軒端の梅 常光院
○常光院 ・建仁寺 源頼家建立 開基栄西開基は温仲宗純(?−1511年)。慶長9年、三江紹益に帰依した木下茂叔が堂舍を直した。温仲が...
軒端の梅 式子内親王法名
承如法 正如房 聖如房
軒端の梅 金戒光明寺
二世信空上人の祖父中山顕時の邸宅を法然坊源空の師の叡空が寄進を受け、白川禅坊としていた...
軒端の梅 明月記 以仁王事件
治承四年五月 十六日丁卯 九坎 今朝傳へ聞く、三條宮配流の事、日來と云々。 夜前検非違使軍兵を相具し、彼の第を囲む〈源氏の姓を賜る。其の名は以光と云々...
軒端の梅 明月記 四条殿 辻風被害
治承四年五月 一日 天晴る。齋宮に參じ、健御前を訪ね申す。 姫宮を抱き奉る。心中又存命すべきの儀を存ぜずと云々。 檜皮庭上に分散。破損口の宣ぶべきにあらず。 ...
軒端の梅 明月記 後白河院遺産
建久三年三月 十四日丙戌 朝後陰る。申後小雨。午の時許りに院に參ず。人々多く參入す。法王...
軒端の梅 式子内親王の生涯
久安5年(1149年)誕生 三条高倉第? 平治元年(1159年)11歳 10月25日 内親王宣下。斎院に...
軒端の梅 式子内親王家関係者
皇族 式子内親王 久安5年- 建仁元年1月25日 賀茂斎院 父 後白河法王 大治2年9月11日 - 建久3...
軒端の梅 源家長日記 式子内親王懐古 軒端の梅は我を忘るな
齋院うせさせ給にしまえのとし、百首歌たてまつりしに、 軒端の梅もわれをわするな と侍し...
軒端の梅 玉葉 建久二年四月廿四日 海恵受戒灌頂
建久二年四月 廿四日辛丑 晴 申刻着直衣參院、胡旋翻袖云々。 …略… 今旦、澄憲眞弟子《御室御弟子、高松院御腹、澄憲...