古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

ペット強制保険

2015年02月01日 | ペット
飼っていた猫が病気になって始めて動物病院の診察料などを気にするようになりました。実際病院に行くと当然自己負担率100%ですから金額はかなりなものになります。
病院にはペットが病気になった際に有効な保険のお知らせが置いてありましたが、当然健康でなければ入れず、それには現在の病気が完治することが条件となってしまいます。(うちの猫の場合はいきなり「予後不良」と診察されましたので、完治の可能性はそこでなくなったわけですが)
病院の待合室で見ていると、多くの人が自分のペットが健康でいるときには何も気にせず、いざ病院へ罹るとなるとその治療費の額に尻込みしてしまい結果的に救える命も救えなくなっている現実があるのではないかと考えました。
またそのような病気になったときに「捨ててしまう」という最悪の結果にもつながってしまうとも思えます。

現在日本で飼われている犬と猫に限って言うと合わせて一千万頭(匹)の犬猫がいずれかの家庭で飼われているとされます。
日本の世帯数は約五千万世帯ですからおよそ五つの家庭で犬か猫が一匹飼われているという荒っぽい計算ができます。
これだけ多くの家庭で飼われているものにも関わらず「制度」という点で立ち後れているのではないでしょうか。

現在は簡単に飼うことができ、また簡単に捨てることができてしまっています。そのような現状を脱却しようとしたら、飼い主及びペットをデータベースに登録し、なおかつ強制保険への加入を課するという制度を作るのが、実際には飼い主にもペットにもさらには動物病院などペットに関わる全ての人たちにとって最善の方法であると思われます。

現在は保険は言ってみれば「任意保険」だけであり「強制保険」がありません。車両の場合「強制保険」があるのは他人に対する最低限の賠償の責任が伴うためであり、そのようなものとは性格は全く異なるものであるのは当然です。
例えば治療の中でも入院して手術を受けるなどすれば、数十万円は確実にかかります。場合によれば百万円かかるような事例もあるでしょう。
このような金額を一般の人が全て自己負担するというのが困難なのは当然であり、そのため「任意」での動物保険があるわけですが、加入者も少なく保険金支払い額や負担割合も飼い主にとってそれほど有り難いわけではありません。
これを「強制」にすると言うのはそれほど困難なことでしょうか。

そもそも、強制保険という制度にすれば当然保険会社は収入が増えます。これは保険料の低減につながると共に支払保険金の増額つまり保険会社の負担割合の増加という点にも現れるでしょう。保険会社にとってみれば当然損は発生しないように保険金などを考慮することとなりますが、現状よりもはるかに被保険者つまり飼い主にとってペットが病気になった際の負担が低減されるのは確実です。簡単な治療ならばほぼ無料となるような場合もあるでしょう。

実際に保険料は年間で千円とか二千円というレベルで収まると思われますから、負担が過重であるともいえないでしょう。(多数飼っている人はとれる責任の範囲内で飼えばいいのです。)現在でも部分的な保証ではあるものの年間負担は五千円程度というのが相場であるようです。
もしこれが採用されれば動物病院にとってみると確実に収入増となります。患者そのものが増加するでしょうし(保険料を払っているのですから病院へ来る抵抗感が少なくなる)、さらに従来治療が断念されるような場合でも治療を受けようとする飼い主が増加するとみられ、高額治療に対し積極的になるという可能性が高く、入院費も含め収入は増えるでしょう。もちろん「任意」で高額保険を掛けることが前提ですが、ある程度の金額までは「強制保険」の範囲でまかなえるとすると、より高額な保険に対する心理的抵抗感も減少するでしょう。
またそのような場合獣医師そのものの需要が高まるという可能性が高く、獣医学部の出身者の受け入れ口が広がるという効用もあると思われます。また病院の収入が増えることによる医師や医療体制の充実などの利点を生む可能性も高いでしょう。CTなど高額医療機器の導入も促進されるでしょうし、その結果医療レベル全体の向上にもつながると思われます。

現在高度医療は大学の獣医学部などで行われている例が多く、間口が狭いため過密になっている例が見られます。それは即座に「順番待ち」の時間が(期間)が長くなることを意味しますし、重大性を伴う病気であるにもかかわらず、入院と治療が速やかに行われないという矛盾が発生してしまいます。
それがある程度の高度医療(当然限定的にはなるでしょうが)が民間の動物病院でも可能となるとするとその集中もある程度分散され軽減されることが見込まれます。
これらの利点は動物保険を強制的に課すると言うことに対して起こるデメリットや反発を遙かに上回るものではないでしょうか。(面倒であるというようなことは反対の理由にもなりません。)

確かにペットを飼う飼わないは自由であり任意ですが、一旦飼うとなった場合は条例などの規制を受けます。特に犬の場合は狂犬病予防の観点から強い規制が加えられています。また捨てられる犬猫は公費でその処分がまかなわれているわけですから、一概に全くの自由というわけでもありません。つまり現在でも各種の法律や制度条例の下でペットを飼育すると言うことが行われているわけであり、その延長線で考えるとしたらそれほど違和感があるとも思えません。

自分自身で言えばそのようなものがあったら何の抵抗もなくそれに従ったのと思います。ペットを飼うというのは他人に対して「責任」を伴うものであると同時に(最も重要なことは)そのペット自身に対する「責任」の発生を意味しますから、その「責任」を全うしようとしたら「保険」が必要であるのは論を待たないからです。それは金銭的余裕の有無にかかわらず発生しますから、自己負担を軽減させる意味でも、また「ペット」に対する十分なケアを行う意味でも「保険」が義務であるというのは当然であるとも思えるからです。
「任意」であっても入るべきであったなと今では思っていますが、それが「飼い主」の自由裁量であると言うことの中に問題があると思っているわけです。
コメント