軒端の梅 明月記 妖言事件洛外退去
明月記 建久七年六月 十九日 天晴る。巳の時、大炊殿に參じ、御共して參内す。小時にして九條の御堂に渡りおはします。例講始むるの程に退出す。今夜齋院、密々七條坊門大納言の局舊宅に渡...
軒端の梅 明月記 式子内親王咒詛事件
明月記 建仁二年八月 廿二日天晴る。…略… 一品宮御目の病、此の間忽ちに御平滅。広隆寺より直ちに院の御所におはしますべしと云々。此等の事、皆...
軒端の梅 明月記 常光院の喧嘩
明月記 正治元年七月 十八日天晴る。辰の時許り、大臣殿に參ず。巳の一点に御出。院に參ぜしめ給ふ。地下進退谷まると雖も、應ひて參入す。昇らしめ給ふの後、下侍《殿上の下》の縁の邊りに昇...
軒端の梅 明月記 正治二年十一月 七条大火
明月記 正治二年 十一月 三十日天晴る。風病甚だ不快。午の時許りに、京を出で、日吉に參詣。蓮華王院の邊りに於て、西の方に火を見る。風甚だ猛なり。烟、巽に赴く。須く歸宅すべしと...
軒端の梅 明月記 後鳥羽天皇譲位
明月記 建久九年正月 七日 天晴る。青侍等説に云ふ。譲位あるべしと云々。辰の時許りに或人告げて云ふ。此條実説なり。來たる九日、大炊殿に行幸。十三日、傳國あるべしと云々。兼定を以て...
式子内親王集 山家の道
正治二年後鳥羽院初度百首 287 我が宿は つまきこり行く 山賤の ...
軒端の梅 明月記 式子内親王病状
明月記 正治元年五月 一日 天晴る。大炊殿女房告げ送りて云ふ、雑熱の事候ふ間、医師等を召すと云々。 十二日 天晴る。巳の時許りに大炊殿に參ず。御肩に雑熱。一日より大黄を止め、膏薬...
軒端の梅 明月記 治承四年五月 以仁王宇治合戦
明月記 治承四年五月 十七日 夜雨止み、朝天晴る。巷説一ならず。園城寺騒動、關を固め城...
軒端の梅 吉記 元暦の大地震 7月12日
吉記 元暦二年七月 十二日 天晴。地震猶有度々。午剋先參最勝光院、北釣殿廊顛倒、同二階廊半倒了、進物所屋又顛倒。其外所々屋以傾危。眼前見滅亡、不堪悲涙。 次參八條院、寝殿已下御所...
軒端の梅 吉記 式子内親王関係
吉記 治承4年4月1日 式子 加茂在憲注申状 寿永2年11月20日 前齋院 上西門院五辻前齋院御所...