夢であいましょう
テレビ草創期の1960年代、後に伝説となる音楽バラエティーが誕生する。それが、 1961(昭和36)年から5年間放送された『夢であいましょう』である。
『夢であいましょう』
「一週間で、最も特別な夜」を、キャッチコピーに、土曜日の夜10時台、30分間の生放送。音楽をコントとトークでつなぐ、音楽バラエティーの源流ともいえる展開は、テンポよく、お洒落で都会的だった。当時としては遅めの放送時間にも関わらず、家族全員がみる人気番組となった。
『夢であいましょう』
番組の出演者は、今から見ればそうそうたる面々だった。しかし当時、彼らもまだまだ駆け出し、売り出し中。全力で踊り、歌い、笑わせ、この番組の中でスターとなっていた。
『夢であいましょう』
そうそうたる出演者たち
若き日のスターの代表は、まず、“寅さん”となる前、コメディアンとして売り出し中の渥美清。ハンマー片手に叩き、叩かれのコントなどを熱演した。すでにマルチ・タレントとして活躍していた黒柳徹子は「リリック・チャック」というレギュラーコーナーで詩を朗読した。
この番組から生まれた「上を向いて歩こう」が世界的なヒットをする坂本九や、後にカンヌ映画祭グランプリ映画「楢山節考」の主演女優・坂本スミ子、田辺靖雄、ジェリー藤尾、九重佑三子、ジャニーズなど、その後一世を風靡する人たちが目白押し。さらに、日本人より日本に詳しく、当時“へんな外人”として人気になったE.H.エリックやフランス帰りの岡田真澄、プロレスから転向したミスター珍、三木のり平、谷幹一らが加わって、コントやギャグを展開した。
上を向いて歩こうを聴いた時ヒットの予感がしました。
中村八大は福岡県の出身でジャズのピアノ演奏家でした。
この時代には、伝説的な名番組がありましたね。