平成の大合併も終わって、全国の都道府県から村の数がめっきり減った。14年1月時点で、全国で残っているのは183と希少価値になった。
村なし県は13。東北から九州にかけて栃木、石川、福井、静岡、三重、滋賀、兵庫、広島、山口、香川、愛媛、佐賀、長崎県である。
逆に10以上の多い順で並べると、35の長野が群を抜き、19の沖縄、15の北海道、福島、12の奈良県と並ぶ。原発報道を聞くたびに「福島には村が多いな」と思っていた。
埼玉県の東秩父のように1つだけ残っているのは、12府県。宮城、千葉、神奈川、富山、京都、大阪の両府、和歌山、鳥取、島根、徳島、大分だ。
関東1都6県に絞ってみると、東京と群馬が8で、茨城が2、埼玉、千葉、神奈川が1で並び、栃木が0。
群馬はまだしも東京に8つあるのは、多摩地域西部の檜原(ひのはら)と島しょ部に7つあるからだ。
日本の村の数について、前置きが長くなった。埼玉県には、この1つの村のほか町が22、市が40ある。市の数は日本1だ。全部で63市町村あるわけだ。
このブログを書き始めて以来、どうせなら県内の全市町村を訪ねてみようと思っていたから、この県内最後の村にも行くつもりで、資料も少しずつ集めていた。
14年4月17日、天気も良かったので、東武東上線の小川町駅からバスで村が売り出している「和紙の里」を目指した。約25分で着く。
東秩父村は槻川の最上流域にある。その下流の小川町同様、「細川紙」の生産で知られる。
和歌山県の高野山の麓の「細川村」で作られていた「細川奉書」の手漉(す)き技術が、江戸時代になってからこの地にもたらされたもので、その技術は国の重要無形文化財、道具類は有形民俗文化財に指定され、里の倉に保存されている。
文化庁はユネスコ(国連教育・科学・文化機関)の無形文化遺産にしようと、その技術をユネスコに提案した。指定を呼びかける赤い幟が「和紙の里」の入り口に翻っていた。
楮(こうぞ)だけを原料にするので、強靭な紙質が売り物。小川町同様、戦時中には風船爆弾用の気球の紙に使われた。
この近辺に小川町同様「ぴっかり千両」という言葉が残っている。ぴかっと晴れ上がると天日乾燥の良い和紙ができ、高価で売れたからである。今では火力による鉄板乾燥だ。
村といえば、寒村、貧村のイメージが強い。ところが、この村の車道を歩いていても、そういう感じはしない。空き家もあまり目立たない。
この村は、5年連続で納税率が県内1位で、2年連続で個人住民税の納税率が100%だったので、知事から特別表彰されたという記事を読んだ記憶がある。
大内沢観光みかん農園、県営の彩の国ふれあい牧場(秩父高原牧場)、それに花桃の里、虎山桜で知られる。
しかし、現実は厳しい。人口は年々減っていて、1970年の国勢調査で5千人を超えていたのに、2010年には3348人、14年4月には3192人。65歳以上の高齢化率は31%を超し、県内で一番高い。
秩父郡に属してはいるものの、秩父盆地から山を越えて東側にあることから、広域行政では比企広域市町村圏組合に入っている。
これまで比企地区8町村、6町村、東松山市との3町村飛び地合併の話はあったが、さたやみになっている。
山林面積が8割を超す、花の美しいこの村はいつまで独立を保てるのだろうか。