日高市は、昔この地域にあった「高麗郡(こまごおり)」が、16年に建郡1300年を迎えるのを記念して、さまざまな記念事業を実施、まちおこしに役立てようとしている。
その一つに「にじのパレード」がある。14年10月4日、有名なマンジュシャゲの季節も終わった巾着田で、5月についで2度目のパレードが行われた。
「高麗郡」とは、1300年前の716(霊亀2)年、朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)から日本に移住、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7か国に散らばっていた渡来人1799人を、朝廷が武蔵国に集め、新しい郡を創ったものである。唐・新羅の連合軍に破れ、高句麗が滅亡した約50年後だった。(続日本紀)
高麗郡は、1896(明治29)年に入間郡に編入され、1180年の歴史を閉じた。当時、1町14村あったという。
日高市だけでなく、飯能、鶴ヶ島、入間、狭山、川越各市の一部も含まれていた。
高句麗が残した文化の一つに「高句麗古墳壁画」があり、世界ユネスコ遺産に指定されている。
その壁画で最も有名なのは馬に乗って矢を射る騎射姿だが、虹のように七色の鮮やかな色彩の古代衣装も印象的だ。
騎射姿のほうは、「馬射戯(まさひ)」と呼ばれ、記念行事の一つとして騎射競技会として復元されている。
これと双璧をなすのが、高句麗の古代衣装をよみがえらせたこの「にじのパレード」である。
日高市や高麗郡建郡1300年記念事業委員会では、1300年記念式典を行う16年5月21日には、新しい郡に集められた1799人にちなんでその数を集めて大パレードをやりたいとPRを進めている。
10月4日の「2014秋 にじのパレード」には、第1回の高麗神社から舞台を移して、巾着田とその外周道路に、谷ヶ崎照雄市長以下ざっと200人が古代衣装をまとって参加した。
「高麗川マロン」というブランド栗が市の名物なので、市のマスコットキャラクターになっている「くりっかー」と「くりっぴー」を先頭に、市の幹部や市会議員の姿もあった。
目立ったのは、揃いの高句麗衣装に身を包んだ「よさこい」のグループで、大きな旗と鳴り物で人気をさらった。
沿道のコスモス畑は満開で、希望者には摘み放題で無料提供された。
日高市では、キムチ味、地場産野菜、高麗人参の使用を条件とする地元のB級グルメ「高麗鍋」を名物にしようと、毎年「高麗鍋コンテスト」を開いている。
パレードが集まった広場の屋台には、狭山茶や日本酒などのほか「まんじゅしゃげ」をもじった「まんじゅう」も売られていた。