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竜神まつり さいたま市見沼

2011年02月04日 16時56分41秒 | 川・水・見沼
竜神まつり さいたま市見沼

見沼代用水ができて、田んぼに変わる前の見沼には、竜が住み着いていたらしい。

関東郡代の伊奈忠治は1629(寛永6)年、現さいたま市緑区附島と川口市木曽呂の間に長さ約870m(8町)の堤防「八丁堤」を建設して、水を溜め、この灌漑用ダムを「見沼溜井」と呼んだ。平均の水深2.7m、周囲は40kmもあった。

この見沼周辺には、竜にまつわる20近い伝説が残っている。

その1 夜な夜な鳴り響く怪しい笛の音。奏でるのは、妖艶な美女で、その音を追って若者たちが次々姿を消してしまう(見沼の笛)

その2 美しい笛の音をたどると、古井戸があり、中には無数のホタルが舞っていた(ホタルの御殿)

その3 悪さをする竜がいたため、日光帰りの左甚五郎に竜の像を彫ってもらい、国昌寺(緑区)の山門に封じ込めた。葬式の際、棺桶の中の遺体が消えるので、開かずの門にして、この竜も釘付けされた(開かずの門)

といった具合である。

見沼を干拓した井沢弥惣兵衛為永のもとにも夜、夢の中に美女に扮した竜神が現れ、工事中止を哀願した。行灯の明かりにゆれる女の影は竜だった。

弥惣兵衛が過労で病に倒れると、女は夜な夜な現れた。「新しい住みかが見つかるまで工事を中止してもらえまいか」という訴えだった。ある晩、家来が弥惣兵衛の寝床をのぞくと、蛇女が真紅の炎を吐きながら、弥惣兵衛の身体をなめまわしていた。

さすがに恐くなり、工事の詰め所を天沼の大日堂(大宮区)から、片柳の万年寺(ばんねんじ 見沼区)に移して、工事を完成させた。万年寺には弥惣兵衛の頌徳碑が残っている。

緑区宮本の武蔵一宮「氷川女体神社」では、14世紀頃から神輿を乗せた船を沼の最深部に繰り出し、沼の主である竜神を祭る「御船(みふね)祭」を行ってきた。

女体神社は、奈良時代以前に見沼のほとりに創建され、現在の本殿は、4代将軍徳川家綱が建立した由緒ある神社である。

1728(享保13)年に、干拓が完成し、御船祭ができなくなると、神社の前に丸い島を築いて、祭祀場を設け、「磐船祭」が行われるようになり、明治初年まで続いていた。

さいたま市の誕生などを機に「さいたま竜神まつり会」や神社が中心になって05年から5月4日に「祇園磐船竜神祭」が始まった。

「竜神まつり会」では01年、さいたま市誕生を機に、新たな市のシンボルにしようと、ヘリウムガスで膨らませる風船で巨大な「昇天竜」(50m位の高さに昇る)を作った。

これが人気を呼んで、04年以来ハワイのホノルルのフェスティバルに毎年参加、10年には上海万博の日本デーにも出演、12年には、会津若松市、13年には郡山市の「ふくしまフェスティバル」にも参加、弘前ねぷたや花笠踊り、浅草サンバ、沖縄エイサーなどと競演する。

12年10月20日には政令都市になったさいたま市の人口にちなんで、ギネスの公式認定員を招いて副都心のスーパーアリーナ前で4体のうち125mのを膨らませ、「世界最長の膨らむ像」としてギネスブックに登録された。

Longest Inflatable Sculpture(最長の膨らむ彫刻)。

さいたま市に待望の「世界一」が生まれたのである。

13年5月4日の竜神祭には、一目見ようと朝から出かけた。ところが、世界的なヘリウム不足で病院でも手に入らないほどで、自粛して、ギネスの10分の1の大きさの12mの竜(写真)を女体神社前で膨らませた。

この日は、弥惣兵衛の銅像が立つ見沼自然公園を振り出しに、万年寺、国昌寺、女体神社を巡る「見沼の竜伝説をたどって歩く会」も開かれた。

考えてみれば、巨大竜の出番は多い。125mの竜が堂々と空に昇る姿を一度見てみたいものだ。



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1 コメント

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民話「ほたるの笛」 (りこまま)
2017-02-11 12:02:35
表題の民話、是非とも読んで欲しい!
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