俳句にはあまり関心はないものの、この先生のことだけはいつも気にかかる。古い言葉ながら「私淑」しているからである。
埼玉出身の文人は、後に県外に居を定めた人が多い。
しかし先生は、今は亡き奥さんの勧めで、「土に近い」産土(うぶすな)の地、出身の秩父に近い熊谷に50歳から住んでおられる。
生粋の「埼玉文人」である。
私が見る度に感激するのは、日本俳句協会の会長と頂点を極められた人が、今でも羽生と三峰口を結ぶ「秩父鉄道」の壁に掲載されている、ささやかな俳句欄の選者さえ務められていることである。真の愛郷者なのである。
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
若い頃前衛俳句のリーダーとして、一読して分かり難い句を多く創ってこられたのが先生。この分かりやすく平明な句が原点で、年を経てまたこの句の境地に帰ってこられたのではないかと思う。
退職してこのブログを書き始めて以来、先生の書かれたものや、先生に関するマスコミ報道をせっせと集めてきた。
地元だけあって埼玉新聞にはよく特集が掲載されていて、参考にさせて頂いた。
朝日俳壇の選者を長くやられていることは、ご承知の方も多かろう。これも退職後、真面目に読み始めた。
俳句より川柳に関心があるのだが、先生の選句を初めどれも面白く、掲載される月曜日の朝が楽しみだ。短歌欄にも目を通す。
「日本人には詩人が多いのだなあ」と感心する時である。
こんな折り、朝日カルチャーセンターが12年7月17日午後に新都心のホテルで、先生の「荒凡夫(あらぼんぷ) 一茶」という講演を企画していることを知った。
新聞、本、テレビではいつもお目にかかっているのに、先生の肉顔や肉声には接したことがない。
もちろん、白水社から出たばかりの同名の本を読んで駆けつけた。
驚いたのは、あんな難しい句を好むのは男性が中心だろうと思っていたのに、会場に多かったのは、女性、それも高齢の女性だった。
女性俳人が増えたというのは読んだり、聞いたりしていた。
先生は、12年9月に93歳を迎える。最近、初期ガンの手術を受けたとは思えぬほど元気一杯。
この講演でも、「季語がなければ俳句ではない」というのは「ホトトギス派の暴言」と強調された。いつもの持論である。別の講演では「季語などはノミのへそみたいなもの」と切り捨てゝおられた。私は、旧仮名遣いなども論外だと思っている。
それでは、「荒凡夫」とは何か。
一茶が還暦を迎えたときに作った
まん六の春となりけり門の雪
の添え書きに出てくる言葉という。
先生は「自由で平凡な男」と読み解いておられる。
一茶に
十ばかり屁を捨てに出る夜長かな
という句がある。
先生の言われる「生き物感覚」の代表句の一つ。知らなかった私はうなった。