いまだに終息の気配を見せないコロナショック。短期的な混乱に焦点が当たりがちですが、バブル崩壊から発生したいわゆる氷河期世代の問題が現在に至っても引きずっているように、この先何十年も続く深刻な問題が起こりつつあります。
それは「教育の格差」です。学校によってコロナショックの対応が異なるため、わずか数か月のことであっても、学童期・青年期に発生してしまった教育格差が10年後、20年後、大人になっても根深く継続してしまうというシナリオが予想されます。
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本来、解決すべきは国家かもしれませんが、それを待つよりも家族が主体的にサポートし、打開のための努力を1日でも早く始める必要があるでしょう。平日の昼間に公園で野球やサッカーをしたり、みんなで座ってゲームをしたりしている子供たちを見かけると、普段の休日であれば何も感じませんが、今のタイミングではそのシーンがとても恐ろしい光景に見えてしまいます。
「無意識下の行動」は幼少期の過ごし方に大きく影響
筆者の仕事は会社を復活させたり成長させたりすることですが、その過程においてはさまざまな会社員と真正面から向き合わなければなりません。リストラを伴う経営改革など「修羅場」に置かれると、いい方向に変われる人、変われない人、むしろ悪い方向に変わってしまう人に世代を問わず、分かれてきます。
就職や転職においても「うまくいく人/いかない人」の差は出てきます。環境が大きく変わると、自分なりの行動の軸を作っていくことが求められます。「この環境ではどういった行動基準や思考回路、判断基準が正しいのか?」を推測し、それに沿って行動してみて、そこからさらに自分なりの発展形を作っていこうとするのが優秀な人です。
同じ会社にずっといる場合の昇進も同様でしょう。自分で先に動く人は周囲の規範になりうるために、評価もされやすい。先に動くためには先に物事を自分の頭で考えることが必須です。そうしたビジネスマンとしての「本能的なサバイバル能力」は、意欲の問題ではなく、無意識の中での行動スタイルであると思います。そして、それは幼少期の親の教育や学校でどう過ごしてきたかが大きく影響しています。
中学に上がったばかりの子供が平日にサッカーをして遊んでばかりいるという家庭の話を聞くと、子供は「そもそも学校から大して連絡もないからやることないし、退屈だし」と言い、親のほうも「部屋に引きこもるより外で遊んでいる方が子供らしいから構わないか」と看過しているとのこと。
今はただの「困った我が子のエピソード」に聞こえますが、こうした時間を漫然と過ごしてしまうと、年月を経るごとにじわじわと大きなダメージを与えかねません。
それはなぜか? そもそも反省がない人は成長しません。ただ、それ以前に自分なりの思考回路や行動・所作の軸ができていないと、反省のしようもありません。自分の中に軸がなければ、PDCAは回らないのです。 しかし、自分なりの軸を持ち、自ら改善していくというのは「言うが易し行うが難し」の典型。誰しも最初からできるわけではありません。まずは一方的に教えてもらって、周囲から刺激を得ながら話を聞き、自分で少しずつ考えてペースを作っていくというプロセスが必要です。
幼稚園から小学生に上がる頃は自分で本を開いたり、人の話を聞いたりするという習慣づけから、さまざまなことを学んでいくのだと思います。中学生あたりでは視野を広げることで自分の可能性が広がっていく実感を得て、高校生になったら目標や目的をもって自分から疑問を抱いて調べる習慣が学業を通じて身についていっているはずなのです。
仕事人としての基本所作」は学習を通じて身につく 今は学校によって対応がバラバラですので、実質的にほとんど何もされずに放置されている子供もいれば、Web授業によって家にいてもほぼ通常通り授業を受けている子供もいます。進学に力を入れている私立の進学校と、それ以外の学校の差は平時以上に顕著になっているわけです。
特に小学校、中学、高校に上がったばかりの学年は要注意だと思います。入っていきなり放ったらかしにされたままだと、「クラスの友達」も誰もいないために刺激も弱く、緊張感が解けて間延びしていきます。最初が肝心で、帰属意識が薄いままで基本所作をつかめないと、学校生活における自分の軸が形成されずに2~3か月という時を過ごしてしまい、その後も負の影響として残り続けるはずです。
逆に受験を意識し始める2年生や3年生など危機感を迎えている代は、「自分のあずかり知らぬところで環境は変わりうる」ということを身をもって実感して、友人とも相談しながら急速に対応を始めていくかもしれません。これを乗り越えられるかどうかで、今後の人生の糧にもなります。
組織・社会で働き始めたら、自分ではどうしようもない環境の影響を受けることなんて大なり小なり日常茶飯事です。その耐性がつくでしょう。
つまり、大きく環境が変わるという瞬間に、本人のせいでもなんでもない理由で放置される時間を過ごすのか、一層適応力を鍛えられて過ごすのかの差が大きく出てしまいます。本来はこの時期に知らず知らずのうちに身につけていくべき「仕事人としての基本所作」が置き去りになってしまうことは、目先のカリキュラム消化などよりもよほど重大な問題。
このままでは、社会人としての能力が育まれないまま大人になってしまう世代がごそっと誕生してしまうリスクがあるわけです。将来的には「ゆとり世代」よりも、よほど大きな問題になってしまうのではないかと危惧しています。
将来、子供を苦しませないために親がやるべきことは?
親の経済状態が子供の教育格差を生んでいることはよくレポートされています。コロナショックの学校の対応によって、その格差は今までよりもさらに拡大しているでしょう。
単なる成績の良し悪しやその結果の学歴といった表面に見えやすいものではなく、あとからの努力で取り返しにくいような、見えにくい次元に影響しかねないということに恐ろしさを感じます。今、放置されている子供が将来、自覚なく苦しむような状況を迎えかねません。 コロナショックが顕在化してから書店でドリルがものすごく売れたという話を聞きました。不幸にも自分の子供が通う学校が「放置系の学校」であった場合でも諦めてはいけません。親が在宅ワークなどで子供と接する時間をより作れるようになっていたら、リカバーに取り組んで少しでも将来の不安を取り除くべく行動しましょう。
親としてやれることは、「国の政策、まだかよ」とメディアを見ながらぼやくことではなく、さらにドリルを買ってあげるだけでなく、ドリルを開きながら、不慣れでも下手でもいいので先生のふりをして教えてあげることだと思います。
下手な解説をした場合には当然子供からツッコミが入りますが、ツッコミに対して一緒に考えて押し返して……というやり取りを続けることで「軸」ができてきて、その軸を子供が受け止めて、さらに自分なりにアレンジしていくわけです。そうした所作は大人になり、会社員になった際の「変化に対応できる力」につながっていきます。
やむを得ず、出社をしている場合でも今の時期は飲み会もありませんし、子供が起きている時間帯になるべく早く家に帰りましょう。このまま生きる力が備えきれないまま大人になり、ずっと世話を見ることになってしまうリスクを考えると「悪い投資」ではありません。
ついでに親子の愛情をたくさん感じてもらうことで、お金持ちの子供よりも心が豊かに育つ可能性まで考えれば、お金のかからない有意義な「先行投資」だと割り切ることもできるはずです。