(「河北新報」平成28年12月31日(土)付け記事より引用)
いつも命がけでピッチに
世界の大舞台目標に躍動
2020年の東京五輪・パラリンピックを控え、障害者サッカーが盛り上がりを見せている。ハンディキャップを個性と捉え、ピッチで自己表現する障害者アスリートたち。
世界の大舞台で輝くことを夢見る彼らの活動を追った。
■女子初の日本代表
「シュートを決める快感は、何ごとにも代え難い」。横浜市の永岡真理さん(25)は、小学2年から電動車いすサッカーを始めた。1チーム4人で戦う競技は約9割が男性選手だが、永岡さんは、女子選手として初めて日本代表になった。
忘れられない試合がある。12年8月の全国大会。関東選抜チームで出場した永岡さんは、ボールを競り合って相手と衝突し、ボールに乗り上げ横転。気を失い、救急車で搬送された。
「脳振とうでした。私はまだ戦えると判断して、家族の反対を押し切って試合に戻りました」。結果は優勝。永岡さんは最優秀選手に選ばれた。
永岡さんは生まれつき、筋肉が徐々に弱る脊髄性筋萎縮症だ。「毎年のように、若くして亡くなる仲間がいる。(だから)私たちは命がけで試合に出る。『危な
いからやめろ』と言うのは簡単ですが、リスクを背負う自由も尊重してほしい」
夢は、17年に米国で開催予定のワールドカップに日本代表選手として出場し、優勝することだ。
■少年時代偏見持つ
「障害者って、一人では何もできない人でしより・・・」。福島市出身のブラインドサッカー日本代表加藤健人さん(31)は、まだ目に障害がなかった少年時代は、自身もそんな偏見を持っていたと打ち明ける。目が見えなくなる遺伝性の「レーベル遺伝性視神経症」を高校時代に発症。現在、視力は失われている。
高校2年の冬、サッカー部の練習中に頭を強打し、急激な視力の低下を感じた。病院の検査で病名が分かった。
その後も視力は下がり続けた。当初は現実を受け入れられず、自分の殼に閉じこもった。「道を開いてくれたのは、両親が偶然インターネットで見つけてくれ
たブラインドサッカーでした」
競技は1チーム5人制で、視覚障害者が音の出るボールを使ってプレーする。競技が盛んな筑波技術大(茨城県つくば市)に進学し、本格的に練習に取り組み始めた。
07年に日本代表に選ばれ、東京五輪でのメダル獲得を目指す傍ら、啓発活動にも力を入れる。「何ごとも、始めなければ始まらない。多くの人に、まず一歩を踏み出してほしい」。永岡さんや加藤さんら障害者サッカー選手の活躍は、ライター江橋よしのりさんのノンフィクション「サッカーなら、どんな障がいも超えられる」(講談社刊)に詳述されている。
いつも命がけでピッチに
世界の大舞台目標に躍動
2020年の東京五輪・パラリンピックを控え、障害者サッカーが盛り上がりを見せている。ハンディキャップを個性と捉え、ピッチで自己表現する障害者アスリートたち。
世界の大舞台で輝くことを夢見る彼らの活動を追った。
■女子初の日本代表
「シュートを決める快感は、何ごとにも代え難い」。横浜市の永岡真理さん(25)は、小学2年から電動車いすサッカーを始めた。1チーム4人で戦う競技は約9割が男性選手だが、永岡さんは、女子選手として初めて日本代表になった。
忘れられない試合がある。12年8月の全国大会。関東選抜チームで出場した永岡さんは、ボールを競り合って相手と衝突し、ボールに乗り上げ横転。気を失い、救急車で搬送された。
「脳振とうでした。私はまだ戦えると判断して、家族の反対を押し切って試合に戻りました」。結果は優勝。永岡さんは最優秀選手に選ばれた。
永岡さんは生まれつき、筋肉が徐々に弱る脊髄性筋萎縮症だ。「毎年のように、若くして亡くなる仲間がいる。(だから)私たちは命がけで試合に出る。『危な
いからやめろ』と言うのは簡単ですが、リスクを背負う自由も尊重してほしい」
夢は、17年に米国で開催予定のワールドカップに日本代表選手として出場し、優勝することだ。
■少年時代偏見持つ
「障害者って、一人では何もできない人でしより・・・」。福島市出身のブラインドサッカー日本代表加藤健人さん(31)は、まだ目に障害がなかった少年時代は、自身もそんな偏見を持っていたと打ち明ける。目が見えなくなる遺伝性の「レーベル遺伝性視神経症」を高校時代に発症。現在、視力は失われている。
高校2年の冬、サッカー部の練習中に頭を強打し、急激な視力の低下を感じた。病院の検査で病名が分かった。
その後も視力は下がり続けた。当初は現実を受け入れられず、自分の殼に閉じこもった。「道を開いてくれたのは、両親が偶然インターネットで見つけてくれ
たブラインドサッカーでした」
競技は1チーム5人制で、視覚障害者が音の出るボールを使ってプレーする。競技が盛んな筑波技術大(茨城県つくば市)に進学し、本格的に練習に取り組み始めた。
07年に日本代表に選ばれ、東京五輪でのメダル獲得を目指す傍ら、啓発活動にも力を入れる。「何ごとも、始めなければ始まらない。多くの人に、まず一歩を踏み出してほしい」。永岡さんや加藤さんら障害者サッカー選手の活躍は、ライター江橋よしのりさんのノンフィクション「サッカーなら、どんな障がいも超えられる」(講談社刊)に詳述されている。