埼玉県の母なる川「荒川」は、埼玉、長野、山梨三県の境界にそびえる甲武信ヶ岳(2475m)を源とする。
東へ流れると入川を経て「荒川」、西、次いで北へ流れると千曲川を経て「信濃川」、南へ流れると笛吹川を経て「富士川」となり、それぞれ東京湾、日本海、駿河湾へと注ぐ。
荒川には源流点と起点の二つの石碑がある。
「荒川源流点の碑」は、甲武信ヶ岳の直下にある甲武信小屋から少し下って、コケの茂る原生林の中にある。
荒川の源流は「真の沢」と呼ばれる。二つの源が一つの谷で出会うので「奥の二又」という場所に碑があるという。この岳に登っていないので訪ねたことはない。この碑は1986年埼玉県が、建設省、林野庁、当時の大滝村に呼びかけて立てた。
一方、起点の碑は入川に赤沢谷の流れが轟音とともに合流する所(秩父市大滝)にある。「一級河川荒川起点」と書かれた小さなものである。(写真)
建設省が立てたもので、これが荒川の正式な起点である。近くに立つ環境省の看板によると、標高は1000mにわずかに達していない。
ここから173kmかけて、荒川は東京湾へ向かう。
この起点まで電車とバスと徒歩で訪ねる「荒川の源流入川渓谷ハイキング」が、梅雨が明けた13年7月6日にあったので、勇んで出かけた。
源流点はともかく、起点ぐらいは、埼玉県民として見てみたいとかねがね思っていたからだ。
西武と秩父鉄道の共催。驚いたのは実に700人近くの参加者があり、その7、8割が女性だったことだ。山ガールの話は聞いていたものの、ガールだけでなく、中年、高年の女性も多かった。歩行時間が往復で約4時間という手頃さが受けたのだろう。
西武は秩父鉄道の終点・三峰口(標高316m)まで直通電車を出した。そこからバスで、埼玉県と山梨県を結ぶ「彩甲斐街道」(国道140号線)を30分余、川又(標高約650m)で下車、入川渓谷に入り、「赤沢谷出合」の起点の碑まで、約6km歩いて往復するというものだった。
出合のすぐ近くに「赤沢吊橋」がある。中津川沿いの「中津峡」は、もう一つ北の道沿いで、北の方向に当たる。紅葉期に訪ねたことがある。
名前さえ知らなかったこの「入川渓谷」は、奥多摩にひけをとらない素晴らしさだった。
林業に携わっていた有名な歌人・前田夕暮が晩年、住んでいたので、その名を冠した「夕暮キャンプ場」やその歌碑を見ながら、西に進むと、「イワナの宝庫」として知られる釣り場なので、観光釣り場がずらりと並ぶ。
この地方の在来イワナは、オレンジ色が強く、白い斑点が小さいのが特徴だと、パンフレットにある。
このハイキングコースは、往路は緩やかな勾配の坂道になっていて、左手の深い渓谷を水が音をたてて流れ落ちている。
復路では、「梅雨も明けて、本格的な夏が来たぞ」と知らせるかのようにセミが川音に混じって鳴いていて、高度が下がるにつれて、その声はにぎやかになった。
イヤホンラジオは、関東地方がこの日梅雨明けしたことを告げていた。秩父地方はまだ晴れてなく、曇り。さわやかなハイキング日和だった。
このコースの西半分は、東大の演習林のなかにあり、森林軌道の廃線を歩く。昭和40年代まではトロッコが走っていた。
片側は断崖で入川が流れ、片側の岩からは清水が落ちてくる所が多い。スノコ状の鉄の蓋を載せた木橋ならぬ鉄橋をいくつも渡った。
赤沢谷出合の近くには、これまで余りなじみのないシオジの原生林もあった。入川渓谷のような水辺に立つ林は「渓畔林」と呼ばれるという。
出合が折り返し地点になっていたので、昼食と休憩をとり帰路に向かった。緩やかな下り続きで、足取りも軽かった。
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