして、張作霖爆殺事件に絡んだ河本大作大佐など日本の軍人の名を挙げる人もいますね」と話した。実証されているわけではないが、そういう推測をする人がいるのは事実だったからだ。すると陛下はさらに興味を持った様子で、


「石原莞爾はそういうところでも関与しているんですかね」


 とお聞きになったことに、正直なところ私たちはかなり驚いた。半藤さんは「石原は関東軍参謀でした。最前線で満洲事変に深く関係していますから、少なくともそういうことを考えない人物ではありません。ただ、石原が書いたと断言できる証拠はありません。専門家の研究でもやはり中国側による謀略文という説が有力です」と伝えた。




『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』 (文藝春秋) 保阪正康 著
© ダイヤモンド・オンライン

 それでも陛下は納得されないご様子で、「そうなんですかねえ」とあいまいな言い方をされた。半藤さんは少し言い訳のように、「ただ、私もすべての仮説を綿密に検証できているわけではありません」とつけ加えた。私も似たようなことを言い添えた。すると陛下は「お2人とも忙しいんですね」とおっしゃった。


 石原莞爾と田中メモランダムを結びつける発想は一般にはない。当時、対中強硬派で売り出し中の奉天総領事吉田茂(後の首相)と結びつけるならまだわかるくらいだが、石原はまだ陸軍大学教官から関東軍に赴任する前だったからだ。もしかすると石原のかかわりについては、陛下は何か核心的なことを誰かから聞いていて、もっと調べてはどうかと私たちにうながしたのではないかと思えるほどの熱心さであった。









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