江戸彼岸桜のしだれでは、県内で最大だという秩父市荒川上田野の清雲寺のしだれ桜が見頃だというので、14年4月5日に出かけた。
「夜桜お七)」が持ち歌の坂本冬実がTV番組で夜桜をバックに歌ったこともあるというから、見頃を見ておきたかった。
この日、秩父地方は桜が爆発したかのように一斉に咲いて、まるで桃源郷ならぬ桜源郷のような雰囲気だった。
お寺や通りだけでなく、周りを囲む山の斜面にも桜の白いかたまりが数多く目につき、「秩父にはこんなに桜があったのか」と驚いたほどだ。
清雲寺も近づくと花が盛り上がっていた。
主役は、県の天然記念物に指定されている樹齢約600年といわれる江戸彼岸である。樹高15m、幹周2.72m。清雲寺創建の際に植えられたとか。
木の上部の枝が斜めに伸びていて、そこに花が咲くのでまるで何か彫刻のオブジェのよう。(写真)
このほかに、秩父紅しだれや八重桜など大小30本(うち3本が市指定の天然記念物)が桜の林をつくっているのだから、離れてみると盛り上がっているように見えるのである。
秩父鉄道の武州中川駅から歩いて15分くらいなので、親子連れなどが続々詰めかけていた。
駅を降りて、踏切を渡ると、そこにカメラマンがずらり並んでいる。「都心から一番近い蒸気機関車」が売り物のSL「パレオエクスプレス」(4両連結)の下り列車(熊谷から三峰口駅行き)が駅を通過するのだという。
田舎の駅にはSLがよく似合う。窓から子どもが盛んに手を振ってくれた。帰りは、隣の浦山口駅から乗ろうとしたら、今度は上り列車に出会った。一日1往復だから、何か得をしたような感じだった。
SLはテレビではよく見ても、実物を目の前で見るチャンスは少ないからだ。
しだれ桜は清雲寺だけではない。浦山口駅寄りに18分ほど歩くと、札所29番の長泉院(清雲寺は札所ではない)には、堂々とした「よみがえりの一本桜」がそびえている。
杉の木立の陰になって花をつけなかったしだれ桜が、近くの浦山ダム(秩父さくら湖)の工事で杉が切り開かれ、日当たりが回復したので、再び花をつけるようになったため、この名がある。
この桜は清雲寺の桜を移し替えたものだと言われる。
長泉院の反対方向にある昌福寺にも紅しだれ桜が6本ほどある。「さくら湖」と名づけたわけがよく分かる。「秩父あらかわ」と呼ばれるこの一帯はしだれ桜の里なのだ。
清雲寺は、幕末に京都から来た過激な攘夷派の公家が殺された「清雲寺事件」の起きた場所である。
近くの人でないと知る人はほとんどない事件ながら、今でも本堂内に銃弾や刀痕が残っていて、その墓も裏手にある。
右大臣大炊御門(おおいみかど)家の長男尊正(たかまさ)という若い公家で、大炊御門家の先祖に当たる、後嵯峨天皇の皇子が開山した太陽寺(旧大滝村)に尊王派の拠点を構えようと、近くの上田野村出身の医師の案内で、この地を訪れ、清雲寺に滞在した。
ところが、上田野村名主とこの医師との間には長年の確執があり、秩父の代官所に「一行は偽者だ」と密告した。
尊正は秩父の代官所に表敬のため出頭するよう促していたのに、代官所は武装した16人で寺を包囲した。尊正らは戦ったものの、数で劣り、討たれて医師ともども殺された。
明治になって、生き残りの女性が訴えたため、名主は逮捕され、獄中で死んだ。
秩父の山中にも倒幕の波が押し寄せていたことが分かるエピソードである。
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