山門を潜ると、緩やかな階段に紅葉の若木が植えられている、登り切った中門の向こうにやはり紅葉と本堂がみられる。
寛文元年(1661年)尾張二代藩主「徳川光友」が生母「乾の方」の菩提を弔うため、此処に諸堂宇を整えたと・・・・・。
秋には紅葉が見事な処に違いなく、樹々と竹林が鬱蒼と囲む「大森寺ーだいしんじ」です。
此処で「大森」の最後とします。
山門を潜ると、緩やかな階段に紅葉の若木が植えられている、登り切った中門の向こうにやはり紅葉と本堂がみられる。
寛文元年(1661年)尾張二代藩主「徳川光友」が生母「乾の方」の菩提を弔うため、此処に諸堂宇を整えたと・・・・・。
秋には紅葉が見事な処に違いなく、樹々と竹林が鬱蒼と囲む「大森寺ーだいしんじ」です。
此処で「大森」の最後とします。
名鉄瀬戸線の「大森駅」で降り、翠松園から「瀬戸街道ー尾張」を稍東に、守山区役所の「史跡散策路」に従って現在の瀬戸街道を途中で少し横丁に入り「旧瀬戸街道」に来ました。
旧街道らしき雰囲気はあまり感じない処でしたが、夏空のしたこの先に「尾張瀬戸」に続きます。